山道の軽自動車

月浦影ノ介

山道の軽自動車




 茨城県N市で理髪店を営むIさんから伺った話だ。

 もう二十年以上も前、紅葉の綺麗な季節だったという。アウトドアが趣味のIさんはその日、愛車のモトクロスバイクを駆ってT山へと出掛けた。

 

 T山は茨城県北部のH市とO市の境に位置する、標高六百二十三メートルの低山である。稜線はなだらかで山容にこれといった特徴はないが、山頂にレーダー雨量観測の巨大なコンクリート製の塔が建っているのが目印だ。

 山頂からは東に太平洋、南に筑波山が見え、登山道も整備されていることから、人気のハイキングコースになっている。

 車で山頂まで行けるが、一般車両の侵入は禁止されている。麓にある駐車場に車を停め、そこから歩いて山頂を目指すのが一般的なルートだ。


 あまり知られてはいないが、実はこのT山には“裏ルート”がある。車一台がようやく通れる細い道があって、それが山頂まで続いているのだ。昔は山頂への物資の運搬などに使われていたのだろうが、今は別の道が整備されているので車が通ることは滅多にない。

 

 その日、Iさんはいつも通り“裏ルート”からT山に入った。道は舗装されているのだが、劣化したアスファルトがひび割れてボロボロに崩れている。走り心地は極めて悪い。

 道の左側は切り立った崖になっている。ガードレールがないので、少しでもハンドル操作を誤ったら谷底に真っ逆様だ。

 頭上を覆う木々が陽光を隠すので視界は暗く、まるで緑のトンネルの中を走る気分である。

 

 順調に走っていると、山の中腹より少し手前の辺り、道の崖側に僅かに広くなった場所があって、そこに一台の車がこちらに後部を向けて停まっていた。

 「妙だな」と、Iさんは思った。今まで幾度となくこの道を通っているが、車と出くわしたことなど一度もない。

 うっかり迷い込んだのだろうか。何故か気になったIさんは、スピードを緩めてその車の側に停車した。


 女性に人気のタイプの白い軽自動車である。フロントガラスとボンネットの間に落ち葉が溜まっていた。車体に特に目立った傷みはない。おそらくここに放置されて数日経つのだろう。

 「まさか車の中で死んでたりしないよなぁ • • • • • 」

 Iさんは嫌な想像を脳裏に浮かべながらバイクを降りた。おそるおそる車内を覗いてみたが、幸いと言うべきか人の姿はない。その代わり、助手席に何か本のようなものが置かれているのが目に入った。

 車の助手席側は崖になっていて、人が立てるスペースはほとんどない。運転席側のドアに手を掛けると、鍵は掛かっておらず、ドアは何の抵抗もなく開いた。

 好奇心に駆られたIさんは、車内に身を乗り入れ、助手席に置いてあるそれを手に取った。

 

 A4サイズぐらいのアルバムであった。白い表紙に人気キャラクターのイラストが描かれていて、いかにも女性が好んで使いそうなものだ。

 少し気が咎めつつも、Iさんはアルバムの表紙を捲ってみた。

 それは一人の女性の成長記録であった。赤ん坊の頃から始まって、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、それから成人式、社会人 • • • • • • と、それぞれの時期を写した写真がアルバムの中いっぱいに収められている。

 最後の写真は三十歳ぐらいだろうか。誰かがふいに撮ったスナップらしい写真の中で、セミロングの明るい髪色をした女性が微笑んでいた。

 

 しばらくそれを眺めているうちに、Iさんはふと、この写真の女性はどこにいるのだろうと疑問に思った。

 おそらくこの写真の女性こそが、車の持ち主に違いない。辺りを見回してみたが人の気配など微塵もなく、山中の深い静寂がひっそりとIさんを包み込んでいる。


 ふいに背後で、ガサッ • • • • • • と落ち葉を踏みしめるような音がした。

 Iさんは飛び上がって後ろを振り向いたが、しかしそこには誰の姿もなかった。

 単なる錯覚だろうか。しかし自分のすぐ背後に誰かがいたような気がしたのは確かだ。

 全身に鳥肌が立った。とたんに気味が悪くなったIさんは、アルバムを車の中に戻すと、モトクロスバイクに跨がり、そこでUターンして麓へと降りて行った。山頂へ登って秋の紅葉を楽しむつもりであったが、もうとてもそんな気分にはなれなかった。


 


 それから数週間ほど経った頃、Iさんの友人夫婦が突如として行方不明になった。

 二人は隣のH市に住んでおり、夫婦で植物の蔓などを使った工芸品を作り、販売する店を営んでいた。

 その日も工芸品の材料となる蔓を探しに、二人で車に乗って出掛け、それきり帰って来ないのだという。

 数ヶ月が過ぎたが、夫婦の行方は手掛かりすらない。

 いったいどこへ行ってしまったのかと心配していると、その夫婦と共通の友人からIさんの元へ連絡が入った。

 夫婦が見つかったというのである。しかし残念ながら二人はすでに死亡していた。山中の崖下に転落した車の中で発見されたのだという。

 鑑識の結果、死亡推定時期と行方不明になった直後の時期がほぼ重なった。事件に巻き込まれた形跡はなく、普段の様子からも自殺とは考えづらい。

 おそらく工芸品の材料を探しに、車で山道へと入ったのだろう。そしてハンドル操作を誤り、崖下に転落した可能性が高い。警察は二人の死を事故として処理した。


 夫婦の遺体が発見された場所は、あのT山の“裏ルート”の途中にある崖下なのだという。

 後日、共通の友人と一緒に事故現場を訪れたIさんは驚愕した。

 それは数ヶ月前、モトクロスバイクで山頂を目指していた途中、放置された白い軽自動車を見つけた、まさにその場所なのだ。

 撤去されたのか、あの軽自動車はすでに影も形もなかったが、あまりに出来すぎた偶然に、Iさんは背筋が寒くなるのを感じた。


 それから数週間後のこと、Iさんの経営する理髪店に一人の常連客が訪れた。地元の管轄署で警察官を勤める男性である。

 Iさんはその常連客に、T山の“裏ルート”で見つけた白い軽自動車と、その同じ場所で事故死した友人夫婦のことを話した。

 常連客の男性はIさんから詳しい場所を聞くと、妙に納得した表情でこう答えた。

 

 「ああ、あの場所はいわゆる“自殺の名所”なんだよ。崖から飛び降りたり、木で首を吊ったりと死に方は色々だけど、なぜかみんなあの場所で死ぬんだよなぁ」


 それ以来、IさんがT山へ行くことはなくなった。



                 (了)

 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山道の軽自動車 月浦影ノ介 @tukinokage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ