第3話 俺のただ一人の生徒さん。

 タニアちゃん――いや、タニアマリール・シーサイドは、シーヒルズ男爵領の北西に隣接した、開けた岬を中心に栄えているシーサイド子爵領に住む、シーサイド子爵家の長女。シーサイド子爵家も、俺の家と同様サザンロード側のシーロード辺境伯を寄親としていた。だが、親同士は決して、仲が良いという話を聞いたことはなかった。


 彼女と初めて出会ったのは、父さまに連れられてシーサイド子爵家へお邪魔したとき。今から十八年前。学園に通っていた俺は当時十一歳。タニアは四歳だった。最初にシーサイド子爵の書斎に通される。そこで俺が連れてこられた理由を聞いた。


 俺の上には、姉さまだけ。下には弟も妹もいなかった。そのため俺は、父さまの後を継いで、領主になることが決まっていた。一つ上である、執事のアルフと一緒に学園に上がる前から勉学を教わり、一年遅れて学園に入学した。必死に頑張ったからか、学園の成績も常に上位を維持し続けていた。


 だからだろう。子爵閣下は俺に、『私には、タニアマリールという、四つになる娘がいるのです。娘は来年、あなたの通う学園の初等部へ入学する予定です。あなたの学業成績は、とても優秀だと聞いています。そのため、娘が追いついていけるよう。あなたには、娘の家庭教師をお願いしたいのですが』と、丁寧に仰る。俺は二つ返事でそれを受けた。書斎に父さまだけが残り、その後俺だけ執事殿に連れられタニアの部屋へ。そういえばあの夜だった。父さま謝ってきたのは。なんでも、同じ寄親であり、うちより上位貴族であったため、断れなかったのだそうだ。


 タニアの部屋に通されたとき、俺は目を疑った。窓際にある机。その椅子に座る女の子が、子爵閣下のお嬢さまなのだろう? 俺に気付いて振り返った。

 透き通る金髪。側頭部のやや上から二房伸びる、可愛らしい巻き毛の結び目。前髪が眉毛のやや上で切りそろえられた。眉の太い、気の強そうな女の子がいる。


 ゆっくりと彼女の口が開く。きっと『あなたがわたくしの新しい家庭教師なのかしら?』と問うのだろう。俺は右手を胸に当て、片膝をついて一礼をする。俺は顔を上げるとき、優しく応えられるよう、笑顔を作った。彼女はいつの間にか椅子から立ち上がっており、俺を上から見下ろしていた。そこで開口一番、驚きのセリフ。


「──あなたが先生せんせ、なのですね?」

 ちょっと舌っ足らずだけど、可愛らしい子だな――と思った。俺は父さまに恥をかかせてはいけないと、貴族として正しい挨拶を心がけたんだ。

「はい。僕は、いえ、私は先ほど、あなたのお父上より、タニアマリール様の――」

「馬になって」

「……はい?」


 彼女の第一声は予想の遥か上を行っていたからか、つい、素っ頓狂な声をあげてしまっていた。


「いいから馬になりなさい」


 彼女は間髪入ず、同じ命令とも言える口調で、俺に言うではないか?


「あの、どうすれば?」

「ほんと、見た目だけ大人なのね? わたくしの先生でしょ?」

「あ、そのつもりで来たのですけれど」

「それなら早く、お馬さんになりなさい。その場に四つん這いになるの。おわかり?」


 俺は男爵家の跡取り。彼女は子爵家のご令嬢。無下に断るわけにもいかない。少々高圧的なお願いだったが、俺は家庭教師であると同時に、四歳の女の子の遊び相手という意味も含んでいたのだろう。だからこの夜、父さまが俺に謝ったのだと理解できたのだった。


 そう考えると彼女のお願いは、それほど理不尽なものではない。女の子の可愛らしいいたずらだと思えば、逆に微笑ましくも思ってくる。ここはひとつ、心の広いことを、面倒見の良いところを見せておこう。そう思った俺は、彼女が言う通り、その場に四つん這いになった。


 一応礼服で来たのだが、これは家人に洗浄してもらえば済むこと。それに床は、柔らかな長毛の敷物が敷かれている。それほど下履きにダメージがくることはない。


「わかればいいのよ。そ、そのまま動かないのよ?」


 彼女の服装は、白いふわふわした屋敷内用のドレスなのだろう。そのまま恐る恐る、俺の背中にまたがった。


そういえば昔、一度だけ姉さんにこうして遊んでもらったっけ。あの時は俺が乗せてもらった側だった。


「──うふふふ」


 彼女の喜ぶ声が聞こえはするが、表情が見えない。外から、先ほど案内してくれたし辻さんも入ってくる感じはない。ということは、お嬢様のやりたいようにさせる。そういうことなのだろうと、俺は『諦める』ことにした。


 俺に妹や弟がいたならば、こうしてあやすこともあっただろうな。そう思いながら、彼女に付き合うことにした。ややあって、タニアマリールお嬢様は満足したのか、俺の背中から降りてくれた。彼女はそのまま、椅子に座りなおし、くるりと椅子毎こちらを向く。


「気に入ったわ」

「はい。ありがとうございます」


 膝はそれほど痛くはなかった。彼女の体重も軽く、負担にはならなかったようだ。


「あなた、お名前は?」

 子爵閣下は、俺のことをただ『新しい家庭教師が来る』とだけ、伝えていたのだろう。名前までは伝えなかったようだ。

「はい。俺――いえ私は、シーヒルズ男爵家、長男のレイウッドと申します」

「そう。あのね」

「はい」

「私、そういうの好きじゃないの」

「そう言うのと、申しますと?」

「それよ。その敬語、だったかしら? 私はまだ四歳。あなたはお幾つなのかしら?」

「はい。十一になったところです」

「私よりも、ずっとお兄さんじゃないの? んー、私の家庭教師になりたいのでしょう?」

 なりたいかと言われたら、どうなんだろう? 俺は父に連れてこられ、子爵閣下になってほしいと頼まれた。二つ返事でそれを受け入れたのだから、この場でクビになるのもまずいわけだ。

「はい。そうしていただけると助かります」

「それならね、その言葉使いはやめて欲しいの。私にはお兄さまもお姉さまもいないので、お兄さまのように振る舞ってくれたら、嬉しいのですが」

 タニアの目が、嬉しそうにしている。舌っ足らずだが、とても辛辣というか、手厳しいというか。思ったよりも鋭い指摘がくる。否定できないような、そんな感じも受け取れるから。

「あ、はい。ん、その。私――」

「さきほど、『俺』と言いましたわよね?」

 四歳なのに、なんとも大人びたお嬢さまだよな。きっと頭も良いんだろうね。

「わかりました。俺は、タニアマリール様の――」

「タニア、でいいですわ」

「……タニア」

「そんな。呼び捨ては、どうかと思うのですが?」


 軽いいたずらのような、引っかけ問題。


「あ、では、タニアちゃんで、いいのかな?」

「はい。なんでございましょう?」

「いえ、その。タニアちゃんは俺に、丁寧な言葉使いをしてるのは?」

「あら、いけない? 来年学園にいくの。恥をかかないように、慣れていた方がいいのでしょ?」

「確かに、そうですね」


 合点がいった。彼女はある意味、『お嬢さま』を演じている。素の彼女は他にいる。そういうことなのだろう。彼女は本当に頭の良い子だった。気位が高く、理想も高い。ツンツンした性格も、可愛らしく思えてくる。


 俺はそれから、数年の間。彼女が学園で、学年一の成績を取り続けていられるよう。学年主席でいられるように。家庭教師を続けることとなった。彼女に教える知識で、『知らない』ということがないようにしなければならない。だから自分自身の勉強も更に頑張った。その結果、俺も翌年から、気がつけば学年主席にいたのだった。


 それは俺が学園を卒業するまで続いた。俺が学園を卒業する、十八歳の年。タニアは十一歳。初等部を終え、中等部へ上がろうとしていた年。彼女はすくすくと成長し、俺よりやや低いところまで、身長も伸びてきた。体つきも女性らしくなりつつあり、同学年、下の学年、上級生からも、注目されるほどの令嬢となっていた。


 俺は翌春から、父さまの後を継いで、シーヒルズ男爵となる予定になっている。だから、彼女の家庭教師はその日で終わりになる。卒業式の会場前で、式の前に俺の胸に白い花をつけてくれたのは、タニアだった。


「レイ先生せんせ

「ん?」

「かっこいいですよ」

「褒めたって何もでませんよ」

「あらぁ。そんなことを仰っても、よろしいのですかねぇ?」

「あはは。とにかく、今日で俺も、お役御免になるね。短い間だったけど、ありがとう」

「いいえ。私も有意義な時間を過ごせましたわ。今もこうして学年主席でいられるのも、レイ先生のおかげです。いつかまた、お会いできますわ。それは私が保証いたします」

「そうだね。同じ寄親なのだから機会はあると思う。それに、毎年僕は女王陛下へのご挨拶もあるから、王都に来ることになるし」

「えぇ。領主業務、頑張ってくださいまし。影ながら応援させていただきますわ」


 背中をパンと叩いて、彼女は俺を押し出す。こんなところが、お嬢さまっぽくない部分だったりするんだよね。


「ありがとう。タニア。いや、タニアマリール様」

「えぇ。いつかまたお会いしましょう」


 ▼


 昨夜、タニアと久しぶりに会った。あんなに可愛らしいお嬢さまが、あそこまで美しく、立派になられているとは正直俺も驚いた。


 一夜明けて、久しぶりに姉さまに起こされた。うん、気分がやや軽い気がする。俺のお相手はなよめさんは、今年も見つからなかった。だが、『魚臭い』と俺を腐して優位に立とうする、俺にとって利点のない紳士たちが、勝手に凹んでくれたのだから。全てはタニアお嬢さまのおかげだった。


 タニアが宿泊する高級宿へ彼女を出迎える。もちろん、見送りをするためだ。彼女は俺から見たら、上位貴族の令嬢。だからこれくらいは、当たり前のご挨拶。昨日助けてもらったのだから、気持ちよく見送らせてもらうとしよう。


 彼女の家庭教師をしていた間、昔からまぁ色々あったことはあった。全ては口には出せないが、心の中で『ありがとう』は言っておいた。


「ではレイ先生、ごきげんよう」

「あぁ。気をつけて帰るんだよ?」


 十年以上前に行っていた、気楽なやり取り。あのころは、上位貴族のご令嬢と、下位貴族の跡取りではなく、家庭教師の先生と生徒だった。


「わかっています。前もこんな感じでしたよね。近いうち、またお会いできると思いますわ」


 そんな不思議な言葉を残して、タニアは自領に帰っていった。彼女の住むシーサイド子爵領は、シーヒルズより西にある。うちより平坦で開けた領地、サザンロードに入ったら西回りで帰るなら、うちより早く到着するだろう。


 俺は王都で買い物を済ませ、帰り支度を始める。サザンロード最南端にある我が領は、王都から馬車で帰るとき、山越えを含めて一週間かかる。さすがに一週間もかけて帰るわけにはいかず、とりあえずは王都から一番近い港へ。そこで馴染みの海運商へ赴き、荷物だけ船便で送ることにする。


「いつも世話になってます。じゃ、これをお願いしますね」

「いえ。こちらこそ、ご贔屓にしていただいてありがとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします」


 船乗りは、うちの領からみたら、仲間も一緒。感謝の意もあり、自然と丁寧な言葉使いになってしまう。塩の運搬はさすがに陸路でないと都合が悪い。俺が一緒に乗り込めば、湿気対策ができるのだが、そうはいかないからね。だからこうして、塩以外は商船に世話になることが多いんだ。


 不思議に思うかもしれないが、普通、貴族であれば男爵以下、騎士爵であっても、家人を連れて王都へくるものだ。だが俺は、基本的には一人で旅している。馬車で一週間もかけるのが大変だからというものあるが、実はそれだけではない。


 俺は首元に仕舞い込んでいる、首飾りの先にある、金属製の笛を取り出した。これ自体、実は魔術道具だったりする。軽く息を吸い込んで、笛を強く鳴らす。


『――ッ!』


 この笛の音は、ある魔獣の鳴き声を真似て作られている。それを、幼生体のころから、様々なことを教える際に、笛を一緒に使用する。すると、この笛の音だけを、俺の鳴らしたものだと理解してくれるというわけだ。


 魔獣と言っても、危険な種ではない。魔力を内包している特殊な獣を魔獣と呼んでいる。中には、数百年も生きる、神獣や聖獣と呼ばれる種もいるらしい。


 実はこれ、俺だけではなく、父様、母様、姉さまもそうなんだ。その昔、曾祖父の代で、親を亡くした魔獣の雛を助け、家で育てたことから始まったそうだ。


 お、来た来た。


『きゅーっ』

「どうだ? ゆっくりできたか?」


 漆黒の鷹種の魔獣。雄で名前をノワール。父さまにはグリメル、母さまにはグリメラという番のパートナーがいる。姉さまは嫁いだ先に、ホワイティアという名の子を連れていった。


 体高は俺の身長とほぼ同じくらい。翼を広げると、その両端は小さな船より大きい。生まれたばかりのときは、手のひらに乗るくらいだったんだけどね。

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