猫かぶりな狐令嬢と灰かぶりな狼令嬢 ~優しい領主の嫁取り騒動記~
はらくろ
第1話 夜会は苦手です。
袖口を鼻先にもってくる。すんすんと匂いを確かめる。うん。好きな匂い。大事なときにはいつも纏っているヤツだ。逸りそうになる、俺の気持ちを落ち着けてくれる。
俺の背は、平均よりほんの少し低いかもしれないが、見た目はそれほど悪くはないらしい。十年前に王都住みの子爵家へ嫁いでいった、五歳年上の姉さまは、『あなたはね、身だしなみをしっかりしていれば大丈夫。大柄で強面なお父さまではなく、優しいお母さまや、わたくしに似ているんですからね』と言ってくれた。父さま似ではなくて、俺も正直ほっとするときがある。
俺の名はレイウッド・シーヒルズ。二十九歳独身。我が国最南端にある男爵領を引き継ぎ、地方領主となって早十年。これから王都で毎年行われている、
うちの領は、小さい故にそこそこ忙しく、領民の皆さんのためにと、俺も毎日外で汗を流している。俺自身が、領の収益の一部を賄っているからか、執務室でふんぞり返っていては成り立たない。そのため、普段は少々サボりがちだけど、今朝は身だしなみを整えられてしまう。母さまと姉さまゆずりの亜麻色の髪も、家人たちに押さえつけられてきちんとさせられた。
執事のアルフを筆頭に、侍女達までいつもより真剣だった。正直怖く感じるほど、迫力があって逆らえなかった。女王陛下に謁見してきた後だから、一張羅を着ている。領の財政が潤沢と言えないから、俺の懐も常に潤っているとは言いがたい。だが、そこまで貧乏ってわけじゃないから、生地も一等品を使って仕立ててあるんだ。
匂いだって気にはしている。少し前に流行した『新緑の香油』をつけてるから。なんでも春先にしか摘み取ることができない香草を使ってるとか。俺が成人を迎えたときに、姉さまが贈り物としてくれたんだ。飾らないけど、嫌みのない匂いだって言ってた。
王都にしか売ってないのと、お安くないのもあって、シーヒルズの雑貨商では取り扱いがない。だから王都に来るときだけの、ちょっとしたお洒落のつもりで利用させてもらっている。
戦闘準備は完璧。よし、玉砕覚悟で今日も頑張りますか。
お、……あれに見えるは初顔の、目元が優しく、可愛らしいお嬢さま。おそらく学園を卒業したばかりだろうか? 彼女の横には紳士方はいない。おそらくは、牽制し合っているのだろう。では俺が先に、声かけさせていただきましょうかね。
「麗しいお嬢さま。お時間を少々、よろしいでしょうか?」
「はい。いかがされましたか?」
よし、つかみは大丈夫、かもしれない。うんうん。笑顔が可愛いね。
「お初にお目にかかります。私はサザンロードの南にある、小さな――」
「えぇ。存じておりますわ。確か、……『魚のお方』で、よろしかったかしら?」
またこれか。確かに俺の髪色はこの国では珍しい方だ。だからって別に、匂いが染みついてるわけじゃないんだよ。ほら、香油だって、良い香りだからさ。それなのに、彼女の眉がハの字になっていらっしゃる。
おまけにじりじりと、後ずさってますよ。俺が何をしたって言うんだろうねぇ? ――と、軽く落ち込みそうになっているときに、俺とは違う男性の声が聞こえる。
「――失礼。美しいお嬢さま。わたくしめの話を聞いて、いただけないでしょうか?」
あぁ。呆然としてる間に、横から海鳥みたいな、手の早い男性にかすめ取られてしまったよ。
「えぇ、ありがとうございます。是非、聞かせていただきとうございますわ。では、失礼いたしますね。シーヒルズ男爵様、ご機嫌よう」
「あ、はい……」
笑顔が可愛らしいけれど、『魚のお方』は、ないよね。無邪気に胸をえぐってくる。凹むわ……。そういえば、名乗るところまで話は進んでないはずなのに、名前、知られてたわけでしたか。俺は良くも悪くも、有名だったんですねぇ。
俺よりかなり若い、どこぞの領地の跡取りなのか? 俺を見て、自慢げに鼻を鳴らして連れ去っていったよ。
はぁ……。やってらんね。よし、諦めたら終わりだ。次ですよ次。将来のお嫁さんを探しにいざ往かん。
▼
我が国の国教は、慈愛を司る女神マイアラールナ様を崇拝するマイアラールナ教。マイアラールナ様が説いたとされる『生涯一人の女性を愛し、生涯一人の男性を慈しむ』というお言葉。
父さまも母さまも、家が決めた婚礼だったと聞く。だが父さまは、『母さまが運命の女性』だと、強面の顔で照れながら言う。母さまは、『父さまはこう見えても可愛らしいところがあるのですよ』と、いつも微笑んでいた。そんな仲の良い両親から、俺も姉さまも小さなころから、異性を大事にしなさいと教えられた。
だから、たった一人でいいんだ。誰もチヤホヤされたいなんて言わない。俺を偏見なく見てくれる女性に巡り会えたら、彼女を一生大事にしたい。それだけなのに、今夜も十戦十敗。父さまに剣で挑んだときのように、完封負け。
お嬢さま方は皆、声を揃えて『魚のお方』ですよ。だめですわ、今日も。これで何年目だろうね? ごめんなさい、姉さま。俺、今年もまたひとりぼっちだよ。
「あ、あのっ」
「はいはい」
女の子の声が。俺に話しかけてくれた。千載一遇のチャンス――
「失礼いたします。その、……お飲み物は、いかがでしょうか?」
「あー、そっか。うん、ありがとう。いただくよ」
苦笑いを隠せないでいる彼女は、給仕をしてくれている、
いやはや、『わたくしを見てくださる?』という気概のあるお嬢さま方、ご婦人の方々は、本当に美しいねぇ。だたどの微笑みも、俺に向けられることはないけれど。
紳士淑女の皆様は、この夜会に来る前に、なぜか既に俺の噂を知っていたりするんだ。どのお嬢さま、ご婦人にお声をかけさせていただいても、苦笑されて『魚の――』だよ。いったい誰が、入れ知恵してるものなんだかな……。
侯爵閣下とその奥様が主催されている夜会だけに、酒も食べ物もシーヒルズでは手に入らない上等なものが出てくる。今夜も軽く凹んだ俺は壁際に立って、給仕から受け取った果実古酒を口に含む。
房珠果と南洋黄果の原酒をブレンドしたこのお酒。物凄く旨いんだけど、グラス一杯で、うちの塩樽一つよりも高いんだ。こうしてご馳走になる場面じゃないと、正直飲む機会なんてありはしない。
旨い酒、上品な料理。耳に優しい音楽。見目麗しいお嬢さま方と、ガチガチに固まりそうになっている若い
この場で、何組のカップルが誕生するんだろうか? まぁ今夜の俺には、縁のないことかもしれないのだけれど。奥方を連れた既婚者もいるけど、独身の男女が主役のこの夜会。ここで仲良くなって、交際を経て一緒になる人も少なくないんだ。だが俺は、打ちひしがれてこの状態。
壁にもたれて、グラスの中の果実古酒の表面を波打たせる。こうすると香りがたち、見た目、嗅覚、味での三度楽しめると、前に父様がそうしていたのを思い出す。
そんなことを思い出しながら、目前に広がる光景をぼうっと眺めていると、俺の立っている場所からはちょうど反対側。このホールの入口に当たる場所にある、両開きのドアが開いたように見える。
しばらく前に、侯爵閣下と奥様が挨拶の後に中座したばかり。同じ扉から出て行かれたのを俺も知っている。だからだろうか。侯爵閣下が戻られたのかと、開こうとするドアに皆の注目が集まる。するとそこには、予想もしなかった人物がいた。ある意味侯爵閣下の奥様以上に目立つ存在だったわけだ。
このホールはそれなり以上の広さがあるが、今夜出席してる人数もそれなり以上いるものだがら、見通しが良いとは思わない。紳士淑女の皆様が、『彼女の行く道を妨げてはならない』と、言っているかのように、ドアから離れるように移動していく。そのおかげで、彼女の姿がはっきりと見えてきた。
年の頃は俺よりかなり若い。二十歳を超えたあたりだろうか? 遠目で見ても、異彩を放つと思えるほどに、とても目立つ存在だった。
金髪で、前髪を眉の少し下で真っ直ぐに切りそろえてある。何より特徴的なのは、側頭部よりやや上。まるでつむじ風が踊るような、両側から垂れ下がるボリュームのある巻き毛。
毎日どれだけの時間を割いているかと思えるほど、特徴のある髪型だ。あれは手がかかっているだろう?
首元から両脇へ綺麗なラインが流れ、両肩が露出している以外は、純白の質素な
まぁ、俺はそれほど興味ないんだけどね。俺の理想は、俺と一緒に領内を飛び回ってくれるような、活発な女性なんだ。
貴族の若い紳士たちは、つい声に漏らす。お嬢さま方は、ため息をついてしまうほどの存在らしい。
そんな彼女は、ホールの中ほどまで歩いてくる。足を止め、ゆったりと回りを見回しているようだ。あれ? どこかで見たことがあるな。どこだったか? 思い出そうとするが、あれほど美しいお嬢さまは、忘れるわけないんだけれどね。普通の紳士だったらの話だけど。
お? 物凄い笑顔。お探しの人が見つかったのだろうかね?
「申し訳ございません。通して、いただけるかしら?」
よく通る声だこと。あれ? どっかで聞いたような? あ、こっちに歩いてくる。
彼女は、俺の目の前で足を止める。あ、俺、邪魔かな? その場を移動しようとしたそのときだった。
彼女は軽く右足を引き、両手の指先で、ドレスの裾を持ち上げると、俺に対して軽い会釈をするんだ。会釈を終え、顔を上げた瞬間。透き通るような白い肌に、薄く引かれた紅が艶やか。
彼女の口元。俺から見て右側の口角。そのやや下あたりに鎮座する、可愛らしいほくろ。
「ご無沙汰しております」
「え? 俺、ですか?」
「えぇ。お忘れですか? レイ
「あ、あぁああああ」
俺は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。なにせ彼女と初めて会ったのは、十八年も前のこと。俺をこのように呼ぶのは、一人しかいないはずだ。
「思い出していただけたようで、嬉しく思いますわ。最後にお会いして、もう十年以上経つのですね。
「もしかして、タニアちゃ――」
「もう、子供ではありません。タニアマリールとお呼びくださいまし」
彼女は俺の口へ、右手の人差し指を当てて黙らせる。そういえばいつもこうだったっけな。
「悪かった――いえ、申し訳ございません。タニアマリール・シーサイド様」
俺は右手を胸に当て、その場で深く一礼をした。
「ん」
俺が顔を上げると、タニアは右手を俺の前に差し出したまま、じっと俺を見ている。ちょっとだけ嬉しそうな笑みを浮かべていたのは、本名を呼ばれたことに気をよくしたんだろう。
「え?」
「エスコートしていただけないのかしら? このままですと、腕が痺れてしまいますわ」
「あ、あぁ。済まない。つい」
俺は彼女の手を取る。目を細めて満足そうにしているタニア。
「それで、どうすればいいの――いや、いいのでしょうか?」
言葉に詰まってしまう。その昔、彼女には敬語を使うなと言われたことがあるからだ。だが、ここは夜会の場。彼女は子爵令嬢で、俺は男爵。立場上、俺の方が下なのだから。
「ここは夜会の場。耳障りの良い音楽もあります。踊っていただけたら、嬉しいですわ」
「そ、そうでした。では、一曲お付き合いいただければ幸いです」
「えぇ。よろしくってよ」
彼女の手を取って、ホールの中央へ。
タニアは中堅貴族、子爵家の長女。貴族の子弟やご令嬢。大店の跡取りなども通う、王都にある王立学園を、二年前に卒業している。
在学期間中も、当時からその特徴的な髪が有名で、美しく育った彼女は、紳士たちからの求愛の申し出が後を絶たなかったと聞く。だがその申し出も、ことごとく断りを入れたと噂になった。
俺たちに注目する紳士たちからは、『あの、タニアマリールさんだよな?』『魚臭い貧乏貴族になぜ?』など。俺を腐す言葉が、方々から聞こえてくる。そう思われてきたんだから、別に否定はしないよ。良きにせよ悪しきにせよ、この落ち込んでいた状況の俺には、渡りに船だった。
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