第10話 エピローグ。

 俺のときと同じように、アンナさんに頬を寄せようとするノワール。


「あ、ノワール。今は駄目だって。ヴェールがあるから」

『くぅ……』

「ありがとう、ノワールちゃん」


 残念そうにしているであろう、ノワールの首元にそっと抱きつくアンナさん。


「挨拶はそれくらいにしてね」

「あ、はいっ」

『くぅ』

「はいはい。恨めしそうに見ない見ない」


 ノワールが掴んできた、装具を取り付ける。きっと屋敷あたりで待っていたんだろうね。


「ちょっとごめんね」

「はい――ふわぁあああっ」


 ひょいと持ち上げ、俺はアンナさんを横抱きする。すると彼女は、俺の胸あたりに両手でぎゅっとしがみつく。どうしたんだ? もしかして急に抱え上げたから、怖がらせてしまったのか?


「ご、ごめんね。大丈夫だった?」


 俺が声をかけると、アンナさんは顔を上げて上目遣いになる。泣き出しそうになっているのかと思ったら、少し驚いていただけのようだった。次第に彼女の口角はみるみるうちに上がってきて、今日一番のとても可愛らしい笑顔になっていく。


「まるでお姫様みたいですね。……僕、ちょっとだけ憧れていたんです」

「そうなんだ? これくらいなら、いくらでも」

「見た目より、力あるんですね。驚きました」

「そりゃそうだよ。俺はこう見えても、海の男だからさ」

「そうですね。僕だって一応、海の女ですから」

「そりゃそうだ」

『くぅっ』


 ノワールは『無視しないでよ』と言わんばかり。


「あ、ごめん」

「レイウッドさんが悪いんですよ?」

「嫌だった?」

「いえ、たまにはこうして……」

『くぉおぅ』


 彼の声は、少し呆れているようにも思えた。俺が何かやらかしたとき、こうして呆れることがあったっけ。はいはい、さっさと移動しようかね。


 ノワールは、俺たちが乗りやすいように、地面に伏せてくれていた。俺は彼女を横抱きにしたまま、彼の背に跨がる。


「アンナさんは初めてなんだ。あまり揺らさないようにしてくれよ?」

『くぅう』

「よし。ノワール。屋敷まで頼んだ」

『くぅっ』


 ノワールは、軽く羽ばたいただけで、あっという間に領の上空へたどり着く。目下には、これまでいた神殿の屋根が見えていた。ここから見える、雄大な海。この高さからなら――。


「うわぁ。凄い凄い凄いっ」


 アンナさんは、高い場所が苦手ではないようだ。アルフには彼女を見習って欲しいものだよ。海岸線に沿って、東側を見る。本来なら山に遮られている場所も、この高さなら見えるというものだ。


「あ、僕の家。見えるかな?」

「方角はあっち。ほら、あのあたりに見えないかな?」

「あ、見えました」

「ほんと?」

「あはは。そんな気がしただけです」


 山に阻まれた道筋も、空であればお隣同士。何かあったら飛んでいけるね。今度からなら。


「このまま飛んで、アンナさんのお父様とお母様へ、報告に連れて行きたいところだけど、今はちょっとだけ我慢してね?」

「大丈夫です。父も母も、わかってくれるはずです」

「ありがとう。近いうちにこっそり、妹さんには会いに行けるだろうからさ」

「ノワールちゃんも一緒ですか?」

「もちろんだよ。王都でしょう? さすがに馬車では行く気はないよ」

「やった。あの子も喜ぶと思います」


 俺たちを振り落とさないよう、細心の注意をはらいながら、ノワールは屋敷の屋上へ着陸する。裏口と同じように、ここにも俺たち家族だけが使う入口があるんだ。


 ノワールの背から俺が先に降りて、アンナさんに手を差し伸べる。


「ノワールちゃん、ありがとう」

『くぉぅ』


 アンナさんはノワールに一度抱きついてから、俺の手を取ってゆっくりと降りてくる。実は俺、彼女の手を握ったの、初めてだったりするんだよね。柔らかいけど、ちょっとだけ荒れてるかな? 仕事は仕事と、真面目に働いてたんだ。働き者の手だよ。彼女のようなお嬢さまは、なかなかいないと思う。そうだ、あとで母さまに相談しよう。


「ありがと。じゃ、またあとで」

『くぅっ』


 ノワールは山へ帰っていく。アンナさんと俺は、一緒に彼を見送る。


「まるで人のように。いえ、それ以上に、僕たちの言葉を理解しているんですね」

「そうだね。もう二十四年も一緒にいるから。ノワールあいつも生まれたばかりのときは、こんな大きさだったんだよ」


 俺はそう言って、両手の手のひらを合わせて見せる。


「へぇ……。あそこまで大きくなるんですね」

「一歳になるあたりで、六歳の俺を乗せて、膝くらいの高さを飛んでたからさ」

「可愛かったんでしょうね。それは見てみたかったです」

「ノワールが? それとも俺が? ……いやいや。俺が六歳のときって、アンナさんは、生まれてたかどうか微妙なあたりじゃない?」


 俺が二十九歳。アンナさんが二十三歳。俺が六歳のときは、どうだっただろう? あれは確か春だったから。ぎりぎり生まれてたかもしれないけどね。


「あ、そうでした」

「そのうち見ることができるかもしれないよ。どこかの山から、ノワールもお嫁さんをみつけてくるだろうからね」

「そうなんですか?」

「うん。ノワールの父親、グリメルって言うんだけど、俺が生まれるまえに、お嫁さんを探しに行ったんだ。そうして、連れ帰ってきたのが、ノワールたちの母親、グリメルだったんだ」

「凄い――あ、でも。シーヒルズの霊鳥って、どこから来るんでしょう?」

「そうだね。この山のどこかか。それとも、セントロードか、ノザンロードの山かもしれない。ノワールが寝てるところは、その山の奥か、うちの庭先なんだけどね」

「はい」

「ノワールたちはもの凄く頭が良い。その上、昔から一緒にいてくれる家族なんだ。彼らも俺のことを、どこから見てるかわからない。だからね、恥ずかしいことなんてできやしないんだよ。真面目にやらないと俺も、姉さまに怒られてたからね。するとあいつ、さっきみたいに呆れるんだよ」

「なんだか、羨ましい関係ですね」

「ありがとう。あ、そういえば俺が小さいときにね、ノワールと喧嘩して、三日ほど顔を見せなかったときもあったんだよね」

「あらら……」

「あいつ、お姉ちゃんのホワイティアに蹴飛ばされて、俺も姉さまに怒られて。それでやっと仲直りしたことがあったんだ」

「本当に、人間のようですね」

「うん。凄く人間くさいやつなんだよ」


 屋上にある出入り口のドアを開ける。するとそこには、アルフが待っていた。


「げ、アルフ。なんでここにいるのさ?」

「お館様の行動は予想できますので――あれ? タニア様は、どちらに?」


 驚いた俺の声に反応してか、横にいたアンナさんは、いつの間にか後ろに隠れてしまったようだ。アルフが回りを見回しているけど、そこにタニアちゃんの姿があるはずはない。


「あー、タニアちゃんね。うん。夜の間に逃げられた、んだと思う」

「はい?」

「うふふふ……」


 アンナさんは、俺の背中にしがみついて、笑ってるし。きっと『逃げられた』に、反応したんだろう。酷いよ、軽く凹むよ?


「あ、また笑う」

「だって」

「ところで、後ろのお嬢さまは、どちらのお方でしょうか?」

「あ、そうそう。俺、お嫁さんもらったんだ」

「はいぃいいいっ?」


 ここまで取り乱したアルフを見るのは初めてかもしれない。


「驚いただろう? 俺だって驚いたんだから」

「あ、あの。僕は――」


 俺は『俺が紹介するから』と、振り向いて右手で彼女を制した。


「彼女の名前は、アンナレミー。シーロード辺境伯閣下のお嬢さまだよ。アンナさん、彼は俺の執事でアルフレ――」

「な、なんですとぉっ!」


 アンナさんは、ヴェールを持ち上げて、改めて挨拶。


「初めまして。アンナレミー・シーロードと申します。色々ありまして、僕も置いて行かれてしまいまして……」

「こ、これは一大事です。大奥様を呼びに――」

「あ、俺たちの食事も頼むよ」

「かしこまりました。あ、申し遅れました。わたくし、お館様の執事で、アルフレッドと申します。アルフ、とお呼びください」


 アルフは振り向きざまに俺たちに一礼すると、姿勢を正す姿を見せずに、あっという間に消えるようにしていなくなってしまった。


「あ、あれ? いなくなっちゃった」

「あー、アルフはね、移動するときに、無理矢理身体強化の魔術を使うんだ。ほんと、忙しいヤツなんだよね」

「そういうものなんですか?」

「うん、すぐに慣れると思うよ」



 俺たちが食堂で軽い食事を済ませ、温かいお茶を飲んでいると、屋上に通ずる出入り口から母さまたちが降りて来たみたいだ。その顔は、驚きよりも物凄い笑みが――。


「でかしたわ、レイウッド」


 来るなり、後ろから俺を抱きしめる母さま。


「あ、あの。初めまして。僕、アンナレミーと申しま――」


 アンナさんが言葉を言い切る前に、母さまは俺から離れて、彼女を抱きしめた。


「レイウッドの母、オフィーリアよ。ありがとう。大丈夫。全部私に任せておきなさい」


 遅れてやってきた父さま。


「レイウッド、その方は?」

「はい。僕のお嫁さんです」

「カインズさん、シーロード辺境伯閣下のお嬢さまよ? レイウッドったら、大手柄をあげたわ。これで全て繋がるというものよ」

「なんとっ! いや、そうなると、ブルーマウント伯爵閣下のところでは……」

「そうね。まさにざまぁ見ろという感じになるわ。いい気味よ。さぁて、これから忙しくなるわ。明日にでも私、お姉様に報告してくるわね。喜ぶわよ、きっと」

「母さま、どうしてそうなるの?」

「レイウッド。あなたこのままいくとね、辺境伯になるしかなくなるわよ」

「へ?」

「だって、ねぇ?」


 母さまは、アンナさんをじっと見る。すると。


「はい。そうしていただけると、僕も助かります」

「いや、だってさ。俺、こっちの領主――」

「両方面倒みたらいいでしょう? できないとは言わないわよね?」

「やりますよ。やればいいんでしょ?」

「そうよ。男の子は、そうでなくちゃね。それにね、レリーシャのところの下の子が大きくなったら、こっちを継いでもらったら、いいじゃないの?」

「レリーシャさま、ですか?」

「あ、レリーシャは、俺の姉さまの名前ね」

「そうだったんですね」

「うん。……あ、姉さまの子たちって、去年生まれたばかり――」

「で・き・る・わ・よ・ね?」


 アンナさんの手前、できないなんで言えるわけないのを知ってる。母さま結構きついよそれ。


「――あぁわかったよ。十七年、俺が頑張ればいいだけだから」

「わかってるじゃないの。大丈夫。アンナさんも手伝ってくれるわよね?」

「はい。もちろんですっ」

「あ、でも母さま」

「何かしら?」

「このままいくとさ、タニアちゃんがブルーマウント伯爵家を――」

「あー、……あの子ならきっと、そうするでしょうね」


 母さまも、俺と同じことを考えてるみたいだ。


「ぇ?」


 アンナさんは、きょとんとした表情になる。


「あ、だからか。あのときの『また会う日まで、ご機嫌よう』って、そういう意味なのかも」

「どういう意味ですか?」

「だってさ、『私より頭の良い男性は、苦手ですので』って書いてあったでしょう?」

「はい」

「それならさ『私より頭の良くない男性』なら?」

「『得意』、という意味なのでしょうか?」

「そうなんだと思う。だからタニアちゃんは、適齢期になっても結婚しなかった。最初からそのつもりだったのかもしれないよ? あの子はほら、同期の貴族子弟を差し置いて、ぶっちりぎりで主席だったくらいだから、ね?」

「あ……」

「あの子は本質的に領主思考の持ち主なんだと思う。俺は小さなころから知ってるからさ。実家はね、弟さんを思って譲ったんだと思うけど、きっとブルーマウントは美味しくいただいちゃうのかもしれない」

「ひぇっ」

「彼女の性格というか、本質はね。どう表現したらいいかな? そうだ、『加虐性変態性欲者』って概念、知ってる?」

「はい。学園の書物で読んだことが――って、まさか?」

「そのまさかだよ。なんせほら、彼女の第一声が『馬になって』だったからねぇ。俺に乗ろうとしていたときの、四歳の彼女の恍惚としたあの表情。あれは背筋が寒くなった。ある意味ちょっと怖かったね……」

「想像できてしまうのが怖いです……」


 いますぐどうこう、というわけではない。あくまでも、予想でしかない。ただ、どっちにしても、母さまも何か手を打つらしいから、ブルーマウント伯爵家の未来は、明るくはないだろう。


 俺とアンナさんの披露の儀式は、身内のみで行われることになる。シーロード辺境伯家にも、内々に使いを出すとのことだった。しばらくは、二人の仲を公言できないだろうけど、それは仕方のないこと。それでも、俺を支えてくれるアンナさんがいる。


「さて、と。これからはさ、自重しなくてもいいわけだよね」

「どういうことですか?」

「だってさ、シーロード家の分も稼がなきゃならないんだよ? 塩の製造も、今まで以上に頑張るつもりだし。元々、市場を独占できるほどの品質で、他の領に負けない商品なんだ。今までは遠慮してたけど、そんなこと言ってられない。水産加工にも力を入れるつもり。うちの領にはない海産物もあるだろうし、面白くなりそうだよ。夢が広がるな、これは」

「良かったです」

「何が?」

「あの、何も出来ないカムデールさんじゃなくて」

「あー、あのねちっこいやつかー」

「ぷぷぷぷ……。確かにそんな感じでしたね。あの人の目、嫌ーな感じだったんです。僕の胸元を見て、ふんって鼻で笑うし……」

「失礼なヤツだな」

「そうですよ。それにタニアさんみたいな人は、そうそういませんって。しまいにはお尻触ろうとしてくるし。あ、ちゃんと避けましたよ。でも本当に触ってきたら、火あぶりにしてやろうと、思ってたところだったんです」

「火あぶり?」

「僕の家の魔術特性は、火なんですよね」

「あ、それなら、『逆転作用』使えるよね?」


 俺の風を逆転させると、湿が乾になる。アンナさんの火を逆転させると、熱が冷になる。逆転作用とは、そのような魔術の高等技術なんだ。


「はい。夏場暑いときに、冷たいものを飲めるから便利ですよね。どっと、魔力減りますけど」

「そっかそっか。それなら魚介類の輸送。乾物以外でできそうだな……」

「なんですか? 何か面白いことを考えているんですか?」

「うん。更にお金儲けができるかもだね」

「それは良かったです。これで妹をお嫁さんに出せそうですから。あ、あの」

「どうしたの?」

「あとで、ノワールちゃんと遊んでもいいですか?」

「いいよ。きっとあいつも喜ぶと思う」

「やったっ!」


 今まで苦労してきたアンナさん。少しでも笑顔でいられるように、俺も気をつけていくつもりだ。これからは俺も大変だ。いつも以上に仕事も増えるだろう。なに、一人じゃないから、いくらでも乗り越えられるさ。


「お館様。宴の準備が整いました」


 これから俺の家族だけで祝うことになる。いずれ、アンナさんのご両親にも、妹さんにも挨拶にいかなければならない。


「わかった。じゃ、行こうか?」

「はいっ」


 俺はアンナさんの手を取って、食堂へ向かう。今ごろあっちでタニアちゃんは『餌のいらない仔猫を飼っている』んだろうね。虎視眈々と、攻め入る機会を伺ってるのかもしれない。いつ爆発するかわからない、火の魔術みたいなものさ。綺麗に焼けてしまうころには、俺を『魚臭い』と腐す元気などなくなるんだろうね。


「絶対に逃がしませんよ。レイウッドさん」

「あれ? 俺が捕まったってやつなのかな?」

「そうですよ。僕のお婿さんなんですから」

「俺のお嫁さんじゃなかったのかな?」

「そうとも言いますけどね、あ」

「何?」

「タニアさんが、『タニアちゃん』なのに、僕が『アンナさん』はずるくないですか?」

「んー、じゃ。アンナちゃん。これでいい?」

「ぅはっ。ちょっと恥ずかしいかも」

「アンナちゃん。アンナちゃんアンナちゃんアンナちゃん」

「やめてください、くすぐったいんですってば。まるで子供みたいですよ?」

「ごめんなさい……」

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猫かぶりな狐令嬢と灰かぶりな狼令嬢 ~優しい領主の嫁取り騒動記~ はらくろ @kuro_mob

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