手のひらに収まるくらいのシンプルな硝子ガラス瓶――を満たす、ときおりきらめく薄青色の液体を見つめ、ハルカが小さなため息をついた。


「……綺麗きれいですよね、青春って」

「……おい。ちゃんとしまえ」

「わーかってますって。チェックですよ、チェック。漏れてないかとか」

「丁寧にやれよ?」

「うぇーい」


 返答の軽さとは裏腹の慎重な手付きで、試験管立てのようなホルダーに瓶を並べていく。管理番号ラベルを貼り、一本、二本、三本。

 澄んだ目をした少年の、十六歳から十九歳までの三年分――

 

「三千五百万かぁ……」


 ハルカは唇をひん曲げ、ホルダーのふたを閉じ、固定ベルトを引っ張った。


「……もったいないですよねぇ」


 バン! と、スライドドアを閉め、当然とばかりに助手席に滑り込む。


「……にゃろう……」


 キヨハルは誰に言うでもなく呟き、運転席に座った。まぶたを閉じれば少年の瞳が思い起こされるようだった。鍵を回し、息を吐き、パーキングブレーキを外した。


「もったいないか決めるのは、あの子だろ」

「……十六から十九ですよ? いっちばん楽しい頃じゃないですか」

 

 相槌を打ちつつ、ナビに事務所までのルートを入れた。


「俺はあんま楽しくなかったな。ぼっちだったし」

「へぇ。キヨハルさん……ぼっち!? キヨハルさんが!?」


 ハルカが頓狂な声をあげ、眉を大きくくねらせた。


「えぇ!? ほんとですか!?」

「うっせぇな! でけぇ声だすんじゃねーよ!」


 キヨハルは宣伝ソングの音量を下げ、電子タバコを唇に挟んだ。スイッチを入れ、コイルの加熱が終わるまでに窓を下ろし、濃密な水蒸気の煙を吐く。営業車は原則禁煙だが創業当時から使っている一号車だけは別だった。


「学費を稼ぐほうが大事だったんだよ。友達ゴッコとか、恋人ゴッコよりな」

「ゴッコって」

「あの頃はそう思ってたんだ」


 金を稼ぐうちに疑問が湧いた。働くのが俺の青春なのだろうか。それとも、青春を金に変えているのだろうか。


「考えたよ。大人になって後悔しないか。買ってでも青春したくなるんじゃないか」


 考えて、考えて、考えて――気づいた。

 これは商売になる。大変な商売に。

 若きキヨハルは人生の岐路に立たされた――いや、自ら望んで立ったのだ。


「ま、今にして思えば楽しかったわ。あン頃は血ィ吐くほど悩んだけど」

「へぇ……って、血ィ吐いたんですか!?」

「食いつくのそこかよ。まぁ、いいけどよ」

 

 実際、そこが一番重要だ。無自覚に核心をつくからハルカは雇われている。

 今なら青臭いと笑うが、当時のキヨハルには青春の売買なんて最低の行為に思えた。間違いなく稼げる。でも商売にしたら人として終わるのでは――と。

 答えを出すまでがキヨハルの青春だったのかもしれない。

 ハルカが、スマホをいじりながら言った。


「なーんか、こう、年末だからなんですかね? 青春ってなんでしょうね」

「……後ろに積んでんだろ」

 

 素っ気なく言い、荷台カーゴ化した後部座席を指差す。今日一日で回収してきた幾年分もの青春と。抽出機器と。積みっぱなしの注入機器と。

 ハルカは窓枠に片肘をついた。


「じゃなくて。青春ってなに? っつー話ですよ」

「……なにが分かんねぇのか分かんねぇ」

「だーかーらー、」


 ハルカはブンむくれつつ運転席の側に首を振った。


「三年分で三千五百万ですよ? 売るときは億いくじゃないですか」

「そらな。利益ださねぇとだし」

「てことは」


 ハルカは空中に箱を置くような仕草をした。


「あの子だって自分で使えば三千五百万以上の――」

「――それが分かるやつは売らねぇよ」

「んえぇっ!?」


 キヨハルの即答で、ハルカは眉間に深い谷を作る。

 車は経費節約も兼ねてガラガラの下道を進んでいった。


「――ひと昔前に行動経済学ってのが流行ってな」

「なんですか、突然」

「お前が聞いたんだろうが」


 キヨハルは辛い香りの煙を吐いた。


「ガキの頃『勉強しろ』って言われたろ。後悔するぞって」

「ああ、まぁ、そうですね」

「それが行動経済学だよ」


 人間は価値を判断する際に、時間的距離を重視してしまう。近ければ近いほど高く見積もり、遠ければ遠いほど低く見積もる。

 まさに『時は金なり』だ。

 青春の価値は過ぎてみないと分からない。そして、その青春が――


「――あ、ちょっとすいません」


 ハルカがスマホを耳に押し当てた。口振りからするに会社からの電話らしい。はぁはぁ、ほぅほぅ、と相づちを打ち、急に、


「はぁ!? マジですか!?」


 と、声を荒らげた。キヨハルは嫌な予感をおぼえ天をチラっと上目見る。曇っていた。風も強い。きっと寒い。

 ハルカが電話を切り、心底嫌そうに振り向いた。


「キヨハルさん。残業代とか、特別手当とか、出ます?」

「……先に理由を言えよ」

「注入担当だった人らが検温に引っかかったって」

「……はぁ!? なんだそれ!? コロナか!?」

「や、ちょっとそれは分かんないですけど、お客さんがご高齢だしってんで――」

「――ふっざけんなよ! なんなんだあいつら! 給料ばっかかかって信用が――」


 怒髪天を衝く勢いのキヨハルに、ハルカは両肩を落とした。第一号社員というのもあって、バイトたちの教育管理について責任の一端を負っていたのだ。

 青春売買業『Brew Blossom』の営業車両が事務所の駐車場に飛び込み、待ち構えていたブリュアーズ――青春醸造を担当する社員から調整済みの青春を受け取り、代わりに回収してきた青春を渡し、すぐに出発した。


「……こりゃ、最悪、年越すな」

「私できれば家で年越したいんですけど……」

「そら俺もそうだよ。けど注入がいますぐだろ? 定着して、安定したか見て……とりあえず緊急事態に備えて……事務所に残ってなきゃまずいだろ」

「……マーヂですかー……?」


 ハルカは嫌そうにタブレットを覗く。気の強そうな老人の顔写真が映っていた。


「……八十超えて青春じゃないでしょうよ……それに二度目って」

「二度目ならお得意さんだ。その顔、客に見せんなよ」

「……そりゃ商売の道理としちゃそうでしょうけど――」

「バカ。バーカ。大バカモンか、お前は」


 キヨハルはぶっきらぼうに言った。


「年取りゃ年取るほど、戻らねぇ時間に高値をつけたくなるんだよ」

「いや青春を買ったって時間が戻るわけじゃないですし……」

「戻したいのは時間じゃなくて青春だよ」

「……マジで青春って、なんなんです?」

「それは――」


 老人ホームの駐車場に車を停め、パーキングブレーキを入れた。


「一ヶ月に二千万を払っても惜しくない魔法だよ」


 青春の注入自体は難しくない。抽出とほとんど同じだ。

 しかし、注入する青春の出来が結果を大きく変える。

 キヨハルの『Brew Blossom』は社名の通り、青春の調合と醸造に定評があった。


「……父はまだ寝ているようなんですが……」


 上品な初老の男が、迷いを見せつつ頭を下げた。着ているスーツは上等で、革靴にいたっては札束に足を突っ込んでいるようなものだった。


「なら今のうちに処置を進めてしまうほうがいいかもしれませんね。夢を見ていたような感覚になるので青春も安定しやすいですよ」

「……その前に、ひとつ聞きたいのですが……」


 依頼人の男は、不安そうにキヨハルとハルカの間で視線を往復させた。


「青春を得た父は、どうなるんでしょうか」

「……もう二度目ですから、だいたいお分かりではないかと思うのですが……」

「それは、そうなんですが……前とは量が全然ちがいますし……少し不安で」


 キヨハルはハルカと顔を見合わせ、穏やかな笑顔を浮かべて向き直った。


「……まず、青春の注入が直接の原因となって体調を崩されるとか、そういったことはありません。ただ、注入後どのような行動を取られるか……もちろん私どもの方で必要な調整は加えておりますが、薬とは異なりますので、以降の責任は――」


 依頼人の男が手のひらを見せ、キヨハルの言葉を切った。


「すいません。説明は受けているんです。でも、不安で。前回の、一週間くらいでしたか。父はまるで人が変わったみたいでした。あの姿は私からみると……その……」


 依頼人は言いにくそうに何度も口元を撫で、やがて伏し目がちに言った。


「なんというか……不気味で」


 そりゃな、とキヨハルは思う。同時に、自分の胸に手を当ててみろ、と。

 何かに夢中になるような青春は、傍から見ると不気味だ。若ければ美しいと評され、年を取ればみっともないと嘲笑われる。


 ――放っといてやれよ。


 と、キヨハルは胸の内で呟く。納得ずくの依頼だろうに。不気味と思うのは自由だが、なぜ楽しそうだと思ってやれないのか。

 キヨハルの目が薄っすらと細まる。

 まずい、と、ハルカがマスク越しでも分かる清らかな笑顔で言った。


「ご安心ください、私ども『Brew Blossom』の醸造する青春は日毎に品質を高めております。また国内初の青春売買業者は、こちらの有弦あづるキヨハルなのですから」


 その穏やかな声に、キヨハルは脊髄反射の早さで言葉を継ぐ。


「どうぞ、ご心配なさらず。人生に新たな輝きを。もう一度だけ青春の色を加えたい。それは誰しもが一度は願う、清らかな夢なのですから」


 キヨハルとハルカは息を揃えたように深く一礼し、部屋に入った。

 広すぎるくらいの個室。行き届きすぎた寝床。静かに寝息を立てる老人は、その肌艶と寝顔からして常人の何倍も豊かな人生を送ってきたのだと分かる。

 だからこそ、

 

「……青春を買える」


 窓から差し込む月明かりを受け、醸造された青春が薄青に煌めいていた。

 器具に瓶を挿入し、青春を待ち望む老人を見下ろす。


「またのご利用、お待ちしております」


   *


 事務所に戻ると、時刻はすでに零時れいじを回っていた。キヨハルはハルカに家まで送ろうかと提案したが、彼女は二秒で断った。眠いからとか、疲れていたからとか、あるいは腹が減っていたからとかではない。


「……処置後の二十四時間が一番大事ですもんね」

「……いい心がけじゃんよ」

「でしょ。給料アップとシャワールーム、あと仮眠室の設置もお願いします」

「……それな。今のペースがつづくんなら俺も欲しいわ。検討しとく」

「あざーす」


 ふたりは事務所で朝を迎えた。気づけば年末。さすがに正月は休むつもりだが、


「……なんとなく、大丈夫そう、か?」


 キヨハルはスマホを注視し、背もたれを軋ませた。

 ハルカが肩を回しながら立ち上がる。


「お昼、なんか買ってきます。なにがいいですか?」

「あー……なら、鶏肉系のなんか。あとインスタントのそば」

「……ここで年越す気ですか?」

「おうよ。ついでにやりそこねたクリスマスも回収だよ」

「マヂですか。じゃあケーキとお餅も買ってきますよ。落ちますよね?」

「おう。領収書ちゃんともらえよ」


 忙しい一年だった、と背中で扉の閉まる音を聞いた。

 しかし、扉はすぐに開いた。


「なんだ? 財布でも忘れ……ありゃ」


 先日、青春を売った少年がいた。 

 

「……どうされました。契約の解除ですか?」


 少年はゆっくりと首を左右に振った。

 キヨハルは来客用のソファーを勧めたが、少年はすぐ近くの椅子に腰掛けた。


「……僕は、何をしたんでしょうか」

「と、いいますと」

「なんだか、変なんです」

「変」


 少年は穏やかな顔で両手を見つめる。


「昨日まであったものが、なくなっている気がするんです」

「そうでしょうね。青春を三年分も抜いてますから」

「でも、悲しくないんです」

「悲しさとは違いますよ」

「この一年、なんだかずっと悔しかったんですけど、それもなくて」

「良かったじゃないですか」


 白々しいことを言ったな、とキヨハルは唇を湿らせた。

 少年が上目がちに声を震わせる。


「あんなに、あんなにいらないと思って、お金のほうがいいと思ってたのに――」

「今は青春が惜しいですか?」


 少年は唇を噛み、首を横に振った。


「惜しいとも思えなくて。それがなんか……なんて言ったら……」

「何もなくなってないのに、何かがなくなった気がして落ち着かない」


 ハッと少年が顔をあげた。微かに震えるその肩に、キヨハルが手を乗せる。

 事務所の扉が開き、うふぁぁぁん、とハルカが唸りながら入ってきた。


「めちゃ混み! めちゃ混みですよ! あれじゃコロナに――あれ?」


 固まるハルカに親指を立てて見せ、キヨハルは少年に笑いかけた。


「とりあえず、ケーキでも食ってく?」


 ひとり、新しい社員が加わるかもしれなかった。

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バイバイ、青春。 λμ @ramdomyu

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