読みながら何度も笑いました。この小説に書いてあることと同じことをわたしも何度も思ったことがあるからです。
作家の肥大した自己愛、鬱陶しい。
よくわからない突然の自分語り、興味ない。
創作者は自分、あるいは小説について語れば語るほどなぜか意固地になり、評価されない自分が悪いんじゃないという他責的な想いに囚われドツボにハマるような印象があります。自分は何も間違っていない。ただただ自分を評価しない世間が悪いと呪いにも似た感情を抱き、自分が、自分の小説が、さも高尚な存在であるかのように思い込み単なる実力不足から目を背け、一見軽薄に見えるエンタメやライトノベルを貶したくなる人はそれなりに多いのではないでしょうか。わたし自身ももしかしたら、そういう時期があったかも。
でもこの小説を読み終えるとそんな創作者だって別に、それだけじゃないよねということもよく分かります。彼らの呪いの裏にもちゃんと、大切な願いがあるのだから。
いいもの読ませていただきました。
これは純文学ディスではありません。
中には共感が詰まっていました。
web小説を書き始めて、いや、それよりも以前に考えたことがあることかも知れない思考の数々が、つらつらと綴られておりました。
創作家の内側を抉るような内容に、真っ向からぶつかっていく文章でした。
創作家はどこかぶっ飛んだ私生活を送っているような印象を持っていたりする。でも実際創作家は全員が全員特別じゃあないし、どっちかって言うと普通の人が多いんじゃあないかなと思う。でも特別でありたいと希う。平凡であることがまるで邪悪そのものであるかのようにありふれた幸せから逃げ惑う。汗かき回って辿り着いた路地裏で振り返った昨日はそれでもやっぱり平凡で。身を削って書くものほど自分の薄っぺらさが露呈するだけで。特別でもなんでもないものに価値などなくて読者なんかいないのが当たり前で。目を背けて逃げてもやはりその先で書いていて。
でも、もしかしたらだけど、自分の平凡が誰かの明日を繋ぐ一助になるかも知れない。そういうものの繋がりの先に、きっと誰かの明日はあるし、自分の明日もあるんじゃあないかな。
そんな風に感じました。
この文章を読んだときたしかに慟哭のようなものを感じました。
普段から知人と文学について語り合う機会があるのですが、使われる表現の似ていることに驚き、また決定的に自分とは歩む道を違えた作家に出逢えて私は嬉しく、何かを伝えられずにはいられませんでした。
正直なところ応援コメントにすべきかレビューにすべきか迷いました。
レビューにしたのはおそらく「絶対に返信がこないから」だと思います。こんなにも生を感じさせる作品を産みおとしたあなたの小説が読みたい。しかし読むことで失望はしたくない。
電子の海の一つたる投稿サイトの隅で滑稽に叫んでいる、自分が最も才能があると思い込んだ物書きのひとりですから。かならず失望してしまう。
だから別のサイトに作品があるだとか、これから投稿するだとか、そういう情報をみたくなかった。
あなたの小説が読みたくて、読みたくない。
本当に身勝手なレビューを送ることを許してください。
私は純粋に、あなたの空洞が好きだと思いました。
表現が面白いです。訴えかけてくるような語り口から始まり、その後、強い口調でもう一人の自分が切なそうに訴えていた自分に喝を入れているという表現が面白いです。
自作品への思いが強く書かれており、ちっともPVが伸びないだとか、全く見つけてもらえないとか、僕もそう小説投稿後にそう思うことが多々あるなと共感します。
ですが、そのあとの反論も納得してしまう。自分は本当に努力していたのか?
人気な流行作品を指さして「没個性」と評価して、自分では何も生まない。
文句を言うなら何か書けよ。と思いながらも、中々書くことができない。
そのような悶々とした思いが感じ取れました。
悶々とした話でしたが、語り口調に緩急があり、読んでいてとても波があって面白かったですし、表現が素敵でした。