アダムのいない世界で(後編)

 ゾンビがキャンプ用品店に入ってきた。

 暗闇の中ゾンビは獣のように鼻息を荒くし、獲物を探していた。

 私は物陰からゾンビの様子をうかがい、商品棚を陰にしながら店内を移動した。

 このゾンビは短気なのか癇癪(かんしゃく)を起こしたように叫び出して、腕を振り回しながら棚の商品を落としたり、蹴飛ばした。

 ゾンビに見つからないよう私は四つん這いになって移動した。

 別のゾンビが店内に入ってきた。そいつもイラついたように商品棚を片っ端から倒し始めた。

 私はカウンターに隠れて、顔を半分だけ出した。

 音に引き寄せられてゾンビがさらに集まってきた。

 私は姿勢を低くしたままスタッフ控室に通じるドアを開けた。控室は予備の電灯もついてなく真っ暗だった。まるで洞窟のようだった。

 ドアをそっと閉めた後、私は89式小銃のライトをつけた。

 ライトで先を照らしながら用心深く歩いた。突き当たりにはアウトドアシューズの在庫が山積みされていた。部屋はさらに左奥に続いていて、その先にも曲がり角があった。この控室は「コ」の字のような作りになっているようだ。

 部屋の奥から物音が聞こえた。

 私は瞬時に動きを止めて耳を澄ませた。

 音は聞こえない。でもさっきのが気のせいとは思えない。

 引き返すか。いや、ドアの向こうはゾンビだらけ。銃とナイフだけで切り抜けられる数じゃない。

 私は息を殺して先に進んだ。

 ライトで壁をなぞると、マジックで殴り書きされた文字が見えた。

「あいつらを切り刻んで皆殺しにしてやる」

「裸足になれ! 足音でやつらに気づかれるぞ!」

「寝るな。暗闇こそあいつらの時間だ」

 まるで私を奥に誘うようにずっと言葉が続いていた。

「この世界が悪魔に支配された。どうして我らが世界の隅に追いやられたのだろう。いつ俺たちは罪を背負った?」

 殴り書きの中にはポエムっぽいものもあった。書き主は、ずいぶん精神がやられてたんだな。

 曲がり角を曲がって突き当たりにライトを当てると、人影があった。

 人影は壁に向かって立って水面に浮かぶボートのように左右に少しずつ揺れていた。

 私は銃口を向けながら人影に近づいた。私の気配を察知してるはずなのに、襲ってくる素振りはない。ゾンビなら、しかも暗闇にいるゾンビなら即座に振り向いて襲ってきているはず。

 ということは人間?

 私達以外にも生存者がいたのか。時々TikTokやTwitterや Instagramを見ていると全国にはまだ生存者がいるのがわかる。彼らは日々の記録を日記代わりに投稿したり、サバイバル生活に役立つハウツーを投稿している。

 でもまさか私達の町にまだ生存者がいたなんて考えもしなかった。

「あの、もしもし?」

 私は気を緩めず銃を構えたまま人影に近づいていった。

 映画なんかじゃ生存者が暴力的でゾンビより厄介だなんて展開はよくあることだ。

 私の左足が何かを踏んづけた。暗闇の中突然踏んづけたので危うくこけそうになった。踏んづけた物は柔らかい、でも芯は硬い何かだった。

 ライトで照らすと、死体が横たわっていた。

「ヒィッ」

 私は死体の正体に気づいて、驚いて壁に張り付いてしまった。

 死体は裸にひん剥かれた花音だった。花音、美香やあんじーとよく一緒にいた同級生。

 ライトの光で花音の体をゆっくりなぞった。脚はぴんぴんに伸びて、スカートどころか下着も脱がされた下半身は性器が丸出しだった。お腹にはリストカットのような痕があり、乳房は…。

 私は胃液が込み上げてきてその場に吐いた。

 花音のそばに落ちてるキャンプ用のナイフとフォークとスキレット、ガスバーナー。

 花音の乳房は食肉のように一部が切り取られていた。

 私は恐る恐る花音の顔にライトを当てた。

 顔はゾンビ化した時の顔だった。口には花音のだろう、パンツが押し込まれていた。

 私は人影に向かって「おい」と叫んだ。自分が今まで出したこともないどすの利いた声だった。

「おいっ!」

 銃の先で突くと、人影はゆっくりと振り向いた。

 ライトで顔面を照らした。

 顔を見ても、最初誰だかピンとこなかった。自分の脳みそのあまり開かない記憶フォルダを探って顔の正体が誰だかわかった。

 横山だ。

 同じ学年の男子、横山。いつも大声でしゃべって、放課後にみんなを連れてゲーセンやショッピングモールやファミレスに行ってた横山。

「あんた、なんでいるの?」

 こんな偶然ってあるものか。世界が崩壊した後立ち寄ったショッピングモールで自分の同級生に何人も遭遇するなんて。

 いや、今は横山に遭ったことより横山の顔に驚くべきかもしれない。

 横山の顔はゾンビ化していた。

 でも今まで遭ったどのゾンビとも雰囲気が違った。これまでのゾンビは皮膚の表面が腐っていた。なのに、横山の皮膚は方解石のように灰色と淡青色が混じった色で腐っておらず、牙状の乳痂(にゅうか)が全身にできていた。

 横山は私のことを興味深そうに眺めた後、突然癇癪を起こしたように大声をあげて私に掴みかかってきた。

 私は銃で横山を押し返した後、銃床で顔面を殴った。銃の先を横山の頬に押し付けた。ライトで照らされた横山が私を睨み返してきた。

 私は引き金をゆっくり絞った。ボルトハンドルがカツンとスライドした。銃口の先端から発射された高圧のガスがコンドームを突き破ってペットボトル内の水の中に充満した。マズルブラストによる銃声が抑えられ、銃弾は静かに横山の顔面を撃ち抜いた。

 ペットボトルが破裂して周りに水と血液が飛び散った。

 顔面を撃ち抜かれた横山は地面に崩れ落ちた。

 横山の死体をライトで照らした。

 筋肉を失った下顎がだらんと垂れ下がっていた。

 そういえば、横山は壁に何を書いてたんだ。

 ライターで机のランプを灯した。柔らかい光が室内を照らした。

 私はランプを持ち上げて壁を照らした。

 壁にびっしり書かれた文字を見て、ゾッとした。

「東京、自衛隊、警察、政治家、医者、研究者、日本の最後の砦」

「男女、子ども、人類が生き残るには」

「ゾンビ、原因、ウイルス、特効薬」

「ゾンビはなぜ体が腐る?それは人とウイルスの混ぜ物だから。色材の三原色のようになにかと何かと何かが混ぜ合わさると黒くなる。黒、すなわち邪悪なゾンビ」

「モールの奴らは、全員死んだ。なぜ俺だけが生き残った。死ぬ者と死なない者の差は?何が人を分ける?」

「偶然?意味なんてない?全てのものには因果関係があるはず。なぜ世界はこうなった?なぜ死んだ者は死んだ。なぜ死なない者がいる?」

「死なない者、俺。死ななかった都市、東京、ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、モスクワ、ベルリン等。世界の主要都市は健在。なぜ主要都市は残った?」

「ディープ・ステート」

「大事なのはなぜ?よりいつ?なぜ今世界中でゾンビが広がった?なぜ今世界中でゾンビウイルスが拡散した?」

「ゾンビ禍の世界。ZRAT、若い女性、医薬品…。つまり」

 まだまだメモは続いている。メモはファシリテーショングラフィックのように壁の至る所に書かれて、単語と単語を丸で囲んで線で繋がれたりもしていた。

 机の上には充電ケーブルに繋がれたスマホも置かれていた。

 私はスマホの電源ボタンを押した。スマホが立ち上がり、半円形のアニメーションが表示された。半円はしばらく鈍い動きをしていたが、きれいな円を描くと「キュピン」という音がして「アップロードが完了しました」とメッセージが表示された。どうやら動画のアップロードの途中でスマホの電源が落ちたようだ。

 私は画像フォルダを開いた。昔の動画から順に見ていく。

「たけのこニョッキやりまーす! それじゃあ長谷川から!」

 どこかの豪邸ではしゃぐ横山と長谷川、あんじーや花音や美香、その他の生徒が映っていた。これはあれか、横山が企画した修学旅行ってやつか。

「早く、逃げろ!! はやくはやくはやく! はぁー。はぁー。ばかお前撮ってる場合かって!!」

 ゾンビから逃げて、モールに来たばかりの様子も映っていた。

「えー、ここは避難所の食堂の様子です。皆楽しくご飯食べてまーす」

 モールの皆が殺し合う前の様子だ。

 私はフォルダ内をスクロールして比較的最近の動画を探した。この部屋で撮影した動画が並んでいた。

「ここで生活を始めて数日。扉の外からはゾンビの声が聞こえる」

「他に生存者はいないか。この動画を見たやつはコメントかいいねをくれ」

「コメントありがとう。励みになるよ。他にも生きてるやついるんだな。ここでの楽しみは皆の反応を見るくらいだ」

「この国の政府はまだ残ってるのか? 毎日通知が届くけど、ほんとに生きてるのか? まさか総理も全員死んであの通知はAIが自動で流してるとかそんなんじゃ」

「ほんとにみんな生きてるんだよな? 俺の動画のコメントもAIが自動でつけてるとかじゃないよな?」

「昨日オンラインでチャットをしながらゲームをした。簡単なパズルゲームだけど嬉しかった。皆ありがとう。皆のおかげで生きてるって実感あるよ」

「この中で東京に住んでるやつはいるか? モールで暴れてたやつが言ってたんだ。東京にはまだ町があって、社会があるって」

「コメント欄に『東京には女を連れていかないと入れない』って書いたやつ、ほんとか? 実はモールで暴れてたやつも同じこと言ってたんだ。ノアの方舟計画ってのがあるのか? 女じゃないといけないのか? 例えば赤ん坊を連れてるとかじゃダメなのか?」

「俺は広島県廿日市市のショッピングモールにいるんだ。誰か近くのやついないか? もし、女性でいたら、良かったら一緒に東京に行かないか?」

「チクショー! 見てくれ! 苦労してゾンビを捕まえた。同級生の女子のゾンビだ。俺は今からこいつとセックスする。ゾンビウイルスが遺伝性のものじゃなければ、妊娠して生まれてくる赤ん坊は人間のはずだ」

「いくぞ! いくぞ! ………………くそっ! くそっ! 濡れない。こいつ全然濡れない! くそっ!! 死ね!」

「誰か俺と一緒に出て行かないか。こんなクソみたいな世界から」

「頭の悪い俺なりになぜ世界がこうなったか考えてみた。見てくれ、俺の書いた図だ」

「コメント欄にディープ・ステートって書かれてたから調べてみた。マジかよ。初めて知った。そんなやつらがいるんだな。でも合点がいったよ。闇の世界政府は女を集めてレイプしたり売買したりするつもりなんだな。だから東京に入るのにも女がいるんだ。世界がこうなったのは世界政府による人口抑制で、アメリカで最初にゾンビが発生したのはアメリカが国連人権理事会やWHOを脱退したから、世界政府である国連やEUが報復して生物戦争を起こしたんだ」

「腹が減った。もうここには食べ物がない」

「ハハハハハハ。ついに食ってやったぞ! ゾンビの肉を食ってやった。こいつら、人間の肉は食う癖に、自分が食われるなんて思ってもなかったろうな」

「気分が悪い。風邪みたいな症状だ。ゾンビの肉を食ったからか。ちゃんと熱で消毒したはずなのに。もう、俺も終わりだ。皆今までありがとう」

「あれから数週間。見てくれ。俺の皮膚。変異してる。単なるゾンビ化とは違う。腐ってない。まるで結晶のようだ。しかも見ろ」

 横山は自分の腕をリストカットした。軟体動物が動くように傷口の皮膚がうにょうにょと動き、傷口を塞いだ。

「こっちを見てくれ」

 横山はカメラを持って動き花音のお腹を刃物で切り刻んだ。

「普通のゾンビは傷口が再生しない。俺だけなんだ。ゾンビの肉を食うと体が進化する。頭だって生きてるぞ。思考できる。人工進化だ」

 アップロードしたのはここまで。次が最後の動画。

 意識を失って唸ってるだけの横山の姿が映った。

 これはアップロードしなかったのか。いや、アップロードできる"人間"がいなかったのか。

 いずれにしてもここに一秒でも長くいたくなかった。

 私は天井を見上げた。

 通気口がある。私は机の上に上って、通気口に這い上がった。

 久代は無事だろうか。はやくここを出て合流しないと。

 ダクトを匍匐前進で移動した。通気口の隙間からモール内の様子が見える。ゾンビがまだウロウロしていた。

 私は音を立てないように前進してゾンビがいない所を見つけた。通気口の蓋をそっと開けて、鉄棒のようにぶら下がって周囲を確認した後、地面に着地した。着地した時に脚に痛みが走った。

 ここはビジネスバックのお店のようだ。私は小銃のライトを消して、目を暗闇に慣れさせてから移動した。遠くの方でゾンビの叫び声が聞こえる。久代を追いかけてるんだろうか。

 良かった。まだ生きてる。急いで行かないと。

 私は物陰に隠れながら、急足で出口に向かった。

 柱の影から、サッと人影が飛び出してきた。

 私は瞬時にライトをつけて銃を向けた。

 美香だった。ゾンビ化した美香が、私を見つめていた。

 私は引き金に指をかけた。ゾンビ化しているということは、理性を失った化け物だということだ。躊躇なく殺さないと、自分の命が危ない。

 美香は私を見つめた後、回れ右をして歩き始めた。

 私は意表をつかれて銃を下ろした。

 美香は歩いた後、振り向いた。私についてこいと言ってるみたいだ。少なくとも襲ってくる気はなさそう。

 私はライトを消して、美香の後についていった。

 美香はゾンビのいない道を選び、私を導いてくれた。

 ゾンビなのに襲ってこない。ゾンビなのに意思がある。

 美香は店舗と店舗の間にある小さな出入口に私を案内した。誰もが見落としそうな小さな出入口だ。ここなら他のゾンビに見つからず外に出られる。

 私は少し警戒しながら美香の横を通り過ぎた。横切る時、美香の顔を凝視した。

 美香の唇はパサパサに乾いていて、瞳は白く濁りかけていた。目の周りは落ち込んで、皮膚の色は蝋燭のように血の気がなかった。

 美香は怯えたように私と目を合わせようとしなかった。ゾンビなのに変わった子だ。普通、ゾンビの方が人間を怯えさせるのに。

 私は外に出た。潮の香りがした。木材港の海の香りだ。

 出口の先は、木材港に流れる可愛川沿いの道に繋がっていた。幅の小さい生活道だ。人影はどこにもない。歩いていけば、ゾンビ達に気づかれずモールを離れられる。

 頭上で雷の音が聞こえた。

 見上げると空を雨雲が覆っていた。夕立が来るんだろうか。


 爆発音が轟いた。


 私は咄嗟に身を縮めて、音がした方を見た。

 ショッピングモールの駐車場の方から黒煙が上がっていた。

 ゾンビ達の叫び声が聞こえた。

 久代か!?

 私が爆発した方に爪先を向けると、美香にシャツを摘まれた。

 振り向くと美香は気まずそうに私と目線を合わせなかった。

 この子、ほんとにゾンビか。いや、ほんとに美香なのか。学校で皆の中心にいた美香とは全然違う。まるでアニメに出てくる内気な少女キャラのようだ。

 美香は私のシャツを引っ張った。駐車場に行くのを制止していた。

 駐車場を走り回るゾンビの影が何体か見えた。

 あそこに行くのは危険だ。もしかしたら久代は死んでる可能性だってある。

 でも、私は美香の腕を掴んだ。

「私は、あそこに助けに行く。行かせてくれる!?」

 美香は気まずそうに地面を見つめた後、そっとシャツから手を離した。

 時刻は午後七時前。夏場とはいえ、辺りは暗くなりかけていた。

 私は銃を構えて、立ち登る黒煙に向かって走った。



 久代は車の陰に隠れながら全速力で走った。全身から汗が流れて、呼吸も限界に近づいている。背中に背負ったリュックが重たくて、シンプルにキツい。

「リュックなんて捨てちゃいな」

 頭の中で自分が自分に問いかけてきた。

 捨てたら身軽になるのはわかってる。だけど、この中には大切な物が入ってる。捨てるわけにはいかない。ここで捨てたら何のために遠出してきたんだ。

「でも、ゾンビに噛まれたら元も子もないよ」

 頭の中で自分が囁いた。

 久代は顔を横に振った。

 疲労で集中力が途切れてる。余計なこと考えると、死ぬ。

 背後からゾンビの声が聞こえた。

 久代は振り向き様にL型レンチでゾンビの顔を殴った。

 ゾンビの頬にレンチが直撃して、血が地面に飛び散った。もう一度レンチで、今度はゾンビの側頭部を殴った。頭蓋骨に当たる感触がした。

 ゾンビはうずくまりかけたものの、すぐに起き上がってレンチを握っている久代の手を掴んできた。

 久代は掴まれた手を左右に思い切り振った。ゾンビのバランスが崩れた隙をついて、ゾンビの頭を掴んで車の窓ガラスに叩きつけた。

 防犯ブザーが鳴った。

 周りのゾンビが集まってきた。

 久代は運転席の下のレバーを開けてガソリン口の蓋を開けた。助手席の発煙筒を着火して、ガソリン口の中に刺した。

 全速力でその場を立ち去り、別の車の陰で伏せた。

 揮発したガソリンが発煙筒の火で引火して、炎がガソリンタンクの中を逆流した。

 空気を震わす爆発音が轟いて車の下から炎が吹き出した。熱せられた空気で車が持ち上がり、空中で車は一回転しながら火炎放射器のように炎を撒き散らした。防犯ブザーの音に集まってきていたゾンビはナパーム弾を喰らったように炎に包まれた。

 黒い煙が空に向かって立ち上った。

 久代は車の窓越しにゾンビの燃える様を見届けていた。全身が燃えているゾンビは地面に倒れて、しばらくナメクジのように這った後動かなくなった。

 窓に気配を感じた。写り込んでいる久代の顔の後ろに、高速で近寄ってくる人影があった。

 そいつがゾンビだと瞬時に気づき振り向いて応戦しようとした瞬間、さっきのレンチは地面に落としたことに気づいた。

 ゾンビは吠えながら久代の両手首を掴んできた。

 久代は磔にされたように窓に押さえつけられた。ゾンビは歯をむき出しにして久代の首筋に近寄ってきた。

 これじゃあ、ゾンビじゃなくて吸血鬼じゃん。そんな間抜けなことを考えて、久代は横を向いて目を閉じた。

 久代の皮膚にゾンビの歯が接触する直前、ゾンビの側頭部に穴が空いて、反対側の側頭部から血と脳みそが吹き出した。ゾンビは糸で引っ張られたように地面に倒れた。

「久代!!」

 声のした方を見ると、89式小銃を構えた柑菜が立っていた。



 ゾンビは人間を見たら問答無用で襲ってくる。奴らにとって人間は繁殖のための道具。

 人間は人間であり続けるためにゾンビを殺さないといけない。

 だが、さっきの美香の様子はなんなんだろう。あれじゃあまるで人間だ。私を襲おうともしない。意思を持って私を助けてる。

 ゾンビって一体なんなんだ。

 私は走りながらそんなことをずっと考えていた。

 目の前で、久代を車体に押し付けて噛みつこうとしているゾンビがいた。

 私は銃を構えた。

 ゾンビがなんなのかはわからないが。

 私は引き金を絞った。

 銃弾が高速で回転しながら突き進み、ゾンビのこめかみを貫いた。

 久世を傷つけるやつは許さない。

「久代!!」

 車の陰からさらにゾンビが飛び出してきた。

 私はタクティカルライトでゾンビの顔を照らしながら何度も引き金を引いた。銃弾が命中すると顔に穴が空いて、後頭部から脳みそが吹き出した。

 銃声に誘われてゾンビが集まってきた。

 ゾンビに向かって銃を乱射した。銃声が辺りに響き渡った。薬莢が何発も空中を舞い、硝煙の匂いが充満した。まるで戦争映画みたいだった。

 背後にもゾンビが回ってきた。

 私は体を反転させ、地面に伏せて後方のゾンビに銃口を向けてトリガーを引いた。

 左、右、左、左、右、左、右、さらに右。

 飛び出してきたゾンビに銃をぶっ放した。

 被弾したゾンビ達は肉片を撒き散らせながら倒れた。

 弾切れになると、私は膝立ちをしてマガジンを替えた。

 向きを変え、尻餅をついて狙いを安定させ、久代に近づくゾンビをヘッドショットで殺した。

 即座に左肘をついた姿勢に変え、切替レバーを「タ」から「レ」に合わせ、側面から突進してくるゾンビの脛を指切りしながら撃ち抜いた。脛を撃たれたゾンビは地面に膝をついて転倒した。

 私は立ち上がって、まだ息のあるゾンビの頭部を破壊して回った。

 弾倉が空になったので、ダブルマガジンを地面に捨てて予備のマガジンを装填した。

 車の屋根の上を獣のように走ってくるゾンビがいた。

 私はすかさずそのゾンビに銃を向けた。

 そのゾンビはあんじーだった。

 一瞬躊躇した私なんかよそに、あんじーは猛獣のように私に飛びかかってきた。

 私は腰撃ちであんじーの胴体に何発か撃った。

 あんじーの動きが鈍くなった隙をついて掌底であんじーの鼻を殴って、頭部に銃口を向けてトリガーを引いた。

 一発はあんじーの喉に命中したが、弾がジャムって二発目が発射されなかった。

 今度は私の隙をついてあんじーが殴ってきた。鞭のような腕が私の頬を打ち付けてきた。

 一発、二発、三発。

 あんじーの打撃をモロに食らって私は伸されそうになった。地面に血が落ちた。殴られて鼻血が出ていた。

 あんじーは私の肩を掴んで頬に噛みつこうとしてきた。

 私はサバイバルナイフをあんじーの脇に突き刺した。ナイフをすぐに抜いて肋骨の隙間から何度も心臓を突き刺しながらあんじーを押し返して、車に押し付けた。トドメを刺そうとしたが、右横から別のゾンビが飛びかかってきた。

 私と飛びかかってきたゾンビは地面を転がった。

 ゾンビは起き上がった。

 私はゾンビよりもコンマ数秒速い動きで起き上がり、ナイフを構えた。ゾンビの脛と鳩尾を蹴って怯んだ瞬間、ゾンビの耳にナイフを深く突き刺した。ナイフの刃は小脳を貫いてゾンビは絶命した。

 背後からあんじーがしがみついてきた。私は後退して近場の車のサイドガラスにあんじーを叩きつけて、肘で腹を殴って足の甲を踏みつけた後、ショットガンを取り出しながら体を反転させた。

 あんじーの胸にショットガンの銃口を押さえつけて、引き金を引いた。

 爆発音のような銃声が轟いた。胸に穴が空いて、背中の肉と骨が剥がれ落ちた。

「肩甲骨剥がしね」

 別のゾンビが車の下から現れた。そのゾンビが腕を掴んできたから、私は腕を振ってゾンビを引き剥がしショットガンの銃口でゾンビの顔面を殴った。ゾンビの顔面の骨が砕けた。もう一発ゾンビの顔面を―今度は眼球を―ショットガンの銃口で殴った。ゾンビは目を押さえて怯んだ。私はゾンビの口の中にショットガンを突っ込んで、車のボンネットに押さえつけた。胸ポケットの弾をショットガンに装填して、ポンプアクションをした。排出された薬莢が宙を弧を描いて飛んで次弾が装填された。

 トリガーを引くとゾンビの頭は熟れたメロンのように砕け散った。

 私はショットガンを捨てて、89式小銃のコッキングハンドルを引いて詰まった弾を取り除いた。

 ショッピングモールから次々飛び出してくるゾンビの大群が見えた。

 ゾンビはサスライアリの群れのように進撃してきた。

 さすがにあの数は相手にできない。

 ゾンビの大群が襲ってきたら航空支援を要請するレベルと施設科のお姉さんも言っていた。

 起き上がったあんじーが再び襲ってきた。

 銃を向けようとしたが、私よりあんじーの方が動きが速かった。

 応戦が間に合わない、と思ったその時美香が現れた。

 美香はあんじーの頬を叩いた。何度も何度も何度も叩いた。

 まるで子どもが反抗しているみたいだった。

 あんじーは美香の顔面を殴り返した。

 私の背後からゾンビの群れが飛びかかってきた。

 その時―。

 突進してくるゾンビにボンゴブローニイバンがバックで激突した。

 激突されたゾンビは地面を転がっていった。

「乗って!!!!」

 運転席のドアを開けて久世が叫んだ。

 ゾンビの群れが車をよじ登ってきた。

 そいつらの頭を銃撃しながら私はバンの後部座席に飛び乗った。

「運転できたの!?」

「わかんない! バイト先の先輩の運転見てただけ」

 久代はハンドルを切りながらアクセルを踏んでゾンビを蹴散らした。

「待って!」

 私はドアを開けて美香に手を伸ばした。

「美香! こっち来て!」

「正気!!?」

 久代が驚くのはわかる。自分だってとんでもないことをしてるとは思う。

 美香は私を見て、よたよた走りながら近づいてきた。

 ゾンビがボンネットによじ登ってきた。

 車が急発進した。

 私は体を伸ばして美香の手を掴んだ。

 ゾンビ化した美香の手は冷たくて、少し肉がぐずぐずしていた。美香の腕が壊れないよう、引っ張って乗せた。

 車はゾンビを振り払いながら駐車場の中を旋回した。

 まだボンネットにしがみついてるゾンビがフロントガラスを叩いていた。

「シートベルトして!」

 久代が叫んだ。

 私は美香を座席に座らせてシートベルトをした後、自分の腕にシートベルトを巻きつけた。

「いいよ!」

 車は一気に加速して目の前のレクサスに追突した。

 ボンネットの上のゾンビが空中遊泳をしてる宇宙飛行士のように吹っ飛んだ。ゾンビは宙を飛んだ後地面に叩きつけられて、頭がトマトのように潰れた。

 一体のゾンビが両腕を振り回しながら車に突進してきて、ドアをこじ開けてきた。

 あんじーだった。

 あんじーは車に乗り込んできて私に覆い被さってきた。

 噛みつかれないよう、必死にあんじーの顎を押さえた。

 美香があんじーの足に噛みついた。

 あんじーは全く気にもしないで私を襲い続けた。

 ところで、この車はなにか業者が使っていたようだ。私達の後ろの座席には工具がたくさん積まれていた。

 私はネイルガンを引っ張り出した。あんじーの額にネイルガンを押し当てて、引き金を引いた。

 バツンバツンという小気味良い音がして、太い釘があんじーの額の骨を貫通した。怯んだあんじーの掌を壁に押し当ててネイルガンを打ち込んだ。あんじーの片腕が磔にされた。

 あんじーの頬に一発釘を打ち込んで、あんじーの首にシートベルトを巻きつけた後、ドアを開けてあんじーを外に蹴り飛ばした。

「出して!」

 車は向きを整えて急発進した。

 あんじーの体はゴミ袋のように地面の上を引きずられた。磔にされた片腕が引き裂かれて、シートベルトで締め付けられていた首がへし折れた。

 シートベルトがちぎれて、あんじーは地面に叩きつけられた。

 私は身を乗り出して、離れて行くあんじーの死体を見送った。あんじーはぴくりとも動かなかった。

 さすがに死んだか。

 ゾンビの群れが車を追いかけてきた。

 車はショッピングモールを離れて、道路に放置された車を避けながら学校に向かった。

 後ろを振り返ると、追跡を諦めるゾンビがちらほら現れ、やがて追いかけてくる者はいなくなった。

 運転席には久代。バックミラーには私とゾンビ化した美香が映っていた。

 不思議なメンツだった。

 美香はずっと前を向いていた。車の振動で、美香の体が左右に揺れていた。

 空が光った。

 窓ガラスに、なにか塊が落ちてきた。

 大きい塊だったので、雹だと錯覚した。

 空に稲妻が走り、雷鳴が轟いた。

 窓ガラスにまた硬いものが落ちてきた。大きな雨粒だった。

 雨粒がボツ、ボツ、ボツボツと落ちてきて、一〇秒もしないうちにバケツをひっくり返したような豪雨に変わった。

 夕立? いや、ゲリラ豪雨か。

 久代が慣れない手つきでワイパーを作動させた。

 割れたフロントガラスの上をワイパーが滑ると、氷が砕けるような音がした。

 灯のついていない夜の町は、ブラックホールのようだった。車のライトくらいじゃ心細かった。

 久代がバックミラー越しに私を見てきた。

 私は目を逸らした。

 美香を連れてきたことに何か言いたいんだろう。

 私だってわからない。あの時はただ一方的に殴られる美香が可哀想だと思ったんだ。

 雨が強すぎて、ワイパーが追い付かなかった。

 海老橋の上から岡の下川が見えた。川の水が増水していた。

 雨のせいで前が見えなかった。ライトの光も雨で遮られた。窓ガラスのひび割れから水が溢れてきた。ハンドルにも水滴が落ちた。

 急ブレーキがかかった。

 タイヤの回転は止まったが、雨のせいで路面が滑って車はドリフトした。ガラス越しの風景がぐるっと回転した。体があちこちにぶつかった。

 窓の向こうの電柱が近づいてきた。電柱は私達の車の横に激突した。

 シートベルトをしてない私の体は宙に浮き、窓ガラスを突き破って外に投げ出された。

 私の体は水しぶきを上げながら道路の上を転がり、闇夜の中に吸い込まれていった。

 


 キャンプ用品店の奥の部屋。スタッフ控室の床に倒れ込んでいた横山の顔面の皮膚がひくひくと動き始めた。断裂した筋肉が軟体動物のようにもそもそと繋がり、89式小銃で吹き飛ばされた顔面は次第に再生していった。横山の眼球がぐりっと動き、両手をついてゆっくりと起き上がった。

 柑菜が放った銃弾はかろうじて小脳を外れたようだ。

 顔面の傷は完全に再生しきり、だらんと垂れ下がっていた下顎も元通りになった。しかし傷が再生する時うまく細胞が繋がらなかったのか、横山の頬や咽頭の皮膚がぶら下がり、雄鶏の肉髭のようになった。自力では顎を開けなくなった横山は両手で上顎と下顎を持って強引に開いた。再生で頬の肉が伸びた分、アナコンダのように大きく顎を開くことができた。

 横山は顎を閉じ、ショッピングモールの外に出た。

 外は土砂降りだった。

 駐車場は冠水して、柑菜達が殺したゾンビの血が雨水と一緒に溜まって血のプールになっていた。

 血のプールの中であんじーが目を覚ました。体をゆっくりと起き上がらせた。

 横山とあんじーは土砂降りの中しばらく向かい合っていた。

 あんじーは自分の首が一八〇度回転して、背中を向いていることに気づいた。

 道路の向こうからゾンビ達が戻ってきた。柑菜達を追いかけていて、諦めた連中だ。

 横山とあんじーはその連中が戻ってきた道を進んだ。柑菜達を追いかけるために。

(...続く)

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