『悲剣・恋なすび』

お望月さん

長雨の金谷宿にて

日照りの修造は倦み切っていた。理由はこのシトシトと降り続ける長雨である。『箱根八里は馬でも越すが 越すに越されれぬ 大井川』と詠われた大河が金谷宿で旅人たちを足止めしていた。


「俺は晴れ男なんだよ、雨はダメだぁ」


修造は横臥したま煙草盆を引き寄せる。煙管を咥えるが湿気って火がつかない。雨の日は何をやってもダメ、修造は倦み切っていた。いっそ鉄火場で全財産を燃やし尽くそうか、博徒ならではの火遊びを思い浮かべていると、ふすまが僅かに開き女将が顔をのぞかせた。


「お客様、折り入ってご相談が……」


季節外れの長雨で金谷宿はさながら江戸のような賑わいを見せている。いきおい客室は埋まり民家を開放し始めているのだという。


「相部屋ってことだな」

「長逗留となりましょう、宿賃は半額とさせていただきますので」

「しゃあねえな」


修造、どちらかと云えば人好きのする陽性の男である。頼まれごとを断れる性質ではない。女将が去ると、ふすまの奥から杖を抱えた座頭が顔をのぞかせた。坊主頭で盲いている。座頭は膝をつき耳を修造の方へ向け「へへえ」とお辞儀した。


「アッシは恋なすびの市、と申します」

「俺は日照りの修造、江戸までの道中で足止めよ。ま、よろしく頼むな」

「へへえ、よろしくお願い申し上げます」

「市さんは、按摩さんかい?」

「いえ、アッシはしがない花屋でございます」


座頭が荷ほどきを始めると、ふわりと花の香りが広がった。

江戸時代、大名屋敷が居並ぶ江戸では見栄えのため植木や生花が珍重された。全国から旬の花を仕入れ、新しい品種を入手して江戸藩邸に飾ることは大名たちの娯楽として最上級とされるものであった。市が満室の宿場で部屋を都合されたのも、気前よく女将に生花を贈ったことも大きい。こう足止めされちゃあ江戸まで保たないんでお気になさらず、という奥ゆかしさも忘れずに添えて。


「ところで市さん、あんた宿場に来たばかりだろ?」

「へえ」

「遊び場を教えてやるよ」


修造は花の香りですっかり気分が良くなっていた。生花商人の懐を宛にしてたという打算もなくはないが、市の善良さを感じ取ったのであろう。元来陽性な男である。




「さあ張った張った!」

「締めきりますよ」

「よござんすね?」

「よござんすね!」

「二、六の丁!」

「ああああーー!」

「うおおおー!!」


長雨にも関わらず金谷宿の賭場は大いに盛り上がっていた。

全国各地の旅人が大井川に足止めをされて集結しているということだけではなく、川を渡れば江戸は目の前ということもあって可能な限り旅費を使い切ってしまおうという小役人も混じり、総じて財布の紐が緩かった。


「さあ張った張った!」

「よござんすね?」

「一、二の半!」

「ああああーー!」

「うおおおー!!」


長雨でストレスのたまった賭場はまさに鉄火場に相応しい様相である。


「市さん、賽の目は俺が見るんで自由に遊んでくだせえ」

「へへえ、今日は楽しませていただきます」


本来、盲目の座頭が賭場で丁半を遊ぶことはあり得ない。出目を偽られても気が付かないからだ。そう言って市も断っていたのだが、修造が「俺が目になる」と食い下がったため鉄火場で遊ぶことになった。遊んでみれば、いかにも賭け事は面白い。


「修造さん、丁半とはおもしろいもんですねえ」

「そうだろ!」


市も熱狂し、初めは負けていたが相当に勝った。元来才能があるのだろう。だが、その好調も修造が厠へ向かうまでのことだった。


修造が厠を出ようとすると外側から戸板が剛力によって閉じられていることに気が付いた。押しても引いても戸は開かない。ドンドンと叩いても反応はない。(ちくしょうハメられた、市さんがあぶねえ!)


そのころ、鉄火場は騒然としていた。市の大勝ちに賭場の胴元が大勝負を申し出てきたのだ。


「俺とお前の一対一、丁半で十両勝負」


市は唾を飲み込む。賭場の喧騒で血が昂っているが、いまは修造がいない。


「やめとけやめとけ!あいつはなめろうの涼介、金谷の網元であり賭場の胴元も兼任している。普段は温厚な漁師だが、ひとたび喧嘩になると相手をなめろうになるまで殴り続けることで恐れられた侠客だ。とにかく博打と酒に目がない男……」


地元の博徒が市へ警告する。


「せっかくですが、アッシは同輩はらからの付き添いでしてね。大勝負はご遠慮させていただきやす」

「その同輩とやらはどこへいったんだろうねえ?」


涼介と取り巻きが含み笑いを漏らしたことで、市は修造が捕らえられたことを察する。


「一緒に江戸まで行きたいだろ?なに、これはほんのお遊びだ」

「お受けいたしやしょう」


だが、そこからは一方的だった。丁半の出目がことごとく市を裏切る。

十両、二十両、三十両。


「あまり大勝ちされると賭場の威信に関わるんだ。悪く思うな、座頭さんよ」


あからさまなイカサマである。市が盲いているを良いことに賽の目を偽っている。市も仕掛けに気づいていたが修造のために耐えた。だが、すでに本日のあがりは露と消え、仕舞いには旅費も空になりそうな雲行きになってきた。


「もういいでしょう、なめろうの旦那。修造さんを放してもらいやしょうか」


重く凄みのある声で市が呟く。その声の響きは爆発寸前の三尺玉にも似ていた。


「アッシは盲いた座頭だが、聞こえているんだ。賽の目が聞こえているんだよ」


市の放つ威圧感によってドロリと賭場の空気が澱み、博徒がざわめきだす。


「まだヤると言いなさるなら、ここであンた達の心音(おと)を消してやってもいいんだぜ」


仕込み杖を構えたことで、取り巻きの一人が声を上げた。


「親分!あの仕込み杖、ヤツは恋なすびの市です!」


「恋なすび……聞いたことがある、西洋ではマンドレイクと呼ばれている毒草で花言葉は『恐怖』。マンドレイクを引き抜いたときの悲鳴を聴いたものは……発狂して死ぬんだか死なないんだか、とにかく恐ろしい植物……その名を冠する盲目剣士とは……」


だが、なめろうの涼介も侠客である。子分の前で背中を見せるわけにはいかない。


「おまえが、あの恋なすびか。御前試合での噂は聞いてるよ。だが、この賭場では俺が勝つ!」


涼介がツボ振りを睨む。

ツボ振りは怯えながら賽を振る。

トン。

ツボが鉄火場に着地。


「丁!」


「半!」


「よござんすね」

「よござんすね」


ツボを開く、出目は(二、六の丁)


ツボ振りが視線を涼介に送る。

涼介が頷く。

「一、六の──」

ツボ振りが目を読み上げようとした瞬間


「──二、六の丁だ!!市さんの勝ちじゃねーか!!」


鉄火場に姿を現したのは日照りの修造である。


「そんなバカな!!見張りはどうした!?」

「親分さんよオ、もうちょっと厠の立て付けには気を使ったほうがいいぜ」


修造が親指で背後を指さすと、修造に蹴り飛ばされた厠の戸板と相撲取り崩れが中庭に転がっている。雨雲は晴れ、月の灯りがキラキラと中庭を照らしていた。


「野郎ども!!」


涼介の号令で取り巻きが修造を囲む。


「ちょうど鬱憤が溜まっていたんだ、晴らさせてもらうぜ!!」

「なにを言ってグワーッ!!」

「そらよっ!」

「ウワーッ!」

「待てコラ!もっと殴らせろ!」


子分を追い回し鉄火場を蹴散らして暴れまわる修造を尻目に、市と涼介が対峙する。


「アッシらの勝ちです、イカサマ代を支払っていただきやしょう」


涼介はたじろぎ、胸元の匕首に手を伸ばそうと逡巡する。その心音を聞き逃す市ではない。


「アッシがコレを抜いたら、終わりですぜ」


市が左手の親指で杖の中頃を押し上げると暗く光る茄子色の刃が覗く。それを右腕で逆手に構え、耳を涼介に向けて殺気を放つ。その鞘走りの音色は奇怪な悲鳴である。その瞬間、涼介は尻の穴に巨大茄子をぶち込まれたような気分を味わった。


「わかった!わかった!俺の負けだ!!」

「それはよござんした」


チン、仕込み杖に刃を収める音が鳴る。


「修造さん、宿に帰りましょう!」

「市さん、もう充分かい?」

「ええ」

「外は晴れたぜ、明日は渡れるかもしれねえ」

「それは良かった」


逃げ惑う取り巻きの一人を卍の形で締め上げながら修造が問う。


「ええ」

「雨は上がったぜ、明日は渡れるかもしれねえ」

「それは良かった」


まるで何事もなかったかのように談笑しながら賭場を去る二人を見送る博徒たち。


「お前ら、覚えておけよ!」


なめろうの涼介が最後に吼えたが、二人は背中で受け流した。



翌朝、金谷宿は快晴となった。女将に多めの心づけを渡した市と修造は、昨日の騒ぎを聞きつけた人々に囲まれながら大井の渡しへ向かっている。その前に侠客なめろうの涼介が立ちふさがった。


顔を寄せて凄む修造を無視して涼介が身体を横に引くと、八人の男たちが担いだ豪華な輦台(れんだい)が現れた。強面の涼介が破顔して市の手を握る。


「市さん、あんたみたいなスゲエ男は初めてだ、これで川を渡ってくれ」


「市さん、なんかしたの?」

「ちょっと花言葉を教えてあげただけですよ」


二人は輦台に乗り込み悠々と大井川を渡る。大名であっても四人で担ぐ輦台を八人もの男達に担がせたのは、なめろうの涼介の侠客としての見栄であり敬意でもあった。


もう江戸は目と鼻の先だ。



「市さん、江戸には何をしにいくんだい」

「へえ、江戸にいるあるお方にね、を届けなくてはならないのです」

「へえ、お見舞いかい? 市さんは優しいんだね」

「へへえ、へへへ」

「あっ照れてら」


輦台に二人の笑い声が響いた。


【おわり】


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