続いて弐話

 長老ちょうろうのありがた迷惑めいわくなことなど一切いっさいない話が終わり、ややあって、田中たなか言説げんせつが意識にのぼってくる。先程から田中はずっと喋り続けていたが、それは無視できる範囲はんいのものだった。しかし、田中の思いはしゃべるごとにつのっていったのか、ほとんど半狂乱はんきょうらんという有様ありさまで、かといって狂乱きょうらんまではいかず、そこで落ち着いている。


「……俺は狂ってなんていない。妄想もうそうふけっているわけでもない。ただ、スペースがいて、世界の見方みかたが変わっただけだ。たとえば、チーズトースト。チーズとトーストのあいだにドライバーをねじ込んだら、そこに風が通るのは当たり前のことだろう? それと同じさ。それはトマトトーストだって同じだ。たとえピーナッツクリームだって、洗剤せんざいあらえば、トーストからがせる。

 確かに俺は今まで、……自分のスペースに目を向けて来なかった。……ただ自堕落じだらくに生きてきた。それは事実だ。でもだからって……これからもそうしなきゃいけないわけじゃない。人は、変わっていける。レッテルをられたって関係ない。人からどう見られるか、そんなことにおびえて生きるなんて……ノンセンス&アンドナンセンスだ。そんなことに思いわずらひまがあったら、自分のちょっとしたきスペースを、薄目うすめで見た方がずっと有意義ゆういぎさ」


 田中の話にっていると、突然、目の前で「があ゛ぁ」というすさまじい声が聞えた。耳が言うには出所でどころ長老ちょうろうらしい。心臓発作しんぞうほっさでも起こしたのかしらんと、どぎまぎしながらまじまじ長老ちょうろう注視ちゅうしすると、ただたんからんだだけのようだった。長老ちょうろうたたしきのハンカチを取り出すと、それで、花もじらう乙女おとめのような様相ようそうで、ほほを赤くぽっとめながらたん処理しょりした。


「ええーい。くそ忌々いまいましい。はらわた雪平鍋ゆきひらなべのようにかえるわい。トーストを洗剤せんざいあらうじゃと? たわけが。パンは、なんのためにパンをふっくらさせておると思っておるんじゃ。そんなことしてみろ、柔軟剤じゅうなんざいを入れようとも、あとまつりじゃ、あとのパンまつりじゃわい。むーん。彼奴あやつ、なんとか追い出せんものかの……」

「……長老ちょうろう、さすがにそれは……私たちのモットーにはんしてしまいます。『るものウェルカム、るものなるべく逃がしたくない』」

「むーん。……むんず。……それを言われるとの。だが、わしは心底しんそこあんじておるんじゃ、われら『ネコネコワールドツアー』のすえをの」

心中しんちゅうさっしてあまりまくりです。建付たてつけが悪くてガタついた、アルミサッシのごとく」

「……正直しょうじきの、わしにも分からんのじゃ、何が正しいのか……。人生にカンニングペーパーがあればいいんじゃがの。そんなものはないのじゃ。あったところで……役には立たんだろうな……。人生は記述問題きじゅつもんだいじゃわい。応用問題おうようもんだいじゃわい。出たとこ勝負じゃわい。されど、いいところのおぼっちゃんぜんとしていては、人は堕落だらくしてしまう。出たとこ勝負で失敗し、無様ぶざま嘲笑ちょうしょうされ傷付きながら、そして、その痛みをどころにせにゃならん。

 おのれつねに、ぐしゃっとした愚者ぐしゃだと思っておれ。人はの、天狗てんぐけっしてならんとして生きようと、やりすぎなほど天狗てんぐになるもんじゃ。伸ばすのは、肩甲骨けんこうこつまわりの筋肉きんにくだけにしておくんじゃな。つまるところ、何事なにごといた気持きもちいいぐらいがええ塩梅あんばいというわけじゃ。気持ちよすぎはけしからん。痛すぎるのは悲しすぎる。そう分かっておっても我々われわれは、間違いをおかし続ける……。……ほかの誰かをキムチけのようにめすぎ、おのれをチョコレートフォンデュのように甘やかしすぎる……」


 うんうんとうなずふけ長老ちょうろう眼差まなざしは、希望や不安がないぜになって、偏執病へんしゅうびょうぜた納豆なっとうのようにどろりとし、ダークネスひいては深淵しんえんじみていて、私まで不安にりあげられ、首元くびもとが寒くなった。まるでえた冷奴ひややっこやつを、くび丁寧ていねいに、それこそ左官屋さかんやさんのように丁寧ていねいに、りつけられたように。


 私はなんだかきゅうに、足元がくずったような感覚におちいった。


 田中。この会のり方。私の人生。そしてなにより、秋刀魚サンマ


 つねに感じていた意義いぎ。それが、いつのにか溶けてしまったような。


「俺は疑問に思う」耳にとどく声。それは田中のものだという確固かっこたる認識にんしきがある、なのにどうしてか、自分自身の声のように思えてならない。「だって、こんなの形だけじゃないか」まるで、映像のなかの、自身の子供の頃の声のような。これは確かに自己じこつながっているのだという事実じじつ、でもそうとは感じられない不可思議ふかしぎ。「なにが最後の晩餐ばんさんだよ」子供の頃の自分が、今の私をめ立てる、希望にあふれた声で、無邪気むじゃきな笑い声で、将来しょうらいの夢をかたって。「こんなに生きづらいなかだ、いっそ死んでしまおうかとも、一時いっときは考えた。だけど、そんなことに意味はない。生きているあいだに、死について考えなければいけないんだ。死ぬ必要はないさ。

 だけど、こんなふうにいつまでも、死ぬてい秋刀魚サンマっていてなんになる? 少しも建設的けんせつてきじゃない。俺たちは次のステージに進むべきだよ。秋刀魚サンマいながら、真面目まじめに死について考えるべきだ、話し合うべきだ。この世の生きづらさをさらけ出すべきだよ。じゃなきゃ俺たちはいつまでってもこのままだ。そろそろ俺たち……飛魚トビウオになってもいい頃じゃないか?」


 確かに、私だって、ふと思うことはある。こうして、ない人々がな集まり、秋刀魚サンマあぶってしょくしながらなぐさめ合うことに、たして意味があるのだろうかと。いや、意味はちゃんとある。ただ身を置ける場所がある、それだけで、どれだけすくわれることか。


 だけど田中の言う通り、根本的こんぽんてきな解決にはならない。でも……精神を崩落ほうらくさせながらも、田中が今日きょうまでながらえて来られたのも、この会のおかげではあると思う。分からない、何が正解なのか。分からない分からない。わけが、ワカメしてる。でも……。


長老ちょうろう正直しょうじき、私にも何が大正解だいせいかいなのか分かりません。……田中がいうような過激かげき晩餐ばんさんは、正直しょうじき秋刀魚サンマ旨味うまみ台無だいなしにしかねない、そう思います。秋刀魚サンマ重油じゅうゆひたしたら、それはもう重油じゅうゆですよ。でも、でもでも、頭のなかでデモンストレーションしてみると……、田中の言うことにも、一理いちりがあるように思えてならないのです。確かに、一律いちりつですべて正しいなんて思わない。でも……ぶぶけの一欠片ひとかけらがあるように思うんです。

 人にはそれぞれの考え方がある。それを、趣味しゅみが合わないからと、ないがしろにするのはいけないことなんだと思います。村長そんちょう戯言ざれごとを、苦笑にがわらいでもってめる若者のように、尊重そんちょうすべきだと思うんです、きで。たがいの価値観かちかんは、なあなあでたらいまわしにするべきですよ。

 ……誰しも経験けいけんするじゃないですか。自分のことなんて、誰にも理解されないように思うこと。なに不自由ふじゆうなく生きているのに、それでも何故なぜだか悲しくて、誰かをうらやましく感じて。……ただそれだけのために心をんでしまうこと、ありますよ。そしてそれは、誰にだって起こりるんだと思います。紙一重かみひとえ対岸たいがん火事かじげきオコしてますよ。

 人間は弱い生き物ですね。スマホの画面がめんのように、こわもので、はかなもろい。……田中のような人間こそを、受け入れるべきなんだと思うんです、我々われわれ『ネコネコワールドツアー』が。多分たぶん田中は、もう元には戻らない。正直しょうじき、あんな田中を見るのはつらいです。……だからって、見ない振りをしてそれを遠ざけていたら、なか駄目だめになる一方いっぽうだと思います。くさものふたをしたら、そりゃあもっとくさりますよ。反面教師はんめんきょうしじゃあないですが、漆喰しっくいかためて銅像どうぞうにして、駅前えきまえにでも設置せっちした方がずっといい。生きたモニュメントとするべきです、そう、もにゅもにゅモニュメントです。

 覆水ふくすいぼんかえらず、言いますよね、昔から。確かにそう言いますね? 言いますよね? でもだからって、水をこぼしたことに絶望ぜつぼうし、脇目わきめも振らずにその場にくずおれ、こしってぶるぶるぶるえながらのたまわり、堂々巡どうどうめぐりで慟哭どうこくしながら悲しんでいたって、それは悲しいですよ、すごく悲しい。自分じぶん可愛かわいさに、いくら自分をかわいいかわいいしても、それはただ、自己憐憫じこれんびんのくたびれもうけです。こぼれたお水が元に戻ることはしてない。

 それよりも考えるべきは、どうしたら次は、お水をこぼさずにいられるか、ということですよ。おぼんにラバーシートをり付けるもよし、握力あくりょくきたえリンゴジュースマンになるもよし、プロテインを元手もとで強靭きょうじんあしこし形作かたちづくるもよし。

 そこまでする時間がないとしても、誰かの力をりればいいんです。私たちはひとりじゃない。いつだって誰かがそばにいる。むしろひとりになることの方がむずかしいくらいです。1人で駄目だめなら3人、3人で駄目だめなら6人。6人ものへっぴりごしが集まれば、どんなに表面張力ひょうめんちょうりょく我慢限界がまんげんかいなお水でも、こぼさずに運ぶことができます。そればかりか、こぼれそうでこぼれない箇所かしょを、ぐるりと一周いっしゅうさせることも可能でしょうね。

 本当に助け合いのなかです。助けるまでいかずとも、なぐさめ合うだけでも違うものですよ。……誰かをあわれれむのは、どこか罪悪感ざいあくかんおぼえます。なかの人は言います、誰かをあわれむのはいけないことだと。でも、あわれみだって、優しさなんじゃないかと思うんですよ。……こんなにも殺伐さつばつとしたなかです。……誰かに感情移入かんじょういにゅうする、本当はそれだけで、とんでもなく素晴すばらしいことなんだと思います。ほとんど奇跡きせきですよ。自分のことをいて、他人のことを考えるなんて、誰かの心にえるなんて。

 そう考えると、なか奇跡きせきあふれてますね。……こんなにも、奇跡きせき乱立らんりつしているなんて。神様にサンクスメールを送らなければいけないですね。これほど希望にちた世界です。いつか、田中の心のスペースがまることも、あるやもしれない」


 滔々とうとうかたうち、私はいつのにか長老ちょうろうから目を切り、すみ薄明うすあかりをじっと見詰みつめていた。普段ふだん私はこんなにしゃべらない。自他共じたとも大手おおでってみとめるシャイボーイの私が、思いのたけを、こんなにも猛々たけだけしく吐露とろしてしまったのは、ほのお魔力まりょくじみた作用さようが、この会場のロケーションに反作用はんさようしたんだろう。

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