一言の正しさは、口走ってから判明する

どちらを選ぼうか、曖昧な気持ちを持ち余す時は、誰にだってある。
どちらが正解かなんて、見方によって変わるし、それも現実にならなければわからないし、だから人は悩み、相談する。

答え合わせとは、回答した後に合わせるから、答え合わせだ。先に正しいかどうかなんてわからないまま、自分が正しいと信じた答えを、言葉を回答する。
答え合わせしてわかるのは、正しいかそうでないかではない。正しかったのかそうではなかったかのどちらかだ。
正しかったのかそうではなかったかの結論は、現実は、後から覆せない。後の行動で埋め合わせはできても、その事実はけしてなくならない。

その残酷さは、まさしく現実そのもので、誰も悪くないのに、幸せが溢れ落ちる。哀しいまでの真理は、日常にあるものだ。

まざまざとその現実を、このモモだった彼人と、ジジだった彼人は、思い知らせてくれる。