第9話 全ては彼女の筋書き通り。
アンナさんからの提案に驚いて、俺は固まっていた。それは俺が長年求めづづけ、そして欲しかった、聞きたかった言葉だったから。
ややあって、固まった頭が再起動するように、目の前の状況がはっきりしてくる。あれ? 確かアンナさんが僕に、『お嫁さんにしてください』と言ってくれたような? いや、間違ってはいない。そう言ってくれたはずだよな? 確認しないと駄目だ。勘違いだったら、取り返しがつかないから。
「あの――大変申し訳ないんですけども、聞き違いでなければ、俺に、アンナさんをその――」
「はい。ぼ、僕をお嫁さんにして欲しいんですっ」
後ろの方がやや早口になってはいた。流石に二度目は恥ずかしいのだろう。アンナさんは頬を染めてしまっている。
「な、なんでまた急に?」
「『あの話が出るまで』の僕は、正直に言うと結婚を半ば諦めていました」
「うん」
おそらく『あの話が出るまで』というのは、ブルーマウント家の長男が婿入りするという話しのことだろう。
「僕が婚約することになったと知ったのは、夏の長いお休みをもらって、お爺様、お婆様の元へ一時帰宅したときなんです。王都から戻っていた妹と話をしていたときです。僕に
母から手紙が届いたと聞きました。そこにはいつもの手紙ではなく、家の家紋の入った封緘が押された封筒に入っていたんです」
「うん」
「何事かと思い、祖父が代わって封を開けてくれました。すると、祖父の表情が嬉しそう、それでいて複雑そうな表情をしていたんです。手紙の内容は、ブルーマウント伯爵家との縁談でした。正直、困りました。まさか自分の勤めるお屋敷の方とは思わなかったんです」
「うん」
そりゃそうだ。仕事ができなくなるから。
「そこに、婚約するお相手の名が記されていたんです。カムデール・ブルーマウントと。すぐにブルーマウント伯爵家のご長男だとわかりました。ですが、あの方にはお付き合いされている女性がいたはずだと、思い出したんです」
「う、うん」
ありゃりゃ。旗色がおかしくなってきたよ。
「かといって、僕の独断で断りを入れられないのも事実です。母には了解の手紙を送ってもらいました。妹も喜んでくれたのですが、僕の中は、とても複雑だったんです。おそらく僕は、幸せな結婚ができないんだなと思うと同時に、家の立て直しが最優先だと割り切ることにしたんです」
「う、うん」
俺と同じだよ。なんでこんなに良い子が、そんな思いをしなきゃならないかね……。
「ブルーマウント家のお屋敷に戻った日でした。後ろ姿だけでしたが、二房の、金色の巻き髪が特徴的な女性が、僕のお相手のお付き合いしてる人の部屋に手を引かれて入っていくのを見てしまったんです。前に何度か見たことがあったのは、あの人だったなと思い出すのと同時にですね」
「終わったな……」
「えぇ。僕はもう諦めることにしたんです」
「婚約するはずのお相手がですね、僕が自分のお屋敷で働いているなんて知らなかったから、このようなことが起きたんだと思います」
「うん」
そうだよな。二年で成人する弟がいるなら、弟に領主の座を任せて、辺境伯家へ婿入りすることは、伯爵家にとっても悪いことじゃない。それなのにあえて、虚偽の報告を行うとは、何を考えているんだろう? 相手にとって、自分が取る行動が全て裏目に出てるなんて、知るはずもないから。
「そこで昨日、ある意味転機が訪れたんです。僕が派遣されたこの場所で、あの綺麗な女性が結婚するというではないですか? 僕の頭の中は、少しだけ楽になりました」
「あー、うん」
「ですが朝になり、僕の頭の中はまっ白になりました。僕宛に書かれた手紙を読むと、余計にわけがわからなくなったんです」
「うん」
うん。俺でも同じだと思うよ。
「あの後、レイウッドさんと話すことができて、絡まった糸がほぐれていきました。同時に、ある希望が湧いてきたんです」
「それが」
「はい。僕はもしかしたら、幸せになれるのかもしれない。」
「……この機会を逃すと僕は、まともに結婚できないと思ったんです。そう思ったら、もう、僕が取る方法は一つしかないじゃないですか?」
「うん。アンナさんの言いたいことはよくわかったよ。俺もね、都合十年、お嫁さんを探しててさ」
「はい」
「十年夜会に出続けて、十年続けて玉砕してるわけよ」
「嘘ですよね? こんなに素敵で、お優しい方なのに……」
「嘘も何も、じゃなければとっくに結婚してるってば」
やばい。自分で言ってて、凹んできた。
「はい。でも、なぜそうなったんでしょう?」
「夜会の会場でね、あの『魚臭い』という言葉が出始めると。俺の周りの空気は、何か微妙なものになるんだ。周囲から俺を笑う人も増えるし、初めて出席ているはずのお嬢さまがたも、なぜかその噂を知ってる。どこまで曲解して伝わっているのかわからないけれど、まともにで話を聞いてもらえなくてね。まるで腫れ物にでも触るような扱いを受けるわけだ。そうしているうちに、横から海鳥のように、お嬢さま方をかっさらっていかれるわけですよ。はい」
「ごめんなさい」
「へ? なんでアンナさんが謝るのさ?」
「その場に僕がいたら、僕がそんなことを言わせないのに――あ、でも、僕は仕事があったから、勝手に抜けられないかもです。おまけに、その、余計な婚約者もいたので。あーでも、まだ僕は母方の姓を名乗ってたから大丈夫かもしれませんね」
これはまずい。泣きそうになる……。
「なんていうかさ、もう。……ありがとう」
「いえ、その。……どういたしまして」
「今年はね、その役をタニアちゃんがやってくれたんだ。凹んでた気分がすっきりしたよ。正直助かったと思った」
「それはそれで、ちょっと、悔しいです……」
「あははは。だからさ、俺としては、物凄く嬉しいんだ。タニアちゃん以外の女性に、これほど長く話をしてもらえたのも、実は初めてだったんだ。でもさ、それってブルーマウント伯爵家には、どうなんだろうね?」
「僕の
彼女は、胸のあたりに両手を置く。じっと自分の胸を、にらむようにしている。
「肌も綺麗じゃないですし。色も白くないですし」
「いやそれ、日焼けじゃないの? こっちはほら、日焼けしやすいからさ」
「そうとも言いますね。けれど、肌荒れが多いんですよね」
「それは、働き者だからだと思うんだけど――あのさ、俺からも言わせてもらえる?」
「なんでしょう?」
俺は一つ、深く呼吸をする。一気に吐き出し、もう一つ吸う。じっとアンナさんを見て、両手で彼女の手を握る。
「よかったら俺と、結婚してくれませんか?」
「――っ!」
「嫌だったらいいけどさ」
「嫌なわけ、ないじゃないですかっ! 好きになったから、ううん。憧れていたときもあったから、お願いしたんですってばっ!」
「そこまで強く否定してくれてありがとう」
「あ、いえ。どういたしまして……」
「でもさ、こういうことはさ、男から言わなきゃダメでしょ? ま、うちもね、母さまから告白したらしいんだけどさ」
「お母様って、あの?」
「知ってるの?」
「はい。ノザンロードの、辺境伯様の母上の妹君、だと聞いています」
「へぇ。有名だったのかな?」
「いえ、うちは辺境伯でしたから。小さなころから教えられますので」
「あー、そういうことね」
「なので、その……」
「うん」
「よろしく、お願いします……」
「はい、こちらこそ。よろしくお願いします」
それから俺たちは、マイアラールナ様の青銅像前に並んで膝立ちになり、改めてお祈りを続行することになった。手を組んで、額をそこに乗せる。けれどここから先、どうお祈りをしたらいいかわからなかった。
間が持たなくなる。そんなとき、ふと頭に浮かんだことを話しかけていた。
「そういえば、アンナレミーさん」
「アンナでいいですって」
「あ、そうだった。ん、アンナ、さん?」
「ちょっと恥ずかしいですね」
「あははは。あ、そうそう。あのね」
「はい」
「俺の妹分、タニアちゃんなんだけどさ」
「はい」
「彼女は、俺が教えることを、砂が水を吸うように、吸収するのが早かったんだ」
「そうなんですね」
「うん。だから、記憶力も悪くないはずなんだよね」
「はい」
「アンナさんはさ、タニアちゃんと、小さなころに会ったことはないのかな? って」
「えっと、僕が五歳のときに一度だけ、ご両親と挨拶にこられたことがありましたね」
「そっか。……あのさ、もしかしたらなんだけど」
「はい」
「俺はね、タニアちゃんが、アンナさんを一目見ただけで、辺境伯家のお嬢さんだと思ったんじゃないかな? って」
「え? そんなことないですよね?」
「いや、わからないよ。あのタニアちゃんだし」
「言われてみると確かに、……タニアさんがですね、僕とこちらへ来る馬車の中で、『お久しぶりですね。元気にされていましたか?』と、気遣ってくれたのです。ただ、あのとき僕はブルーマウント伯爵家の使用人。初めて出会ったはずなのに、『お久しぶり』と言ってもらえたのは、おかしいのかもしれませんね」
「あ、それ多分。アンナさんのこと、気付いてるはずだよ。もしかしたらさ、アンナさんを介添えに選んだのも、タニアちゃんが絡んでいるかもしれない」
「あ……」
「『レイ先生のことをお願いします』って書いてあったたのは、タニアちゃんの筋書きだったんだよ。結局ね、俺は彼女にとって、今でも『レイ先生』だったってことさ」
タニアちゃんは、儀式を完遂するつもりなんて、
祈りを終えるころには、昼近くになっていた。
『くぅ』
「あ……」
『ぐぅ』
「おぉぅ……」
アンナさんと俺のお腹が同時に鳴った。そういえば、慌ただしくて朝から何も食べていなかった。ここに用意されていたはずの朝食は、タニアちゃんがここを出る際、ちゃっかり持っていってしまったみたいだから。館に行けば、アルフが何か用意してくれるだろう。
「アンナさん、行こうか?」
俺は、彼女に右手を差し伸べる。
「はい、レイウッドさん」
海からの柔らかな風が、白いヴェールを軽く揺らす。見え隠れする灰色ぎみの、金髪が混ざった銀髪。曲がることなく、地面へ向かって真っ直ぐ伸びているそれは、昼の日差しに照らされて、美しく光っているようだった。
「綺麗な髪、だね?」
「あ、ありがとうございまひゅ……、あっ」
噛んだのに気付いたんだろう。そんな恥ずかしがる姿も可愛らしいと思う。
「急にごめんね。そう思ったから、つい……」
「いえ、その、僕、慣れていないので、ごめんなさいです」
「あのさ。しばらくの間、俺たちの間は公にすることはできないと思うんだけど」
「はい。混乱する可能性が高いですから」
「ただね、少なくとも、辺境伯領の財政はなんとかするつもりだよ。水産業は俺の得意分野だからさ。漁場が広がった思えば、領民の皆さんも、喜んで手伝ってくれるだろうからね」
「それは嬉しいです。本当に、本当に。ありがとうございますっ」
深々とお辞儀をするアンナさん。実に見事なもので、侍女の仕事が長かったんだろうね。もの凄く板に付いてる感じがするよ。俺みたいに、年に一度でも女王陛下に謁見するわけじゃないだろうから。普通なら、会釈をされる側なんだろうけどね。
俺は、首元から魔術具である笛を取り出す。
「それはなんです?」
「これはこうするんだよ」
軽く息を吸い、そっと吹く。すると、少し甲高い音が鳴る。それはまるで、母鳥が雛に語りかけるかのような、耳にも優しい音。
ややあって、上空から羽音が聞こえる。徐々に大きくなる影が、二人を覆う。直前で空中浮揚して、ゆったりと降りてくる黒く大きな翼。俺のから少し離れたところへ降り立つと、跳ねるように歩きながら、俺の横で止まった。そのまま俺に、頬を寄せてくるノワール。
『くぅ?』
ノワールは、改めてアンナさんを見ると、首を軽く傾げる。
「あぁ。アンナレミーさん。俺の花嫁さんだ。仲良くしてあげて欲しい」
「も、もしかして」
「ん?」
『くぁ?』
俺がアンナさんの声に反応して振り向くと、ノワールも同じように彼女を見た。
「うふふふ。そっくりなのですね」
「あ、あぁ。俺の弟だからね」
『くぁう』
「シーヒルズの霊鳥ですよね? ここまで間近に見たのは、初めてです」
「外からはそう言われてるんだ。知らなかったよ。俺たちは魔獣って呼んでたんだけど」
「初めまして。アンナレミーです。よろしくね、えっと」
「ノワールだ」
「ノワールちゃん」
『くぅっ!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます