死霊の創世記(前編)
雨が顔を打ちつけた。まるで水責めを受けているみたいだった。
私は起き上がって、口の中に溜まっている水を吐き出した。
頭がクラクラした。視界が斜めになっている。シーソーのように地面が右に左に動いた。
建物の壁に体を預けた。
頭がボーとする。
道路が冠水してきて、くるぶしまで水が溜まっていた。
電気が消えた町は真っ暗だった。建物の輪郭すら見えない。
暗闇の中、一箇所だけ灯りがついていた。
電柱に突っ込んで正面がひしゃげた車だった。
乗ってきた車だ。
私は車に向かって歩いた。
地面がくるっと回転して、足がもたれて倒れた。
私は起き上がって、自分の太ももを叩いた。
しっかりしてくれよ、私。
両手を広げてバランスを取りながら池に成りつつある道路を進んだ。
闇の中からゾンビの声が聞こえた。
私は姿勢を低くして、耳を澄ました。
獣のような息づかい、雨音に紛れた足音。
一体のゾンビが近くにいる。
町の中に潜んでいたやつが、車の音に気づいて、やってきたんだろう。
小銃は車の中に置いてきた。あるのはこいつだけ。
私は電工ナイフの刃を出した。
ゾンビの足音が近づいてくる。
肘を曲げて、両腕で顔面を守るような体勢をとった。
バチャッバチャッバチャッバチャ。
聴覚に神経を集中した。
バチャッバチャッバチャバチャバチャ。
ゾンビが左側面から回り込んできた。
暗闇からゾンビの手が伸びてきた。左手を耳の後ろで組んでゾンビの掴み攻撃を防御した。電工ナイフをゾンビの頬に突き刺して、ナイフの持ち方を逆手に変え、レバーを引くようにナイフを手前に引いた。
ゾンビの頬が引きちぎれた。噛み付けなくなったゾンビは凶器を失ったと同義。
ゾンビの髪を掴んで手近な車のサイドミラーに振り下ろした。
カキョンゥゥゥンという音がしてサイドミラーが吹っ飛びゾンビの頭が潰れてなくなった。
道路に溜まった水で電工ナイフの血を洗った。
ゾンビの殺し方がどんどん上手くなる。全く、私はただの女子高生だって。
自分でも呆れた。
乗ってきた車に近づいた。
運転席には気を失っている久代がいた。
後部座席にはぼーっとしている美香がいた。
私は久代の頬を叩いて起こした。
久代は寝起きのような声をあげて瞼を開けた。
「ここは、どこ?」
私は辺りを見回した。
「広電楽々園駅の近く」
自分の荷物と久代の荷物、89式小銃を取って久代を抱えた。
道路は冠水して歩けたものじゃない。
私は久代を抱えて駅に向かった。
駅のベンチの上に久代を寝かせた。
久代はしんどそうな声をあげた。
さすがに疲れが出たか。
空を見上げた。雨が止みそうな気配はない。
モールで物資を調達するだけのはずがとんでもないことになった。
振り向くと、美香がいた。
いるなんて思ってなかったから、驚いて声をあげてしまった。
美香はなにも知らない猫のような目で私を見ていた。
やり辛い。見た目は美香なのにこの子はゾンビだ。ゾンビなのにゾンビっぽくない。いっそ、襲ってきてくれたら殺すのに。
道路の方からゾンビの鳴き声が聞こえた。
まだ近くにゾンビがいるようだ。
私は線路の先を見た。道路と違って線路は冠水してないようだ。ここから学校に向かって歩けば約四十分で着く。無謀だが、線路の上を歩けば道に迷わないし、学校にたどり着けば高島お手製のゾンビの侵入を防ぐ武器もある。
私は美香にリュックを背負わせた。私は89式小銃の銃床を折り畳んで片腕で持って、反対の腕で久代を抱えた。
土砂降りの中、皆で線路の上を歩いた。
線路の砂利の上を歩くのは思ったよりしんどかった。ふくらはぎが疲れて、何度もこけそうになった。途中で久代も歩けるようになったが、それでも体が重く感じた。
時々雷が鳴った。雷が光るたびに線路に私達の影が映った。
路板の上を歩くと砂利より幾分かはマシだったが、路板の硬さが靴の裏から伝わって結局脚が疲れた。
私と久代はものも言わず、ただただひたすら歩いた。
唯一疲れてないのは美香だった。なにせ死んでるわけだから。
数メートル先に、放置された電車の車両があった。
「あそこで、休もう」
もはや久代が言ったのか私が言ったのかわからないほど疲労困憊だった。
電車の側で人影が動いた。
ゾンビだ。ゾンビが三体いた。
私は横山のスマホを取り出して、アラームをセットして車両の近くに投げた。
スマホが地面に着地する音に気づいて、ゾンビ達は警戒した。
スマホの画面に表示された数字がカウントダウンをしていた。
19、18、…。
私は姿勢を低くして銃のレバーを「タ」に合わせた。
5、4、…。
照門に溜まっている水を息で吹き飛ばした。
ピピピピピピ。
アラームが鳴ってゾンビがスマホに飛びかかった。
私は銃を構えてやつらに近づいた。スマホの画面に照らされているゾンビの顔に狙いをつけて引き金を引いた。銃声が轟き、銃が軽くバウンドした。雨の中を銃弾が飛んでいくと、銃弾で弾けた雨粒が軌跡を残して、まるでレーザーが一直線に走ったように見えた。
一発のレーザーがゾンビの頭を吹き飛ばした。
私に気づいた残り二体のゾンビが襲ってきた。
ライトを瞬時につけ目眩しをした。怯んだゾンビの側頭部に狙いを定めた。
ドンドンドン、と音がしてゾンビの頭が破裂して地面に倒れた。
最後の一体が掴みかかろうとしてきた。
レバーを「レ」に替え、指切りで射撃しながらゾンビの胴体と膝、ラストに股間に命中させた。
ゾンビは股間を押さえながら膝から崩れ落ちた。
尚も噛みつこうとするゾンビの口に向けて銃弾を放った。
ゾンビの鼻から下が丸ごとなくなって、ゾンビの死体は道床を転げ落ちていった。
私は他にゾンビがいないことを確認して、電車に近づいた。
久代と二人で電車のドアをこじ開けた。その様子を美香はじっと見つめていた。
車内は真っ暗だった。
ライトで電車の奥の奥まで照らした。中には誰もいなかった。
「ここ、変わってる」
後をついてきた久代が車内に置いてるLEDランプをつけた。
電車の中に温かい光が充満した。
久代の言う通り、中は変わっていた。普通の電車とは違う。窓は全部ツーバイフォーの材木や金属のトタンで防御されていた。座席シートにはサイドテーブルが置かれ座って飲み物が飲めるよう工夫されているし、壁には黒板が打ち付けてあって、座席シートを改造して作られた本棚には小学校の教科書が並んでいた。
「ライター貸して」
久代が車両の奥にあるランプを灯した。オレンジ色の光が私達を照らしてくれた。
ランプの炎が揺らめくと私達の影も揺れた。
リュックを背負った美香が入ってきた。壁に映った美香の影も揺れていた。
私は美香から荷物を下ろし、座席に座らせてあげた。美香は座って体を上下に揺らしていた。その方が落ち着くんだろうか。
「食べ物がある!」
久代がジップロックに入ったドライフルーツを持ってきた。
キャンディを与えられた子どものように私達はジップロックに手を突っ込んだ。
りんごを口に入れて噛み締めた。口の中でパリパリのりんごが煎餅のように砕けた。ほのかに果物の香りがする。奥歯ですり潰して舌の上で転がすと食物繊維の感触があった。
「こっちにはニンジンもある」
久代が別のジップロックも持ってきた。
「こうやれば野菜や果物を保存できるのか」
「帰ったらやってみる?」
「そうだね。たぶん干せばいいんだろうから、教室でもできそうだね」
久代はオイルストーブに火をつけた。油の匂いが漂い、火が燃える音がした。
まさか夏にストーブの世話になるなんて思わなかった。
私と久代は雨で濡れた制服を脱いだ。
濡れたせいか、ブラで締め付けられた肌がかゆい。
久代がバスタオルを渡してきた。
私は自分の体をタオルで巻いて隠した。
久代はストーブの上に制服を干した。
雨で濡れて冷えていた体が少しずつ温まってきた。
窓に頭を保たれた。
車内の荷物棚には色々な物が入っていた。着替え、食器、調理道具。それ以外にも子どものおもちゃや勉強道具が収められていた。
ここは生存者が暮らしていた秘密基地だったんだろう。様子から察するに子どものいる家族だったんだ。
温かい雰囲気。さっきまでいたショッピングモールとは違い、家庭を感じられる場所だった。
私は首を回して、肩を揉んだ。緊張状態が続いたから筋肉が凝っていた。
荷物棚の上に銃のトリガーが見えた。
私は立ち上がって座席の上に登り、棚の上を覗いた。
水平二連式の猟銃だった。前の生存者の置き土産か。
銃を掴んで引っ張ろうとしたが、結束バンドで銃が荷物棚と固定されていた。子どもが触らないようにだろうか。
電工ナイフで結束バンドを切断して、銃を引っ張り出した。
ベルナルデリの猟銃だった。
銃の中折れを折った。弾は未装填。手入れはしてたっぽいからまだ使えそうだ。
弾を二発装填した。
銃を構えて照門と照星を確認した。
銃口の先に美香が座ってるのに気づいて慌てて銃を下ろした。
「こんなのがあった」
久代が見つけてきたのは生存者の書いた日誌だった。
―10月10日
門司港から出航して、やっと陸地に辿り着いた。ほんとは四国に行きたかったが、波のせいで山口県に到着した。
岩国の米軍基地跡で銃器を補充した。
―11月21日
車を確保したので家族を乗せて移動した。でも道路に放置された車が邪魔で移動が難しかった。
―12月23日
ショッピングモールで生存者達のコミュニティを見つけた。大勢の生存者が暮らしているようだった。中に入れてもらおうとお願いしたが、断られた。せめて子ども達に食べ物を分けてくれないかお願いしたが、それも断られた。
しょせん関門海峡を壊した連中だ。本州の奴らは冷たい。
―12月29日
ヨットハーバーの舟の中に居住できるスペースがあった。家族で久しぶりに落ち着いて食事ができた。今年が終わるまで後少し。ハッピーニューイヤーとは言えないな。
―1月19日
ネットで東京は要塞都市になっていて、まだ文明のある暮らしが残されていると聞いた。ヨットを使ったら、危険な陸路を回避して行けるかもしれない。でも、九州を見捨てた奴らに助けを乞うのは気が引ける。俺のプライドを優先していいのか?子ども達のことを考えると東京に行った方がいいのか。
―3月2日
ヘリの音が聞こえた。手を振れば助けてくれたんだろうか。
家族で話し合って、東京に行かないことにした。舟の食料が尽きたので移動することにした。
―3月8日
線路に残されていた車両がトレーラーハウスみたいで暮らしやすいことを発見した。手を入れる必要はあるが、幸い近くにホームセンターがある。
―3月11日
ホームセンターのガーデニングコーナーでずっと植物を眺めているゾンビがいた。もう枯れた植物なのに、そのゾンビはずいぶん植物を大切にしていた。佐賀から避難してくる間でも何体か見かけたが、ゾンビの中には集団に打ち解けない個体がいるようだ。彼らはおとなしく、襲ってくることがない。なぜそんな個体がいるのかわからないが、一概に彼らは自分から叫び声を発することはなく周囲に気を配っている。おそらく草食動物の見張り役のような個体が結果として集団から逸脱してしまっているのではないか。
―4月13日
車両での暮らしもずいぶん慣れてきた。今では子ども達に勉強を教えられるほど落ち着いた環境になっている。
―5月14日
妻がゾンビに噛まれてしまった。ここまで来たのに。苦労してここまで逃げてきたのに。子ども達になんて言おう。
あああー、死にたい。死にたい。死にたい。
そもそも関門海峡が落とされなければ。
そもそもゾンビウイルスを止められていれば。
政府はなにをやってたんだ。
せめてせめてせめて妻がおとなしいゾンビになってくれたら。一緒に暮らせるのに。共存できるのに。
― 月 日
妻は普通のゾンビになった。殺した。子ども達の泣き声が響いた。殺して死のう。さようなら。
日誌を閉じた。私も久代も顔を上げられなかった。
外から聞こえる雨の音が妙にうるさく感じた。
私は今日アクション映画よろしくたくさんゾンビを殺してきたが、殺してきたゾンビも生前は人間だったのだ。頭では分かっていたが、日誌を読んで心でそれを受け止めた。受け止めてみると、それが重たいことだと気づいた。
ストーブの上のヤカンのお湯が沸騰する音が聞こえた。
いつの間にか私は座席の上で眠っていたようだ。
久代がココアを淹れてくれた。
「はい」
「ありがとう」
私はマグカップを受け取って息でココアを冷ましてからそっと啜った。
「美味しい」
「そこの棚に置いてあった。アウトドア用の保温マグカップも」
「保温ってことは温度変わらないの? いいね。こういうの欲しかった」
「もらって帰る?」
少し考えた後、「そうだね」と答えた。
「美香は飲むのかな」
久代が子ども用のマグカップにココアを淹れて、美香の側に置いた。
美香はマグカップを見たが、手をつけず体をゆらゆら動かした。
「飲まないね」
「飲みたくなったら飲むかもしれないから置いとこう」
久代は私の向かいの席に座ってココアを飲んだ。久代がココアを啜る音が聞こえる。
「なんで美香だけ普通のゾンビじゃないんだろ」
マグカップから立ち上る湯気を見ながら、美香が呟いた。
「さあ。美香は芯が強かったからかな」
「芯が強い?」
「そう。ブレない子だったじゃん」
「そう? 柑菜からはそう見えてたのか」
「え、久代は違うの?」
「なんか、美香って、気を遣ってる子だなーって思ってたよ。私達といる時とあんじー達といる時、横山達といる時で全然態度違ってたじゃん」
そう? そんなことは全然ないと思うけど。
「皆の中心人物だったじゃん」
「うーん。中心なのかな。気を遣ってたから、そう見えただけで。気疲れしないのかなーって私はずっと思ってたよ。でも、そっか。なんかせき止めてたからそういう意味では中心だったのかも」
「せき止めてた?」
「皆が一緒にならないように気を配ってたじゃん」
そうなの?
私は美香を見た。
「大変なことしてるなーとは思ったけど。そんなことしなくても、人は人なのに。簡単に他人と同化したりしないのにね」
私はちょっと腹が立った。美香は私の憧れだったのに、なんかそれを軽んじられた気分だ。
「ねぇ、怒ってる?」
「うん?」
「美香を連れてきたこと」
「怒ってるっていうか戸惑ったよ」
「そう」
気まずい。
「なんで連れてきたの?」
「え?」
「なんで美香を連れてこようと思ったの?」
私は唾を飲み込んだ。
沈黙。雨の音。美香が揺れるたびに美香の服が擦れる音が聞こえる。
あの時、美香を車に乗せたのはほんとに咄嗟の判断だった。美香が他のゾンビと違うから連れてきてもいいと思った。美香が他のゾンビと同じなら絶対に連れてこなかった。
「じゃないと仲間外れになるかも」
美香に言われた言葉が脳裏に浮かんだ。生前の美香に最後に言われた言葉。教室から出て行く美香とその場に留まり続けた私。
あの教室で、私は美香に言いたいことがあった。
「残ろうよ」
そう言いたかった。なのに言えなかった。
引き留めても美香をどうすることもできないと思ったから。美香は私のことが好きだった。あの時引き留めて、仮に教室で私と久代と美香でサバイバル生活をしたとして、美香は私達に嫉妬しただろう。
じゃあなんで今回は連れてきた? 今回は、美香がゾンビだから。ゾンビなら…。
一旦思考を止めて、頭を抱えた。
「最低だ、わたし」
ゾンビ化した美香なら、私達に嫉妬しないと思ったからだ。
美香は運転席でゆらゆら揺れていた。
「ごめん。美香」
「柑菜ってさ。自分で背負おうとするよね」
「え?」
「美香のこととか、私のこと。自分が守らないといけないって思ってそう」
「だってこんな世の中だもの。私は武器が使えるし、施設科のお姉さんに戦い方を教わってるから」
「そうだね。でも、世界がこうなる前から、柑菜ってそういう節あったじゃん?」
なんか腹が立ってきた。ずっと久代を守ってきたのは私なのに。さっきだってゾンビから救ったのは私なのに。
「なんか、私が守らなくちゃって意固地になって、結局他人との間に壁を作ってる気がする」
「あ、そう」
私はわざと冷たい返事をして、座席に横になった。壁越しに聞こえる雨の音に耳を傾けた。
「美香を連れてきたこと戸惑ったよ。だって、柑菜は背負おうとしてるけど、それって相手が望んだことなのかな」
私と久代は美香に視線を移した。
「美香は、美香なりに生きてて、もしかしたら背負われるのとは違う助けを必要としてるのかもしれない」
久代は車両の奥で一人でココアを飲んでいた。
美香は運転席で体を揺らしていた。
ずっとそんな時間が続いた。
三人一緒なのに、一人一人の時間だった。
外で雷が鳴った。窓の隙間から光が射した。
瞼が重くなってきた。うとうとして、ピントが合ってないみたいに視界がぼやけた。
疲れた。
ドン。
私は体を起こした。
久代も驚いた顔をしていた。
「音が聞こえたよね?」
久代は無言のまま頷いた。
ドォォォオオン!!
何か硬いものが体当たりしてきて、車両が左右に揺れた。
美香も立ち上がって外に向かって叫んだ。
私達は制服を急いで着た。まだ生乾きだったが、仕方ない。私は89式小銃の弾倉の中身を確認した。
残り一発。これじゃあ威嚇射撃にもならない。
弾倉から取り出した5.56ミリ弾を胸ポケットに入れた。
電工ナイフでベルナルデリの弾が入った箱を開けた。20ゲージの弾丸が六発。鳥撃ち用の弾だから威力は少ないが、反動が少ない分扱いやすい。
ドォォォオオンっっっ!!
また何がぶつかってきた。車両が揺れて本や食器が床に散らばった。
美香が狼のように鼻を突き出して、歯をむき出しにして外を威嚇していた。
美香は外にいる敵の位置に気付いていた。
まさか美香がこんな形で役立つとは。猟犬みたいだ。
美香の顔が止まった。
私はベルナルデリを構えて、引き金を絞った。
バァンっという銃声が響いた。散弾が壁に穴をあけた。
美香の顔は左を向いた後、上を見上げた。天井を何か重いものが走る音が聞こえた。
私は天井に向かって引き金を引いた。
銃声が轟いて天井に穴があいた。穴から、雨水が落ちてきた。
銃の中折れを折って弾を交換した。
私のちょうど右の壁に何かが突進してきて、窓に打ち付けていた板の破片が飛び散ってきた。
窓の隙間から外に何かの姿が少しだけ見えた。そいつの皮膚は厚いゴムのように硬そうで、今まで遭遇したゾンビとは全く別のものだった。
今度は正面から突進された。運転席の窓ガラスがヒビが入った。
再び体当たりされた。車内が激しく揺れた。まるで巨大サメに襲われてる気分だった。
車両が斜めに傾いた。脱線したんだ。
ストーブが倒れて灯油が溢れた。ランプの火が灯油に引火して、私達と久代の間に炎の壁ができた。
「柑菜!!!」
久代が炎の奥から叫んでいた。
だが、私の目には久代の背後から伸びるゾンビの腕が映っていた。
「久代!!!!!」
ゾンビは久代の首を掴んで、窓を突き破って車内に突入してきた。ゾンビの正体はあんじーだった。
あんじーの首は180度回転していて、腕で美香の首を絞めながら、こっちを見て勝ち誇ったように笑っていた。
私は銃を構えて応戦しようとしたが、火柱が邪魔で狙えなかった。
背後の運転席の窓ガラスが派手に割れて化け物が襲ってきた。
分厚い皮膚の化け物が大型爬虫類のように大きな口を開けて美香の腕に噛み付いた。美香の腕の骨が一瞬で砕けて、破裂した血管から血液が溢れ出た。
化け物の顔を見て私は驚愕した。こいつ、横山だ。さっき殺したはずなのに。殺し損ねたのか。
しかも変異している。普通のゾンビじゃない。
横山は車両の外に美香を引きずり出してどこかへ消えた。
「柑菜! 行って!」
久代が叫んだ。
「追いかけて!」
私はコクっと頷いて、電工ナイフを久代に向かって投げた。久代はナイフをキャッチして、即座に刃を出して応戦した。
私は銃を構えて外に飛び出した。
外はまだ土砂降りが続いていた。
タクティカルライトを左手に持って、右手で猟銃を構えて横山を探した。
暗くてどこにいるのかわからない。雨のせいでライトの光も届かない。
道床の石に足を取られた。
最悪だ。全てが最悪で腹が立ってきた。
雷が鳴った。
辺りが照らされた。
背後から美香の叫び声が聞こえた。
私は銃を構えたまま一八〇度ターンした。叫び声のする方に近づいた。
雷が鳴った。
線路の上で人影が見えた。一人は地面に倒されて、もうひとりは上から跨っていた。
まるで美香が陵辱されているみたいだった。
私は銃を構えて急ぎ足でそこに向かった。
雷が鳴った。地面が照らされた。
横山の姿が消えた。
私は周囲に警戒しつつ美香に近づいた。
美香は腕だけじゃなく肩やお腹や脚までが食いちぎられていた。仰向けに倒れた美香は放心状態のように無反応だった。力なく開けられた口の中に雨水が溜まっていた。
私はそっと美香を起こそうとした。
だが暗闇から横山の腕が伸びてきて猟銃を掴まれた。
私は猟銃を左右に振って横山を振り払おうとした。横山は銃をへし折りそうな握力でしっかり掴んでいた。
道床の石で足を踏み外してバランスを崩した。猟銃は私の手を離れてどこかへ飛んでいった。
横山は私を押し倒して覆いかぶさってきた。膝で私の腕をがっしり押さえつけて、全体重をかけて私の体を地面に押し付けた。
横山は両手で自分の上顎と下顎をそれぞれ掴んで、重い扉を開けるように口を無理やりこじ開けた。口は大蛇のように広がった。喉の奥のぽっかり空いた暗闇が私の頭に近づいてきた。
土砂降りで目を満足に開けられない中、自分が今から食べられようとしている。それだけはわかった。
全く、最悪だよ。
久代は電工ナイフの刃を出してあんじーの腕を切り刻んだ。腕の力が緩んだ隙に、大きく離れて間合いをとった。
背後は火の壁。これ以上は間合いがとれない。
あんじーは体の正面をこっちに向かせた。顔だけが後ろを向いている。襲っては来るが、噛みつかれることはなさそうだ。
刹那、あんじーは腕と足を使ってつり革にぶら下がった。あんじーの顔が久代の方を向いた。
まるで糸の上を歩く蜘蛛のように器用につり革を伝って襲いかかってきた。
久代はナイフを構えた。柑菜ほどじゃないが応戦はできるはず。
つり革を移動するあんじーは体が上下左右に揺れまくって攻撃のタイミングを読みづらかった。
あんじーが腕を伸ばして襲ってきた。
久代は電工ナイフを振って反撃した。
あんじーの手とナイフの刃が当たった。
もう一度あんじーが腕で攻撃してきた。
久代はそれを交わしてナイフを振った。
パターンがわかってきた。ゲームみたいなもんだ。
あんじーが攻撃してきた。
久代は避けてナイフで反撃しようとした。
が、あんじーのフェイントだった。あんじーは電工ナイフを持ってる久代の腕を掴み、そのまま久代を壁に叩きつけた。顔面を強く打ち付けて鼻血が出た。
電工ナイフが床に転がり落ちた。
あんじーはつり革から降りて、腕で自分の髪を掴んで久代に近づいてきた。歩きながらあんじーは自分の頭を一八〇度回転させた。顔面が正面を向いて、獣のような声を出しながら口を開いた。
(...続く)
ガールズ・オブ・ザ・デッド Girls of the Dead あやねあすか @ayaneasuka
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