第7話 婚礼の儀式を迎えて。

 マイアラールナ教の教義に反する状態でない場合、基本的には『誰かと婚礼の儀式を挙げた事実を、公開しなければならない』という決まりはない。国をあげて祭りのように祝うのは、王家や公爵家、あとは侯爵家のような上位貴族くらいだろう。俺のような地方領主が、未だ独身であることなど、知らない人も多いが良い例だ。正直、面白みはないからね。


 母から聞いた婚礼の儀式。それは夜遅くから始まり、眠りに落ちる寸前まで祈りを続ける。途中、夕食を摂りながら、限界を感じた際は、寝所での睡眠が可能だという。翌日、新郎が迎えに来るまで新婦は眠っており、介添人が起こす習わしになっていた。その後、新郎が神殿へ入り、一緒に最後の祈りを行う。その祈りは昼間で続く。思ったよりも体力の必要な儀式であった。


 儀式が終わると、館などの母屋へ場を移し、家族、親族、一部の親しい人のみが呼ばれ、最初の披露の宴がしっとりと行われる。それは夜遅くまで続き、初めての夜、新婦と新郎で床を同じくする。朝目覚めて、これでやっと儀式が全て完了するのだという。改めて、家族から夫婦と認められるというわけだ。


 この後再び、披露の宴を開催しない限り、領主がどこの誰を娶ったか。新婦がどこの誰に嫁いだかが、わからないようになっている。いつ公開するか、どのような間柄まで公開するか。それは新郎の家族、新婦の家族が話し合って決めることであった。ちなみに、母さまのときには、披露の宴を再度行わなかったらしい。


 母さまから教わった話が多すぎたのど同時に、色々考えすぎたからか、全ての準備を終えても、すぐには眠ることが叶わなかった。明日の儀式は夕方から。寝付きが良くなるように、酒を飲んだ。とにかく深く眠りたかったからだ。酒がやっと効いてきたからか、それから俺は泥のように眠ることができた。


 昼を過ぎ、日が傾く少し前あたりで、アルフに起こされた。風呂に入り、身だしなみを整える。今夜は、普通の一張羅でいいはずと母さまから聞いていた。俺の本番は、明日の朝だからね。そのときに必要な衣装は、父さんが婚礼の儀式で着た、純白の礼服を直してもらった。俺の方が身体が小さくて、直しやすかったとアルフの母であり、先代執事マークの奥さんが言ってたそうだ。


 俺は居間に座って、落ちつく努力をする。お茶を飲む回数が増えるから、用を足す回数も自ずと増える。慣れていないから、落ちつけと言われても困る。更に日が傾いて、空が若干赤く染まりつつあったとき、アルフから、シーサイド子爵家の馬車が到着したとの報告を受ける。


 馬車から先に降りて来たのは、介添人と思われる侍女の女性。彼女は、黒いフード付きローブを羽織り、黒い半透明のヴェールを被っていた。先に降りて、馬車の入口へ深く一礼をしたままの姿でいる。御者席から、執事のジョルノールが回ってきて、馬車出入り口の段前で、手を差し伸べ待っている。馬車から遅れて降りてくるタニアちゃんは、ジョルノールの手を借り、取りゆっくりと降りて来た。


 タニアちゃんは白いローブのフードを被り、半透明のヴェールで顔が隠れている。彼女は、軽くヴェールを持ち上げると、俺を上目遣いで見上げるようにし、口元に笑みを浮かべる。


「レイ先生せんせ

「うん。タニアちゃん、だね?」

「そうですよ。私以外の誰だと思ったのです?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」

「ほんと、昔から変わりませんね」


 そう言いながら、ジョルノールから手を放し、俺の前に差し出してきた。俺は、タニアちゃんの手を受け取り、そのまま神殿へエスコートしていった。必要な荷物は、ジョルノールが持つ。そこまで大きな荷物ではないようだが、女性が持つには少々きつい。


 婚礼の儀式を行う神殿に到着する。


「中は、綺麗なお部屋ですのね?」

「昨日、懸命に綺麗にしたからね」

「あらそうでしたの。嬉しいですわ」


 俺たちの努力もあり、神殿の中はそれこそ、貴族であるタニアちゃんが宿泊しても不自由を感じないような、客間相当になっている。これならば、一晩過ごすのも大変なことにはならないだろう。


「タニアちゃん。その、本当にいいのかい?」


 俺は最後の確認をする。俺自身は未だに、タニアちゃんを結婚相手としてみることは難しい。やはりどれだけ綺麗に育っていたとしても、教え子で妹のような可愛らしい娘なんだ。


「レイ先生。しばしの間、お世話になりますわ」


 タニアちゃんなりの、俺への挨拶なんだろうか? その昔、俺に対して悪戯する方法を考えていたときが、こんな感じだったような気がする。ヴェールを下げているタニアちゃんからは、表情がもはや読めない。声が震えている感じはなく、肝の据わった強い子だなと、改めて思ったんだ。


「タニアちゃん、儀式の手順は大丈夫?」

「あら。心配してくださるのですね。大丈夫です。私は暗記物が得意でしたから」

「そうだったね。俺の教え子なんだから、優秀なのはわかっていたさ」

「褒めても何も出ませんわよ?」

「あははは。それは俺の台詞だよ」

「あら? そうだったかしら?」


 変な緊張をしてるわけでもなさそうだ。この扉の向こうは、明日の朝まで男子禁制。タニアちゃんと、介添えの侍女さんが食べるための夕食は、うちの侍女が作ってくれた。もしも疲れてしまって、眠れない場合のお酒も、少し用意してある。中は、寝所だけではなく、身を清めるための湯殿も備えてある。確かにちょっとした客間以上だった。


「では、レイ先生。また会う日まで、ご機嫌よう」


 本当につかみ所のない子だね。昔からこんな感じだった。おかげで、緊張がほぐれた感じがするよ。


「あはは。無理はしないようにね」


 そう言って、神殿の扉は閉められた。中から鍵がかかる、鈍い音も聞こえてくる。あとは、明日の朝、早い時間に起きて、タニアちゃんを迎えに行くだけだ。



「お館様」

「……ん? あぁ、そうだった」


 今朝は大事な儀式があるからと、アルフに起こしてもらう予定になっていたんだ。


 侍女たちに手伝ってもらい、礼服に袖を通す。生涯一度しか着ないから、父さまの着たものを直してもらったものだ。実に肌触りが良い。けれど少し重たいかな? 髪も綺麗にまとめ、姉からもらったいつも夜会のときにつけていた、とっておきの香油を使う。やっぱり落ちつくな、この香り。


 準備が終わり、軽い朝食を摂ってから、アルフの呼び出しを待つ。


「お館様」

「うん。時間だね?」


 俺は客間に作られた、仮の準備室から出ていく。緊張するわ。流石に。タニアちゃんは、どう思ってるんだろう? 家からの命とはいえ、あれから十八年。まさかこんなことになるとは思ってなかっただろうからね。


 廊下を通り過ぎ、今朝も裏口から外へ出る。領民の皆さんも知らない、秘密の儀式だからね。後で領民の皆さんにも、お知らせすることにするだろうさ。


 今日も冷えるね、春はまだ先かな? けれど俺は、長い冬をやっと抜けることができた。心温まる春はこれからだ、なんてな。海からの風が心地よい。潮の香りもいつも通り。これが『魚臭い』だなんてな。洒落の感性も感じられないぜ。


 さて、我が妹君の姿でも拝見しましょうか。一晩経った今でも俺は、タニアちゃんのことを異性として考えられないんだよ。こればかりは、時間が解決してくれることを祈るしかないね。


 長い距離を歩き、やっと神殿に到着する。出入り口にある、戸を軽く叩く――が、中から返事はない。


「あれ?」


 起きたら支度を終えて、軽く食事を摂る。その後、新郎を迎えるべく、内側から鍵を開ける習わしになってるはず。戸を軽く動かしてみる。鍵は開けられているようだ。


「失礼します、……よ?」


 緊張感、ないな俺。マイアラールナ様の青銅像の前には誰もいない。右奥を見る。うっすらと明かりがあるな。まだ準備できてない? いや、鍵開いていたし。どうしたんだろう?


「入り、ましたよ」


 『入りましたよ』とか、何言ってるんだ、俺? 緊張するにも程があるだろう。


 お祈りを捧げる祭壇の前を横切り、俺は寝所へ足を進めていく。薄暗い部屋の中に、灯された明かり。そこには逆光に照らされた、ベッドに腰掛けた姿が見える。白いドレスに同色のローブを羽織り、頭にはあれ? ヴェールを被ってない。でも、あの後ろ姿は見覚えのある、両方に垂れ下がった巻き髪。タニアちゃんの後ろ姿、……なんだけど。なんか、違和感がある。なんだか、髪の巻き方が緩い感じがするんだ。


「どうかしたの? タニアちゃん」


 話しかけても返事はない。何やら、肩が震えているようにも見える。あ、そうか。緊張してるんだ――と思ったら、やはりおかしい。そうだよ。介添人である、侍女の姿が見当たらない。


 違うじゃないか? 近づくとわかった。シルエットになっていて、わからなかったけれど。髪型は似てるが、髪の色が違う。このは、タニアちゃんのような金髪じゃない。落ちついて目をこらすとその違いがわかる。全体に青みがかった灰色、いや銀色の髪に近いのか? そこに金色の髪が少し混ざるような感じに見える。


 俺は彼女を驚かさないように、そっと正面に回ってみた。そしてたまたま、彼女と目が合ったんだ。


「……ぁ。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい」


 座った膝頭に両手を置いた状態で、その腕にも力が入る。緊張しているのか、感情が高ぶっていたのか? 急に謝り始める彼女。少し、タニアちゃんより大人びてるというか、低めの声。それでも、舌っ足らずなしゃべり方ではない。しっかりとした滑舌で、早口だけど聞き取りやすい。


「どうしたの? あれ? もしかして、介添人として来た人だったりする?」

「ごめんなさい。あの、ですね、……目を覚ましたら裸だったんです。どこを見回しても服が見当たらなくて。探しても探しても結局婚礼の儀式に使用する、この衣装しか見当たらなくて。髪がこんな風になっていて。仕方ないのでこれを着て、少し落ちついて。よく見たら、枕元にこれが置かれていたんです」

「二つ折りの紙? それが三通。どういうことだろう?」

「あの、これ。あなた宛ての手紙だと思うんです」


 俺は彼女から手紙のようなものを受け取る。二つ折りにされた、混じりけのない綺麗な紙。文を開くとそこには、見覚えのある筆跡。何年も教えたんだ、間違えるはずはない。これはタニアちゃんのものだ。そこにはこう書いてあった。


『ごめんなさい、レイ先生』


 短いが、そう書かれていた。


「……間違いなく、タニアちゃんの字だね。あの子なら、言いそうなことだと思う」

「妙にさっぱりしていますね」

「そうだね。ところで、言いにくいなら構わないのだけれど、その二通には何てあったのかな?」

「はい。一通は、タニアマリール、さん、からでした」

「うん。内容は、どんな?」

「『アンナさん、ごめんなさいね』。アンナとは、ワタ、いえ、僕の名前です」


 珍しいね、自身のことを『僕』と言う女性は。


「うん。続き、いいかな?」

「はい。『私はある理由により、レイウッド様と儀式を交わすことはできません』」

「うん」

「『あなたには悪いと思いますが、お茶に少し、混ぜ物を入れさせてもらいました』」

「うわ、酷いなあの子」

「『私が以前、悩みを抱えて眠れないと相談した際に、薬師が薦めてくれたものです。身体に悪いものが残ることはないと、言われている貴族でもよく処方される薬ですので、ご安心くださいね』」

「いやだからって、ねぇ?」

「はい。いつもより、ぐっすり眠れてしまいました。目覚めたときは、とても気分がよかったのです。……が、お手紙を読んだあと、凹んでしまいましたけれどね」


 そう、自虐的に笑うアンナさん。どこかで見た、親近感のある笑い方だね。


「他に何か書いてあったの?」

「はい。『レイ先生のこと、よろしくお願いします。私は、私より頭の良い男性は、苦手ですので』とだけ」


 なるほど、前に聞いた言葉だった。タニアちゃんは、俺にそんな風に思ってたんだ。そっかそっか、ちょっと凹むな。


「なるほどね。お願いされちゃったわけだ。状況から察するに、タニアちゃんは何らかの理由があって、夜のうちにこを抜け出して、どこかへ行った。そういうことなんだろうね」

「えぇ。おそらくは」

「それで、最後の一通は?」

「これがですね。とても腹立たしいものなのです」

「というと?」

「端的に説明するならですね」

「うん」

「僕への、解雇通告書。なんです」

「なんじゃそりゃ?」

「ですよね? そう思いますよね?」


 彼女は俺の方を向いて、ちょっと怒ったような表情を見せる。よく見ると、彼女の傍らに、麻の布と思われる、少々膨らんだ袋が置いてあった。


「その袋も?」

「はい。これにはですね、多分ですが、僕の今日までのお給金。聞いていたものより、少し多めに入っていました」

「それって」

「はい。おそらくは、口外しないように、口止めの意味もあるのかと」

「あー、なるほどね」

「でも、これっぽっちじゃ、足りないんです。まだまだ働かなければ、いけなかったんですよ……」


 アンナさんは、そう言うと俯いてしまった。凹んだというより、拳を握りしめて、怒りに震えている感じがする。腹に据えかねる状況だったんだろうね。


「……あ、申し遅れました。僕、アンナレミー・カフファルムと申します」

「あ、ご丁寧にどうも。俺は、レイウッド・シーヒルズ、です」

「はい。存じております」

「そっか、『魚のお方』だっけ?」

「何のことでしょう? エメロードいちの、まるで宝石のような塩を作ると言われている。シーヒルズ男爵領のご領主じゃないですか?」

「へ?」

「それにですね。僕、タニアマリールさんの、一学年上でして、レイウッドさんを何度もその……」

「あー、すれ違ってたんだ」

「はい。有名でしたよ? 入学した翌年から、常に首席だったと伺ってましたから」

「あははは。俺にはそれくらいしか取り柄がないから」


 そっか。そんな風に評価してくれている女性もいたんだね。ありがたいことだよ。


「タニアマリールさんも、入学早々。次席だったと聞いています。一学年下に、物凄い子が入ってきたと、噂になっていました。彼女の家庭教師が、あなただと知ったとき、納得しました。僕にもその、兄も姉もいなかっので。同時にですね、その。……ちょっとだけ、羨ましかったです」

「そっか。ありがとうね」


 確かに、俺の髪色も珍しいけれど、アンナレミーさんの髪も珍しい。そういえば、いたと思う。真っ直ぐに曲がることなく伸びた、長い髪の女の子が……。


 思い出話をしていると、なぜか話が弾む。なんだろう。こんな感じは初めてだった。


「それにしてもさ」

「はい」

「困ったねぇ」

「はい。困りましたね」


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