第4話 タニア、訪問。

 鷹種の魔獣である俺のノワールも、姉のホワイティアも、父さまのグリメルと母さまのグリメラの仔だ。俺も姉さまも、小さなころから自分で育てて、こうして一緒に育っている。


 俺が五歳のころから一緒にいるから。ノワールは、今年で二十四歳になるはずだ。父さまたちのグリメルらも、父さんたちと同じくらいの年齢。なんでも、魔獣は百以上も生きる個体があると聞いている。


 背中に馬具に似た装具を乗せる。これは背あたりの羽に損傷を与えないため。馬とは違うから、口にはくつわをつけない。ノワールたちは人の言葉を理解するから、操作をする必要がないからだ。装具をつけて、お腹にベルトを回したときにふと、違和感を感じた。


「ノワール」

『きゅ?』

「お前、どこでどれだけ食べてきたんだ?」


 俺を王都で降ろしたあと、ノワールには自由にするように言ってある。食事も自分で獲ることができるから、きっと海へ行って、魚を獲って食べていたのだろう。シーヒルズにいるとき、夕食は俺の手から食べることが多いが、朝と昼は自分で獲って食べることがほとんどだ。


 この近くには、姉さまの住む館も近い。そうなると、姉さまのパートナーであるホワイティアも近くにいるはずだ。夜はフェルミット閣下の屋敷の庭で、ノワールたち姉弟も揃って休んでいた。


 前に、昼ご飯として食べた魚が、よほど美味い種だったのだろう。食べ過ぎて腹がふくれすぎ、高く飛べないときがあった。ノワールたちは、俺たち人の言葉をある程度理解する。言葉を話すことはないが、長年一緒にいると仕草でわかるものなんだ。


「ノワール。お前、前みたいなこと、ないだろうな?」

『きゅ? きゅーっ?』


 明後日の方を向いて、誤魔化そうとしている。こんな仕草をするとき、人間くさく思ってしまうときがあるのだった。『今度は気をつける』みたいに、俺の顔に頬をすり寄せてくる。


「もしだらしない姿を見せたら、ホワイティアに蹴られるかもしれないぞ?」

『きゅっ……』


 彼らの父グリメラは、何か怒られることをしてしまうと、母グリメルに、蹴飛ばされることがよくあった。それをノワールも憶えていたのだろう。目をつむって、『嫌だ』と言わんばかりの表情を、しているようにも見えてしまった。


 俺たちは男同士の友情で結ばれているからな。ノワールは、俺からしたら弟のような存在。もう一人の執事みたいなものかもしれない。そう言うと、執事のアルフが機嫌を悪くするときがあるんだけれどね。


 父さま、母さま、姉さまのときもそうだった。これは曾祖父じいさまが調査した結果なのだが、例外なく雄は男性に、雌は女性に付き従いパートナーとなるという。その上、魔術系統が風であり、恩があるとされた、我がシーヒルズ一族にしか心を開かなかったとのことだ。だとすれば、我々人間と同等か、それ以上の知能を持ち合わせていて、彼らは物凄く義理堅い家族なのかもしれない。


「家まで頼むよ。ノワール」


 そう言うとノワールは、低く伏せてくれた。その間に、装具に跨がる。ノワールの首元を左手でさする。


「じゃ、行こうか」

『きゅっ』


 大空高く上がっていく。ノワールたちは、大きな荷を積むことはできない。せいぜい、俺が背負えるくらい重さの三倍程度だろう。荷物を積んだ上に、もう一人乗せられるくらいの地力はあるということだ。


 だが、今日購入した荷物全部はさすがに無理。だから予め、船便で荷を送っておく必要があったわけだ。こうして、空の旅をすると、馬車で一週間ほどかかる道のりも、ゆっくり飛んでもらったとして、それでも夕刻までには到着してしまう。


 俺が毎年、王都へ一人で赴く理由がこれだった。王都へ乗り付けるような無粋な真似はできない。こうして港まで来て、そこから馬車に乗り換えることにしている。俺が王都にいる際は、この界隈でゆったり過ごしているはずだ。ノワールたち鷹型の魔獣には、天敵がいない。彼らより大きな、肉食の鳥類もいない。


 もし、いるとするなら、数年に一度見ることができるかわからない、龍種くらいだろう。ただ、その生息域は遠く、ノザンロードの山の頂に住むという噂がある程度。そもそも噂のみで、エメロードに生息しているかどうか不明である。なにせ、龍種は自分より弱い種には興味がないとされており、低地に降りてくることもほとんどないらしい。



 王族、貴族は基本、お相手を親族から紹介されたり、夜会で出会い意気投合したあと。交際を経て結婚に至る。王族貴族たる、魔力の高い子供を残し育む必要に迫られる。そうしないと、家がなくなる可能性もないとは言えない。


 故に、自由恋愛は許されない。それは俺も例外ではないし、覚悟はしている。領民の皆さんの中に自分好みの女性がいたとして、求婚することは許されないのである。結構俺、領民の皆さんからは評判いいんだぞ? 小さなころから教えられる、マイアラールナ教のあり方を知るからこそ、生涯愛するべき異性は一人だけであるべき。


 親族から紹介されたときは、魔術で転写された肖像画を見て、人となりを確認したり。夜会で出会う場合は、直接お相手を伺うことができるわけだ。双方とも、選択肢は一つだけであることは少ない。ある程度自分の好み、その容姿も選択することができなくはない。


 だが、例外はある。自分の家よりも、上位の家に勧められた場合、それを下位の家は断ることが難しい――というより、断れない。幸いというか、なんというか。うちの両親や、親類からの、お嫁さんの紹介は皆無。『自分で自分の運命を切り開け』ということなのだろうか? よく言えば自由奔放、悪く言えば放任的とも言える。


 そりゃ一緒にいてくれるお嫁さんは欲しい。けれど、焦っているわけではない。女性は、学園を卒業する十八歳から、二十歳くらいが適齢期と言われることがある。それは王族貴族も例外ではない。中には、在学中にお相手が決まったり、家同士の付き合いがあり、許婚がいる場合もある。実に羨ましいものだ。


 男に適齢期というものは存在しない。三十過ぎても独身である領主もいなくはないのであった。財政的なことや、仕事が忙しいなど。様々な理由で、結婚できない、していない領主もいるということ。俺なんかが、それにあたるね。きっとあの『魚臭い』の噂が、負の要因として働いてしまっているのだろう。思い出しただけで、腹立たしいし、軽く凹む……。


 学園時代にも、異性と話す機会はあっても、出会い正直なかったと言える。在学中は放課後に同級生、先輩、後輩との交流がほぼなかった。それは、帰宅すると準備を終え、シーサイド家に通っていたからだ。もちろんそれは、タニアの家庭教師のため。


 入学から卒業まで俺は、学業成績は主席をキープしていた。そんな俺が教えたことを、砂浜が水を吸う勢いで、物事を理解するタニアは、見ていて楽しかった。だからだろう、俺と同じように、学年主席となる成績を誇るようになった。個人的に言えば、物事を教えるということは、自分のための復習になる。あの数年間は、俺にとっても実のあるものだった。だから、在学中にお相手ができなかったことも、後悔はしていない。してないんだからな?



 王都から戻って数日が経った、雨が強く降る日。領で作る塩の予定などを、執務室として使っている書斎で、まとめていたときだった。ドアがノックされる。ややあって聞こえてくるのは、執事のアルフの声。


「失礼いたします。お館様。その……」

「どうしたアルフ。何だか歯切れが悪いな。お前らしくないぞ」


 彼は父さま、母さまに仕えた、先代の執事マークの息子。俺の幼なじみであり、学園の先輩であり、兄のような存在だ。父さまが引退してから、執事も代替わり。それ以来十一年目になる。


「いえ、その、ですね。お館様に、その」

「落ち着ついてくれ。説明が難しいのなら、要点だけで構わないぞ?」

「はい。最初から話すと長い時間が必要になりそうです。かいつまんでご説明するのでしたら、そうですね」

「うん」

「シーヒルズ子爵領より、タニアマリール様がお着きになったようです」

「へ?」

 どういうことだ? タニアが何の用事で? 確かに、アルフも首を捻っている。彼にも理由がわからないのだろう。

「訪問の約束も、予定もなかったんだよな?」

「えぇ。わたくしもそう思っておりました」

「わかった。アルフ、客間――いや、居間に通してくれるか?」

「了解いたしました」


 深々と腰を折ってすぐ、俺の目の前からあっという間にいなくなるアルフ。それはもう、残像すら残らないほどの恐ろしい所業だ。どれだけ素早く動けるんだ? ――と驚いたことがあったが、蓋を開けたら納得。執事の任を迅速に遂行するためとはいえ、彼は移動の際、身体強化の魔術を使うという変わり者だった。


 俺は最低限の格好しかしていない。いわゆる部屋着のようなもの。本来であれば、書類仕事が終われば、領内の巡回に出るところだ。その際は、もう少し『汚れても構わない服装』へ着替えている。魔術だけとはいえ、製塩作業を行うことがあるからだ。


 だが、今回は違う。迎える相手が見知ったタニアとはいえ、彼女は上位貴族の令嬢。お客さんを出迎えるのに、恥ずかしくない服装をしなければならない。ここ数年、領外からの賓客として迎えるお客さんは皆無だった。自宅とも言える俺の屋敷で、正装をしなければならないなんて、面倒だ。実に面倒だ。


 面倒だが、そうしないと更に面倒なことになる。それは、領主としてだらしないところをアルフに見られてしまうと、夕食の後に酒を酌み交わしながら、コンコンとお説教をくらってしまうからだ。あれは実に、めんどくさい。幼なじみで、執事で、親友で兄みたいなもの。だから、仕事の時間を終えると、遠慮がないんだ。


 アルフは、男の俺が言うのもなんだが、良い男だ。物凄くモテる。あれは確か、父さまから領主を継いで初めての夜会。あのときだけ、一緒に出席してもらったんだ。慣れていない俺が、うろうろと挙動不審な状態だったとき、あれは商家などのお嬢さま方に囲まれていた。次の年からは、俺に恥をかかせてしまうからと、出席しないと言った。後から聞いた話、断るのが大変だったからと、ただそれだけの理由だったそうだ。


 俺なんかおいといて、お前はどうなんだ? と聞くと、アルフは言う。『お館様の傍に、奥様が並ばれたら、考えようと思っております』と。痛い。痛すぎるぜ。知ってるか? 彼は、領民の若い女性からも人気が高い。もちろん、侍女の中でも伴侶の座を狙っている女性ひとがいるとの話も聞く。さっさと身を固めて、屋敷の外へ住んでくれたらいいものを。そうしたら彼の終業後に、お説教をくらわないで済むと思うんだ。


 俺は着替えを終えると、居間へ向かった。ドアを開けると、そこには、うちの侍女が淹れたお茶を飲んで寛ぐタニアの姿が。後ろには、シーサイド子爵家の館にいた、俺も良く知る年配の執事長、名をジョルノールと言ったか? 俺を見るなり、懐かしそうな笑みを浮かべる。彼には一時期、世話になったからな。


「この間ぶりでございますね? レイ先生せんせ


 タニアは俺を見上げて、澄ました顔から急に、嬉しそうに微笑む。あぁ、そういえばこのはずるいんだった。自分の立場をよく理解しているからか、表情を作れるんだよ。自分の武器を良く理解してる。初めて会ったときからこうだったんだ。


「あ、あぁ。そうです――いや、そうだな」


 俺は敢えて言い直した。公の場ではないからこそ、俺が丁寧な言葉を使うのをタニアは嫌うからだ。俺の気遣いを、彼女は嬉しく思ったのか? 口元のほくろが移動したかのように見えるほど、更に笑みを浮かべてくる。あぁ、可愛い。本当に、可愛い妹のようだ。


 咲いた花が、蕾みに戻るかのように、その微笑みが消える。なるほど、公私の公ということか。


「ジョルノ」

「はい、お嬢様」


 全てを言う前に、ジョルノールは理解したのだろう。俺の後ろに控える、アルフの元へ進むと封筒を渡した。すぐ傍にいたから俺にも見えた。封筒に押された、貴族が使う封緘。見覚えのある、シーサイド子爵家の印章。


 アルフが俺を見た。俺は一つ頷く。それを確認した彼は、封筒を開ける。中にある文を確認したとき、普段見せることのない、唖然とした表情になってしまう。中身を知っていたからだろうか? ジョルノールは俺を見て、苦笑するように目礼をする。


 ややあってアルフは、こちらへ帰ってくる。ほんの数歩の距離しかないというのに、アルフは物凄い勢いで移動してきた。


「――レイ――いや、お館様」


 危うく俺をその名で呼んでしまいそうになる。二人でいるときは、俺をレイと呼んでいるから。それだけ、混乱しているのがうかがえる。


「どうした? アルフ」

「その、どうしたものか、いや、どうしたらいいんだろう?」

「落ち着け、アルフレッド」


 滅多に呼ばない、アルフの本来の名。俺が彼を、頭ごなしに怒鳴りつけることは、まずない。少なくとも、俺が主人として名を呼んでいることに気付いたはずだ。


「……申し訳ございません。わたくしが口で言うより、これを見ていただいた方が、よろしいかと」


 俺は、アルフから文を受け取り、目を通す。時間が止まった俺。くすくすと、いたずらっ子のように笑い始めるタニア。


「……なんだこれ?」

「ね? レイ先生。『またお会いできる』と言ったでしょ?」

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