第8話 狐の行方と狼の正体。
まるで夜会で意気投合して、ホールから少し離れたところで、談笑しているかのような空気。お互いになんとなく、自己紹介が終わっていた。まだまだ話したりない気持ちはあるけれど、何を話したら良いか悩んだそのとき、ふと口から出てしまった口癖のようなその言葉。
「困ったねぇ」
「はい。困りましたね」
苦笑する俺。同じように、苦笑するアンナレミーさん。なんだかとても心地よく感じる、この瞬間。
「……これ、言って良いものなのか、悩むところなんですが」
「うん」
「ブルーマウント伯爵家のお屋敷から、戻らなくてもいいと、解雇されてしまったた僕は。あの家に何も、義理立てする必要はないと思うんです」
「どういうこと?」
「はい。実はですね」
「うん」
「タニアさんの行き先に、思い当たる場所があるんですよ」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ですが、ここからの話は秘密にしたいんです。僕が無事でいられる保証が欲しいんです。そうでないと、安心して話すことができないんです……」
「うん。それは保証するよ。シーヒルズ男爵の名において。僕の母さまと父さまの名にかけても。あなたの身は、俺が保証する。なんなら、このまま働いてもらってもいい」
「そうですか。そう言っていただけると、助かります」
まるで蕾から、花弁が一気に咲き乱れるような、笑顔を見せてくれる。力強い太い眉に、三白眼だけど奥二重の綺麗な目。あ、八重歯だ、可愛いな。
「あの。僕の顔に、何かついていますか?」
「いやいやいや。女性の顔をじっと見るなんて、失礼だったね。ごめんなさい。続けて続けて」
「いえ、その。僕の顔見ても、面白くないと思いますよ? ……そうでした。はい。あのですねたぶん、……ではないですね。ほぼ間違いなく、ブルーマウント伯爵家のお屋敷だと思うんです」
頭の中で思考を猛回転させながら、答えてくれてるんだろうね。迷う言葉も多いけれど、全て滑舌が良く、はっきりと聞こえるんだ。この子もかなり、頭が良いのかもしれない。ただ、その答えが俺の予想を少し超えていた。
「へ?」
「前にですね、お屋敷で、カムデール様と一緒にいるのを、見てしまったことがあるんです」
「カムデール様って、ブルーマウント伯爵閣下のご長男の?」
「はい、そうですね」
「一緒にって、あれ? 確か、あそこのご長男は、婚約者がいるはず。……それなのに、婚礼の儀式を抜け出した女性と、婚約者のいる男性が二人きりでいるのって」
「はい。まずいどころの話ではないですよね」
「ブルーマウント家は、うちとタニアちゃんの家の寄親だよ? この縁談、決定を出したのは最終的に、ブルーマウント家なんだ。書面もいただいてる」
「裏で糸を引いていたのは……」
「そう思うよね、……って、あれ? ということは、アンナレミーさんって」
「アンナでいいです」
「うん。アンナさん、ブルーマウント伯爵のところにいたの? シーサイド子爵家の侍女さんじゃなく?」
「はい。実は、数年前から、ブルーマウント伯爵家に侍女としてお世話になっていたんです」
「そうだったんだ――ってあれ? あ、そうだよ。ブルーマウント伯爵閣下のご長男って、辺境伯閣下のお嬢さまと婚約をしていたんじゃ、なかったっけ? あ、そこまでは知らないか。ごめんね」
それにしたって、アンナさんが言ってたことが本当だとしたら、大問題だ。俺は問題だと思われる理由。マイアラールナ教の、教義について彼女と少し話してみた。
マイアラールナ教の教義により、重婚は悪しきこと。海を越えた他の国の大商家や貴族、王族では第一夫人以下、第二第三と娶ることはある聞く。だが、この国では実質不可能な話だ。
重婚の抜け穴として、愛人を囲うことは黒に近い灰色の所業。だが、貴族家の令嬢が、それも長女が愛人になるということは、令嬢の家にとって聞こえは悪くなる。囲った者にとっても、『なぜそのようなことを』と、責められる可能性もあるわけだ。
よって今回の場合、タニアちゃんの家もそうであり、彼女自身も同じように責められることもあり得るわけだ。他国であれば、タニアちゃんを第二夫人に迎えることも可能だっただろう。だが先程の理由から、この国では難しい。せめて、商家の娘くらいで我慢していたのなら、懸念を残すことなどなかっただろう。
「そこでね、おそらくこう考えたんだと思う」
「えぇ。僕にもそれは予想できます」
「アンナさんを身代わりに置き、俺を生け贄にするつもりだったんだ。この縁談を断れない俺の家が口を閉ざしさえすれば、この計画を立てた張本人は、誰から責められることもないだろうね」
害獣に襲われそうになった村で、家畜を生け贄に出すような、そんな話。俺もアンナさんも、この騒動から目をそらす為に利用されたんだろう。
「物凄く、汚い考え方です。僕は許せそうにありません」
責任感が強く、正義感も強い子だ。
「まぁいいさ。今回は可愛い妹みたいなタニアちゃんのために、俺が泥を被ることにしようと思う」
「なぜ、ですか?」
俺は、小さなころから家庭教師をしていて、タニアちゃんを妹にしか見られない。異性として意識することが難しかった――ということを軽く説明する。
「正直言えばね、俺はタニアちゃんを妻として迎えられるか自信がなかった。けれどこの縁談は、うちより上位の貴族家である、シーサイド子爵家と、寄親のブルーマウント伯爵家の連名での通達だった。だから自分の中で消化しよう。我慢しよう。時間が解決してくれる、そう思ってたんだ」
「確かに昔は、そのようなことがあったと聞きます。ですが……」
「仕方ないさ。それが貴族ってもんでしょ? 俺だって、ここ十年、お相手を探すため、お嬢さま方に認めてもらうためにね、夜会に通ってたんだ。結果は十連敗だったけどね。そんなときに急に、この縁談が持ち上がった。そりゃ、お嫁さんは欲しいさ。かといって、タニアちゃんをそう見るには、教え子として見ていた時間が長すぎた。妹のように思う時間も、長すぎたんだ。でもいいんだ。たった一人の教え子にね。可愛い妹のような彼女にね、兄のようなことをしてあげてもいいかな? って」
「お優しいのですね。少し羨ましいです――いえ、妬けてしまいますよ……」
最後の方はちょっと聞き取れないほど、小さな声になっていた。
「ところでさアンナさん」
「はい」
「ブルーマウント伯爵家で、侍女をしてんでしょう? なのに、タニアちゃんの介添えなんて、どうしてまた?」
「はい。つい先日の朝ですが、寄子であるシーサイド子爵家へ出向してもらう。そう言いつけがされました」
「あぁ、それでタニアちゃんに。でも何でまた、アンナさんが?」
「いえその。多分なんですが。タニアマリールさんと背格好が似ていて、髪の長さも同じだったからじゃないかと。あの家には、僕より若い人か、僕より年を召された人しかいなくて。……元々、置き去りにするために選ばれたのかも、しれませんね。さすがにちょっと凹みました」
ちょっと自虐的に笑うアンナさん。刺さるなぁ、その辛そうな笑顔。
「あと、さ。手切れ金だっけ? 中に入っていた金額では足りないって、あれ、どういうことだったのかな?」
「いえ、そのですね。僕には、妹がいるんです」
「うん」
「来年学園をですね、卒業するんです。僕と違って、可愛い妹なんです。適齢期が来る前に、結婚できるようにしてあげたいんです」
「そっかー……」
「だからもっと働かないと、駄目なんです。まだまだ、お金が足りないんです」
「それならさ。俺の家で、続けて働いてみる?」
「いいんですか? ご迷惑になりませんか?」
真っ直ぐで、自分よりも妹のために頑張ってる。
「たいした家じゃないから、沢山のお給金は出せないかもしれない。もし、アンナさんの希望に添えなかったら、ごめんね」
「いえ、僕の家だって大したことはないです」
「カフファルムだっけ? その家名。北にある男爵領だった覚えが――」
「いえ、実はその家名、僕の母方のものなんです」
「へ?」
「実は僕の実家、ここの隣だったりするんです……」
「え? 隣って、西側にはシーサイド子爵家で、東って、あれ? もしかして?」
「はい。恥ずかしながら」
「だってそこ、辺境伯閣下の領土だったような?」
「はい。僕、本当の家名は、シーロードなんです」
「うっそ……」
「嘘じゃありません。カフファルムは、在学中から名乗っていましたが。母方の家なんです……」
なんとアンナさんは、このサザンロードの辺境伯家のお嬢さまだった。そりゃ、俺みたいな地方領主じゃ、お目にかかる機会なんてないから。わかるわけがないよね。
「そっか、でも何か理由があったんだよね?」
「はい、あのですね、僕が学園に入学するときでした。父が病に倒れて、母がつきっきりで看病をすることになったんです。領の運営が徐々に、難しくなりまして。母の実家へ妹と一緒に、預けられたんです。しばらくの間、祖父と祖母にお世話になりました」
「そう、だったんだ」
「父が元気になれば、領へ戻る。そう予定していたのですが、父の容態は今も良くはありません」
「うん。俺もそう聞いてる」
「僕も、適齢期という言葉は良く知っています。妹とも話をしていましたからね。それは、一時期、憧れたことはあります。けれど、現実を見なければいけません」
「うん」
「母の実家、カフファルムもですね。雪深い地で、そこまで裕福な場所ではありませんでした。僕と妹の面倒を見てくれるだけで、とてもありがたかったんです」
「そうだね。うん」
「僕は在学中から、学園の総務課を通して、仕事を斡旋してもらいました。それが、ブルーマウント伯爵閣下の侍女だというわけです」
確かに、貴族とはいえ、裕福な家ばかりではないのは知っている。俺の領だって、厳しくないだけ。けっして余裕が常にあるわけではない。
「昨年、父の容態が徐々に悪くなってきたのです」
「うん」
「そのときに、僕、婿を迎えるように言われたのです」
「お婿さんを?」
「はい。僕は、ノザンリーブル辺境伯閣下のように強くはありません。爵位を継ぐような、度胸も器量もないんです。なのでせめて、妹だけでも、少しでも良いところへ嫁るようになればと、それだけを考えていたんですね」
「良い子だ……」
「はい?」
「あ、独り言だから気にしないで」
タニアちゃんはとても強かで、肉食の美しい獣。例えるなら、人を化かすと逸話の残る、
「僕の婚約者となっている方がですね。政務を手伝っていただける方を、送ってくれました。父と母は、とても助かったと言ってました。ですがその方は、漁場の管理なんかを全く知らなかったんですね」
「ありゃりゃ……」
「うちはご存じの通り、海上交易が主ですが、それは七割ほどで、残りの三割が水産業なんです。その三割が失敗しまして、上納税がそのですね……」
俺たち貴族には、上納税というものがある。領地を持つことが許されているから、そこで利益を上げ、国へ戻す責務があるんだ。上納税とはいえ、現金だけではない。うちは『粉塩』で収めているからね。
「財政を圧迫してしまって、正直言えば、生活が苦しくなってきて。貯蓄をですね、消費するばかりになってしまったんです」
「そりゃ辛いわぁ……」
「相手の方のですね、弟君がですね、成人してからでないと。うちへ婿入りできないからと、待たされることになるんです。あと五年かかるらしいんです」
「え? 五年も?」
「そのとき僕、二十八歳ですよ? ……適齢期超えてるんです。僕、つい先日、二十三になったんです。困っちゃいますよね、あははは」
彼女の表情、見るのに忍びないよな……。うちに姉さまだって、二十四のときに嫁いだから、とは言ってあげられない。それは、俺のせいでもあったから。
「実は僕、五年かかるって言われて、どうにもならないかもって思ったんです。そのときまで、うちの貯蓄がもつかわかりません。……ただそれは、少しおかしな話だったんですね」
「え?」
「僕は、母方の実家の姓を名乗っていたので、侍女として働きながら、色々話を聞くことができたんです。それは偶然でしたが、すぐにわかりました。弟さん、昨年末に十六歳になったんだそうです」
「なんて行動力――って、十六歳? なんだそりゃ? ブルーマウント伯爵家って、二十一歳で成人するのか? 二年を五年って偽るとか、何考えてるんだか……」
「ブルーマウント家に送られてきた僕の肖像画ですけど、お掃除をしているときに初めて見たんです。そしたら、なんと」
「なんと?」
「理由はわかりませんが、地味ーに描かれていました」
「あれまぁ」
「あまり有名な絵描きさんを雇えなかったんでしょうね。僕も結構地味ですけど。ブルーマウント家のご長男さんはおそらく、僕自身にご興味がないのかもしれませんね。ただ、辺境伯の地位は押さえておきたいのでしょう。だから……」
もう駄目だ。これ以上、彼女だけに喋らせてはならない、そう俺は思ったんだ。
「あそこの長男、確かカムデールって言ったっけ? あの人がね、俺を『魚臭い』って噂を広めている、一人なんだよ。そんなことまでやってたのか。ほんと、腹たってきたなぁ。……なんとかしてあげたいけれど。寄親の、伯爵家の頭越えて、手を貸してあげるのはどうなんだろう? すぐには難しいかな。何か良い方法があればいいんだけど――なんかもうごめんねとしか、今は言えないか……」
「あのっ」
「なにかな?」
「僕、提案があるんですけど」
「よし、何でも聞くよ。俺にできることだったら、何でも相談に乗るからさ」
「いいんですか?」
「うん」
「本当に、いいんですか?」
「お、おう。男に二言はないよ」
「……言質、とりましたよ?」
「う、うん。お手柔らかに、ね?」
「あはは。……レイウッドさんはね」
「う、うん」
「タニアさん。お嫁さんに、逃げられてしまったわけじゃないですか?」
「はっきり言うなぁ……、ま、色々あってさ。タニアちゃんは、異性としてはみられなかったんだ。結果的には、助かったって、言って良いのかどうか、悩むところなんだけどね」
「……あの、僕のことどう思います?」
「どう、って?」
「女として、です」
「いや、十分魅力的だと思うよ。夜会で会ったなら、もちろん声をかけさせてもらったところさ。まぁ、玉砕覚悟なんだろうけどね」
「そ、そうですか……」
「そういうことなら、良い機会だ。俺も聞いてみたい。俺のことどう思うかな?」
「とても、素敵な方だと思いますよ?」
「お世辞でもいいや。ありがとう。でもさ、『魚臭い』って噂知ってるでしょう?」
「そう噂されているんですよね? でも噂は噂です。僕には関係ありません。ぜんぜんそんなことないですよ。とても良い匂いがします。ここも、潮の香りが良いですね。僕の実家と、同じ匂いがしますから」
そうか、嬉しい。こんな風に見てくれる、女の子もいるんだね。
「そうですか。こんな僕でも、そんな風に――とても嬉しいです」
「うん。俺も、同じ気持ちだよ」
「あの」
「うん」
「僕を、お嫁さんにしてもらえませんか?」
「へ?」
その言葉は、俺には予想できなかった。固まってしまってもいいよね?
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