最後に参話

 しばしののち長老ちょうろうは、「ぽつり」と実際じっさいに口にして、切り出した。「……なんというポジティブシンキングタイム……。若さと希望がセッションしとるわい。おぬし、前しか向けんのか、それとも後頭部こうとうぶにも目があるというのか? おぬしこそ希望じゃなかろうか。神のおぼしが物流ぶつりゅうきで直通ちょくつうしとる。配達業者はいたつぎょうしゃきもやしおる。一歩いっぽのたたらもゆるさぬようなそのあゆみ、……希望の光が心を貫通かんつうしておるわ……。新時代しんじだい到来とうらいじゃわい」


 長老ちょうろうのうきうきした口調くちょうに、私はおどろおもてを上げた。すると長老ちょうろうは、して阿保面あほづらなどではない、希望ましましのトッピング全部ぜんぶせな表情を浮かべていた。そして、思いつのって言葉が出ないというように、金魚キンギョ、あるいはフナ、でなければコイ、それでも駄目だめならがみで作ったパクパクのように、口をきっかり15回ぱくぱくさせて、ようやく言葉をはっした。


「わ、わし、わしわし……何か思い違いをしておったかもしれぬ……。助け合いの精神を忘れておった……。思い返せば、わしがわかかりし若人わこうど少年しょうねんだった頃は、繊細せんさいかつこわがりでなおかつ敏感びんかんであった。つねにおどおどしておって、はたから見れば、おどろおどろしいおどりをおどっているようにうつったかもしれん。……そんなきゅうわしに、どれだけの人が優しく手をけてくれたことか……。

 ……なのに、わしは、心をわずらった若者に……、むご陰口かげぐちつぶやいている……。その背景はいけいも考えず、きなむせるように、ただ反射はんしゃ人格否定じんかくひていをしてしまうとは……。否定ひていせねばならん、人格否定じんかくひてい否定ひていせねばならんな……。猛省もうせいせねばならん、せいせいするほどにな。

 わしは悲しい。誰かの悲しいに気付けない自分が悲しいわい。……感受性かんじゅせいにぶらせること、それを強さだと、勘違かんちがいしておったのかもしれぬ……、いつのにかな……。

 ……こんなにもみなから助けをているというのに……、わしはそれに、あまえんぼうさんになっておる……、今のわしは腑抜ふぬけじゃ、歯抜はぬけじゃ……、『はひふへほ』の口でも咀嚼そしゃくできるほどに、軟弱気分なんじゃくきぶんあじわってしまっておるわい……。……わしはいつのにか、何かをしてもらうことを、当たり前に感じてしまうような、……くそおじいさんになっておった……。……今のあぶりとて、助け合いのうえに立脚りっきゃくしておるというのに……」


 そう言って長老ちょうろうせつなさにりた顔で、首振くびふ扇風機せんぷうきのように、ゆっくりと、会場を見渡した。


 確かにそうだ。このあぶりの場は、様々さまざまな人の力によってっている。


 たとえば、この眼前がんぜん秋刀魚サンマ。これだって、ただてんからっていたものではない。このまち――商店街町しょうてんがいまちで――鮮魚店せんぎょてんいとなむ、魚屋さかなや旦那だんな――通称つうしょう魚屋さかなや旦那だんな――が、安く提供ていきょうしてくださっているからこそ、こうして毎夜まいよ美味おいしい秋刀魚サンマにありつけるわけで。


 この会場だって、ストリップ劇場げきじょうふう居酒屋いざかや大黒柱だいこくばしら』が、閉店後へいてんごの店内をこころよしてくださっているからこそなんだ。


 本当にこの商店街町しょうてんがいまち方々かたがた、そのなかでも第四商店街だいよんしょうてんがい三味線通しゃみせんどお商店街しょうてんがい』の方々かたがたには感謝してもし切れないほどである。何故なぜって、余所者よそものでなおかつ、排他的はいたてきな私にまで優しくしてくれるんだから。


 人と人とのつながりあればこそのあぶりなんだ。


 そうはいっても、人が集まれば、いさかいが必ず起こる。

 してこんなふうに、極限状態きょくげんじょうたいっぽい雰囲気ふんいきであればなおさらだ。

 いくら高性能こうせいのう換気扇かんきせん換気かんきしているからって、まど目張めばりしため切られた空間で、かりもつけずに、こんなにたくさんの練炭れんたんをもくもくいているんだ。死の観念かんねんぬぐれない。それがこの会の醍醐味だいごみ、というよりも存在意義そんざいいぎなわけだけど。


 換気扇かんきせんといえば、つい半年前にこの換気扇かんきせん火元ひもとになり、大規模だいきぼ内部抗争ないぶこうそうが起こった。

 この店『大黒柱だいこくばしら』が使っている換気扇かんきせんは、排気性はいきせい抜群ばつぐんかつほぼ無音むおんという、信じられないような代物しろものだ。『ネコネコワールドツアー』黎明期れいめいきに、初期しょきメンバーたちが、ぶた貯金箱ちょきんばこ殺処分さつしょぶんし、お小遣こづかいを購入こうにゅうしたのだという。

 内戦ないせんというの話し合いのすえ、私たちとたもとかったある派閥はばつは、この換気扇かんきせん神託しんたくを受け、秋刀魚サンマのことなど、けろっと忘れてしまった。今では余所よそで、『しのびなくしのび足でしのびよるネコ同盟どうめい』という会を発足ほっそくし、日本にほん各地かくち巡礼じゅんれいしながら、『換気扇かんきせん息吹いぶき』をもと彷徨さまよっているらしい。その過激かげきな活動により、警察けいさつひいては公安こうあんにまで注視ちゅうしされている、とそんなうわさすら立っている。一番いちばん大事だいじ秋刀魚サンマのことを忘れてしまうなんて……。本末転倒ほんまつてんとうとはまさによく言ったもので、まりすぎていて、もはやなんで言ったのか分からない、という極致きょくちたっしている。


 仲違なかたがいは、仲良くしようとしなきゃ、して起こらない。悲しいことだけど、それだけじゃないはずだ。松茸まつたけ風味ふうみのささやかさほどには、希望がある。そう信じたい。


 こうして、この会の歴史れきしに想いをさんじていると、初めてこの会に入会した頃のことが思い出される。本当に自然なきで、気が付くと私は、この会ににゅにゅっと入会していた。


 ある日のこと、残業ざんぎょうのこひたっていると、職場しょくば同僚どうりょうと、最後の晩餐ばんさんには何をべたいか、という話になった。その同僚どうりょうは、金箔きんぱくはら一杯いっぱいいたいなんてゴージャスなことを言っていたけれど、私はただ自分の好物こうぶつ秋刀魚サンマと答えた。するとそれをどこで聞き付けたのか、その数日後に『ネコネコワールドツアー』から手紙がとどいたのだ。


 私は戸惑とまどいながら、可愛かわいいおさかなのシールをがして、その封筒ふうとう中身なかみあらためた。すると、魚臭さかなくささと一緒いっしょに、ねつっぽいで書かれた文字もじが、飛魚トビウオのように私の目玉めだまに飛び込んできた。


 いわく、『一緒いっしょ秋刀魚サンマあぶってみませんか』、と。


 いわく、『最後の晩餐的ばんさんてき晩餐ざんさんともにしませんか』、と。


 過去かこの思い出をにおいで思い出すというのは、みみにたこができるほど、何度なんど何度なんどもしつこいくらいに何度なんどはなしだが、やはり本当らしい。初めてこの真っ暗な空間で、最後の晩餐気分ばんさんきぶんしょくした秋刀魚サンマあじよみがえる。それは昨日きのう秋刀魚サンマと同じあじだ。それは一昨日おとといとも同じだし、一か月・半年・一年前のあじとも同じあなむじなである。本当、秋刀魚サンマはいつべても、一番いちばん美味おいしい。安定感あんていかん抜群ばつぐんである。そのすごみは怖気おぞけがするほどである。


 当然とうぜん、目の前のこの秋刀魚サンマも、さぞかし美味おいしいのだろう。


 私の唾液腺だえきせん河川かせん氾濫はんらんのように決壊けっかいし、タコきをなんなしに丸呑まるのみするときのように、ごくり、とのどが鳴った。

 飲み込む生唾なまつばを、こんなにも生温なまあたたかくかんずるなんて、まるで生中継なまちゅうけいだ。

 欠伸あくび生々なまなましく伝染でんせんするように、長老ちょうろうも、私の、ごくり、に感応かんのうし、長老ちょうろう独自どくじの、ごくり、をはっした。


「む、むんず……。うまそうじゃわい。背中とおなか近況報告きんきょうほうこくしておるわい。いくらともといえど、久方ひさかたりで会うとどこか気まずいもんじゃ。しかし、ひとたび緊張きんちょうけてしまえば、反動はんどうかえって話が花咲はなさくあの感じ、その感じを今、はらに感じおる……」


 秋刀魚サンマのパリパリになった薄皮うすかわけ、その真っ白い筋肉きんにくあらわになる。本当に綺麗きれいなシーンだ。風もなくそよそよそよぐ銀メッキ、新雪しんせつのようにふっくらとしたけがれなき乳白色にゅうはくしょく眼福がんぷくを、それこそ目玉めだまにがんがん感じる。


 それはやはり長老ちょうろう一心同体いっしんどうたいらしく、よだれをだらだららしていそうな、そんな偏見へんけんいだかせる顔はして浮かべずに、しみじみとした眼差まなざしで――誤解ごかいを恐れずに言えば、しじみじるのようにしみじみと――、真摯しんしな――誤解ごかいにびくびくしながら一言ひとことわせていただけるのであれば、しずかなシンセサイザーのように真摯しんしな――しっとりとした態度たいど秋刀魚サンマ相対あいたいして、『あじと会いたい』していた。


「ましろいのう。なに青魚あおざかなか。本質ほんしつが見えとらんのじゃ。……わしもそうなのじゃろか……。あの頭のいかれたスペース男の言動げんどうだけをつまみいし、その本質ほんしつに目を向けておらんかったんじゃろうかのう……。試食販売ししょくはんばいだけで、しょくなんたるかを理解するなぞ……しょくレポを何十年いそしんだところで、かなうまいな……。……このあぶりのあとに、あの頭のいかれたスペース男の話を、……聞いてみても、よいかもしれぬな……」


 長老ちょうろうは、渋柿しぶがきむさぼったように渋々しぶしぶとした口調くちょうながらも、そう私にかたり掛けた。はっきり言って、長老ちょうろうがどれだけの思いを込めて今の言葉をはっしたのか、私にはまるで想像そうぞうできない。だけど、そのえたぎる熱い思いだけは、皮膚移植ひふいしょくが必要な火傷やけどのように、皮膚ひふで感じることができた。


長老ちょうろう。今、話を聞きましょう」

「む、むむ、むんず……! なんじゃと……! 知らんのかおぬし、昔から言うじゃろ? いてはこと仕損しそんじる、と。……こんなにめた空気を、正気しょうきのまま、みだそうというのか……? さけはないのだぞ? 人は醤油しょうゆうことはできんのだぞ?」


 年長者ねんちょうしゃ苦悩くのうなんて、若い私たちにははかれない。それに、としったところで私たちは、今の年長者ねんちょうしゃたちとは、まったく違う年長者ねんちょうしゃになるんだ。だから、ことわざつうぶってのたまうのは、ほどほどにしなくちゃいけない。


長老ちょうろう。私はやりげますよ。ここにいる全員の心の奥底おくそこを、たてさぶってみせます。多分たぶんそれは、今のテンションじゃなきゃ、ないんです。ぜんいそげって、言いますよね、昔から。確かにそう言いますね? 言いますよね?

 ずかしいことなんて、少しもこわくない。怒鳴どなられたって、それは同じです。練炭自殺れんたんじさつくらべたら、このこわいことなんか、ないも同じです。私はやる。やるときはやる男だという、うれしいのかそうじゃないのかよく分からないあの称号しょうごうを、きっと手にしますとも」


 言って私は、いき深呼吸しんこきゅうざんし、はいまった秋刀魚サンマにおいを、きれいさっぱりき出した。そして、めた空気のなか、「ハイスペック」、そう言って挙手きょしゅをしながら、その場にすっくとスマートに立ち上がった。

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非性的ストリップ劇場に集い、秘密裡な炙りに興じる、寄る辺なき人々 倉井さとり @sasugari

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