バイバイ、青春。

λμ

 カラフルにラッピングされたミニバンが、宣伝ソングを流しながら走っている。


『――ブリュー、ブリュブリュ、ブロッサム♪ 高額買取ブロッサム♪ お値打ち価格のブロッサム♪ いらない青春、売っちゃおう♪ ブリューブロッサムで青春しよう♪ ブリュー、ブリュブリュ、ブロッサム♪ 即日査定のブリュー……』


 気が遠くなるほど明るい歌声が、外出自粛で閑散とした街に響く。

 バンを飾る二頭身のマスコットキャラクター――学ラン・アオくんとセーラー・ハルちゃんが札束片手に笑顔をキメる。年の瀬の空よりも寒々しい絵面だ。


『Brew Blossom』


 営業車の横っ腹には、そう書かれている。

 ふいに車が速度を落とし、やがて路肩に止まった。


「……あっれー……?」


 ハンドルを握る高梨たかなしハルカは、ナビの画面を藪睨みし、今どき珍しくなった紙の地図を引っ張り出した。


「……なーに停めてんだよ、おい」


 助手席で寝ていた有弦アヅルキヨハルが苛立ちながら躰を起こした。目の下にはたっぷりとクマがついていた。

 ハルカは地図をくるくる回転させながら何度か首を捻り、やがて唸った。


「まーちがえちゃったかぁ……?」

「おぉい、またかよぉ……お前、昨日も間違えたろ」

「キヨハルさんがケチってしょぼいナビいれるからですって。私悪くないですって」

「んなわけあるかぁ! 俺ぁこの車で昨日も一昨日おとついも走り回ってんだ! お前が方向音痴なだけ――てか地図みるならアナウンス止めろや!」


 キヨハルは半ギレで宣伝ソングを消した。

 街に静寂が戻った。

 ハルカが地図を回す手を止め、ぐしぐしと両目を擦った。


「……ふぁ……静かンなったら、眠くなってきちゃ――」

「あぁ!? おま……!」


 一瞬、怒鳴りかけたキヨハルだったが、事情を知っているだけに、ため息に留めるしかなかった。


「連勤おつかれ。運転、代わるわ。次で最後だし、頑張ろうや」

「うぇーい……んじゃ、お願いします」


 席を入れ替え、車が走り始める。

 ふたたび流れる宣伝ソング。いらない青春うっちゃおう。ブリューブロッサムで青春しよう――そう、ふたりは青春売買業者『ブリュー・ブロッサム』の社長と第一号社員だった。

 

「……次は……買取……ひ、ふ、み、の……十六歳で? もったいなー……」

 

 ハルカが冷めた目でタブレットを叩いた。画面には買取希望者の身分証明書の写しが映っていた。

 キヨハルは横目で一瞥し、


「まだ売るって決めたわけじゃねーだろ」

 

 宣伝ソングの音量を落としながら古いマンションの駐車場に車を入れた。


「……でも、買うんでしょ?」

「そりゃ商売だしな。買い取るさ」

「……なーんで青春を売っちゃうかねぇ」

「それをこれから聞くんだろ」

 

 パーキングブレーキを入れ、ため息をひとつ。


「ま、だいたい不景気が悪ぃわ。おかげでこっちもヘロヘロだしな」

「……キヨハルさんはウハウハでしょうよ……」

「お前、ウハウハか?」

「……マジで『お前』ってやめてくれません? あと固定給じゃなくて歩合に……」

「最初に固定がいいっつったのお前だろ」

「……こんなハードになると思わなかったですもーん……」


 うふぁぁぁ、と唸りながらハルカが車を降りた。キヨハルも続く。

 これまで、青春の買取や販売は、そう忙しい仕事ではなかった。どんなにつまらなかろうが、下らなかろうが、青春は青春だ。その一瞬しか味わえない時間の感触というものがある。売るとしたら、よっぽど金に困っているか、親に金づるとして青春搾取をされそうになっているかだった。

 それが、COVID19コロナ騒動で一変した。

 仕事量は指数関数的な上昇をみせ、忙しすぎて数ヶ月間の記憶が残っていない。

 人手不足の解消にアルバイトも導入したが、従業員の品質を保つのに金がいった。

 かけがえのない青春を商品にしようというのだ。

 その性質は極めて繊細で、個人情報の管理も含めて扱いには十分な注意がいる。青春の価格があがるにつれて従業員の給料も高騰した。

 しかも年末年始が目前にある。

 低賃金で長時間労働を命じられるのは、創業時に温情で雇ってやったハルカと、代表取締役キヨハル本人だけだった。


「うし、行くか」

「うぇーい」


 ふたりは青い作業着に着替え、革張りの大きな機材箱を引きつつ、エントランスに入った。来客用駐車場の利用者名簿に契約者様の名前を書き込み、エレベータで三階に。部屋の前で青いハートマーク柄のマスクを着け、インターホンを鳴らした。

 

「どうもー。お電話を頂いた青春買取業者、ブリュー・ブロッサムでーす」


 ハルカの柔らかな声質もあるのか、漫才師のつかみのようだった。

 ガチョン、と安い蝶番の音を立てて扉が開いた。

 見て、すぐに分かった。

 真新しい通学用のローファー。綺麗に揃えて置かれていた。隣のスニーカーはボロボロで、同じくらいボロボロの革靴が一足。

 母親は、険しい顔というか、どういう顔をしていいのか分からないと言うような、沈痛そうな面持ちだった。

 対照的に、売り主である少年はすっきりとした顔をしていた。覚悟はすでに終えている。そんな顔だった。けれど、


「実際に青春をご提供いただく前に、少し説明がございますが……」


 こちらでやります? とばかりにキヨハルが笑顔を向けた。

 母親は腕組みをした手に力を込め、顎先で玄関のアルコールスプレーを指した。


「……ありがとうございまーす……」


 物の少ないリビングだが、隠しきれない生活感が漂っている。貰い物のカレンダー、安っぽいテーブルクロス、足の高さが微妙に異なる椅子。ダイニングテーブルには子どもっぽいペン立てが乗っている。少年は机を持っていないのかもしれない。

 バチンと鞄の錠を解き、キヨハルは契約書と一緒に青春売買法のプレゼンテーション資料を広げた。

 青春の売買対象は少年少女が中心になるため、当人が少しでも理解しやすくなればとイラスト入りになっている。


「――こちらにマンガ版もあるんですよ。もしよろしかったら、どうぞ、お持ちください。結構おもしろいってお声も頂いたりしてまして――」


 言って、ハルカがカラフルな小冊子を出した。


『青春って売ってもダイジョーブなの?』


 そう題されていた。高い金を払って名の知れたマンガ家に描いてもらった広告マンガである。モノがモノだけに広告費をケチってはならない。子どもにマンガを与えておくと勝手に広めてくれたりもする。経費はかかるが宣伝効果も悪くはなかった。


「――あの、青春を売るのって……その……」


 母親がちらちらと息子を見ながら尋ねた。


「違法……だったりとか」

「いえいえいえ! そんなはずないじゃないですか! もちろん認可を受けていない悪質な業者があるのは事実ですが、なんといってもほら、こちらご覧ください!」


 キヨハルの説明に、ハルカが阿吽の呼吸で資料を開く。


『青春売買業 第一号認定』


 マスクの下が透けて見えてきそうな笑顔を浮かべ、ハルカは言った。


「こちらにいる有弦キヨハルが、日本で最初に青春売買業の専業認定を受けた当人なんですよ。今の青春売買にまつわる法的なルールはすべて、当社の代表取締役キヨハルが政府と相談を重ねて整備してきたんです。ご安心ください」


 母親は訝しげな目でキヨハルを見つめ、小さく会釈した。もちろん、誠心誠意の深い一礼で応じる。

 少年が、待っていたかのように尋ねた。


「あの、青春って、売るとどうなるんでしょうか。うち、今インターネットを見るのがちょっと難しくて」


 母親の躰が恥ずかしそうに強張った。

 心配いりませんよ、とでも言いたげに、ハルカが母親に微笑みかける。

 キヨハルは少年の澄んだ視線を真正面から受け止めた。


「もちろん、売ってしまえば、青春はなくなります。お売りになったあと二週間は当社で保管しておく決まりになっていますが、以降は他の青春と混ぜ合わせまして販売商品となりますので、まったく同じ青春をお返しすることはできなくなります」

「――それは、形が違っても返してはもらえる、ということでしょうか」

「うーん……どうでしょうか……」


 キヨハルは小さく唸り、資料を数ページめくった。イラストでは、いくつかの青いハートをミキサーにかけ、ひとつの小さな赤ハートにしていた。


「こちらのイラストのようにですね、混合させてしまうと、内容も大きさもまったく変わってしまうんですね。なにしろ青春というのは、持ち主の形にあうようにできているわけですから、それを購入者様の、ご希望の形に変えるとなると――」

「高いんですか?」

 

 キヨハルは目を逸らさないように気を張った。


「そうですね。買取価格よりもお高くなってしまいます」

「どれくらいですか」

「完全オーダーメイドになりますので一律にいくらと申し上げられませんが……一番安くて、だいたい一千万円くらいからでしょうか」

「そんなに……あの、それで、僕が売るとしたら」

「年数によりますが今くらいですと、一年お売りいただければ、」


 キヨハルはピースサインをするように指二本を立てた。


「これくらいでしょうか」

「に、二百万……?」


 少年と母親が一瞬、顔を見合わせた。

 ハルカが首を左右に緩く振った。キヨハルが口を開く。


「二千万です」

「にせ――ッ!?」

 

 息を飲む音が聞こえてくるようだった。無理もない。販売価格と釣り合いが取れないと感じる。異常な額に思える。

 しかし、十五、六歳の青春一年分とは、たとえどんな状況であっても、それだけの価値をもっているのだ。

 少年が動揺した様子で額を拭い、小さな声で言った。


「あの、もし二年分だったら……」

「三千万円ですね」

「――えっ?」


 明らかにがっかりするような声音だったが、当然のことなのだ。


「青春は若いときほど高値がつくんです。一年ごとに価値は半減します」

「えっ……それじゃあ……」


 ハルカが慈愛に満ちた笑顔で補足する。


「たとえば、昨年のうちに一年をお売りいただいていれば、四千万がつきました」

「よん……っ!?」

「その前なら、八千万円」


 十三から十四の一年は、


「一億と六千万円――時価ですが」


 呆然とする少年に、そして母親に、畳み掛けるようにキヨハルは言った。


「もうおわかりでしょうが、青春の価値は今この瞬間にもどんどん目減りしていきます。時価ですから明日いきなり値がつかなくなるということもございます」


 ハルカがつづける。


「青春の価値というのは移ろいやすいものです。分かりやすい価格では若ければ若いほど高くなりますが、年を取ってから青春をお求めになることだってきでるんです。若い青春は売ってしまって将来、青春を取り戻すというのは、とても効率的かつ計画的な青春プランであると、私ども『ブリュー・ブロッサム』は、そのように考えているんです」

「……そう……そうですよね」


 緊張しているのか、少年が硬い微笑を浮かべた。

 キヨハルは少し前のめりになって言う。


「お売りいただいてから二週間以内であれば、契約を解除してお戻しすることが出来ます。損失はすぎた二週間分だけです。もしお心変わりされたのなら――」

「あ、あの。青春を売ると、どうなっちゃうんですか」


 核心をつく質問に、キヨハルはしかし誰しもを安心させる低音の響きで応える。


「青春が失われるだけです。記憶がなくなるとか、寿命が縮むとか、そういったことは一切ございません。考えようによっては、仮に事故や病気で命を落とされたりしたとしても、お客様の青春だけはどこかで生きていくといえます」

「僕の青春が……どこかで……こんな時代なのに?」


 冗談のつもりだったのか、少年がニッと唇の端を無理やり吊った。

 キヨハルは穏やかな笑みで答える。


「どんな時代を生きていても、青春は青春ですから」


 さて、とハルカが鞄から黒い高級そうなペンケースを取り出し、少年の前で開いた。黒羅紗くろらしゃの上で、青みがかった銀色に輝く、数本のペン。万年筆、ボールペン、ガラスペンもある。


「どうぞ、お好きなペンをお取りください。お使いになられたペンは記念品として差し上げる決まりになっております」


 少年はしばらく迷い、隣の母親の顔を見上げ、そっと万年筆を持ち上げた。


「……では、こちらに何年お売り頂けるのかと、ご署名を――そう、そこです」


 キヨハルは契約書を一通り確認し、緊張をみせる少年の肩に手を置いた。


「大丈夫、今年は青春を売った子、多いから。みんな仲間だよ」


 少年は、ようやく少年らしい笑顔を見せた。

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