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 レジアの民とは、人類の祖先から百五十万年前に分化し、地中を住処に定めた知的種族である。胸椎の数は人類よりひとつ多く、二色色覚で光を解する。窮屈な地下世界で彼らがいかに進歩発展していったのか。解明されぬ謎は多い。ひとつだけはっきりしているのは彼らが〈無作法な空の道〉エポシュケテアに魅せられたことである。

 彼らのテクノロジーは遊覧軌動車を重力から解放した。粘菌由来の空胞とナノマテリアルによって建材の重量は著しく軽減されていった。ビルや工場よりも先に重力を断ち切ったのが、プリアドの乱造した遊覧軌動車群であった。上方の自由な空間に繁茂した細密なレールは、うっとりするほど美しいレース編みの密林であり、やがてその根茎までもが地上から遊離して、蒼空に漂い出すことになる。 

 当時、主要都市の上空には決まって空中遊園が浮かび、かろうじてケーブルで地上に繋ぎ留められたそこに、客たちはホバーリフトでこぞって乗りつけた。空中遊園へ差し渡された空胞チューブそのものもひとつのアトラクションとして機能しており、またそれはレジアのトンネル工法の粋が集められた傑作でもあった。

 トップ・スリル・ハイウェイスター(タイニー・スチュワート・ワンダーゾーン)

 サンダーバード・カチーナ(セヴン・トーチズ・グレート・アドベンチャー)

 碧霞雲游舵(滄州摩天遊楽園)

 これら軌動車には、足を浮かせた吊り下げ型や、直立型、はたまた背進型など、多くのバリエーションが登場する。動力も、重力の落下エネルギーから、圧縮空気やフライホイールなどが主流となっていく。カーヴ部分にかかる加重はルディッチ緩和曲線に基づく試算により人体に耐えられる安全な程度に抑えられた。その融通無碍な運動性能はレジアの民のみならず人類を捉えて離さなかった。

 はじめて地上を飛び立った軌動車輛はやはり〈花嫁のふいご〉だった。

 彼女(軌動車は女性形で呼ばれる)は機を伺っていたかのように素早く空に舞い上がった。地上の倦怠を蹴りつけて巨龍さながらの悠然とした飛翔を果たした時、レンズを含む世界中の視線がそれに注がれた。なぜ運用をストップしていた〈ふいご〉が再稼働したのか、そこには幾つかの政治的理由があった。

 ひとつには負の歴史を生産的な観光資源として捉える向きの主張が力を持ち始めたからである。暗部であればこそ、もっと太陽に近くに掲げて、その罪の強烈な光のもとに晒すべきだ。そんな声により、とうとう〈ふいご〉は歴史の暗がりから引き出された。

 さらに土地運用の問題があった。過密になったロロド講和自治体にはかつてほどゆったりと暮らせるスペースはなく、〈ふいご〉の陣取る不吉な土地ですら住宅地に当てるべきであった。とはいえ、これを解体撤去するには歴史の情念は重過ぎる。そんなわけで〈ふいご〉は人類史の暗黒面をじっくり学べる軌動学習装置として空に配置されることとなる。またレジアの民にとって〈ふいご〉は、スロッタージュ腺への希有の刺激剤として重宝された。

 続々と遊覧軌動車輛たちが打ち上げられるなか、次なる問題が生じた。

 各地に多発する異常気象ために空中遊園が存続の危機にさらされたのである。落雷や竜巻や暴風雨。これらによって軌動車輛すなわち〈無作法な空の道〉エポシュケテアは甚大なダメージを負った。修理費用は膨れ上がり、事故もまた増えた。空胞が破れ、浮力を失った軌動車輛は忌まわしい災厄となって都市を襲うであろう。早急の対策が必須である。

 ここで登場したのもレジアの生命工学であった。

 軌動車輛は浮遊することにより、地表を基盤とするさいの支柱が不要となった。そこへより柔軟な自己復元力と自由度を与えるために、構造の大部分を生体部品に換装するアイデアが持ち上がった。テテロモアニはレジアが持ち込んだ重金属とプラスチックを消化できる環形生物である。この生物には奇妙な性質があり――擬態摂食と呼ばれる――取り込んだ物の形質を擬態できるのだ。テテロモアニに少しずつ軌動レールと台車枠を浸食させることで、同じ構造を生体複製することに成功した。この変容の手品は画期的なもので加圧や振動を体内で分散させる他、軽微の損傷であれば自己治癒することが可能だ。縦横に張り巡らせた神経網と受容器は乗客の内なる要望に応じて自律的なアレンジを構造に加えていく。さらに多型の変異体にフリンジや接合材を担わせることで全体の八割を生体に置き換えることができた。キチン質の生ける遊具となった〈ふいご〉は、あらゆる気候変化と外圧とに対応した。これに続いて数々の浮遊遊園もまた構造を生物化させていき、限りない予測不能性を受け止める許容度を得た。

 かつてチュニターの園は歓楽地と動物園を兼ねていた。新たな空中遊園は、その理想を推し進め、とうとう生物と遊具を合成したのだ。遊覧軌動を楽しむ者は、生き物の体内を這い巡るようなうすら寒い感覚を覚えたかもしれない。ここにさらなる問題が出来する。肉食を捨て、かつてないほど動物の権利に心を傾けた人類は(少なくともその過激な一部は)、空に囚われた生ける遊具にも憐憫の情を抱いたのである。あるいは遊具たちには秘めたる自由への意志があったのかもしれない。

 因歴三〇四年の極寒の盛夏に突如起こったことは、のちの歴史に「乱游事変」と呼ばれることとなる。過激派による空中遊園と地上を繋ぐワイヤーケーブルの破断。強力な爆薬によるこの破壊行為は狂信的な生物愛護団体の仕業とされた。不条理な拘束を受け、人々の娯楽に供される憐れな生物を解放するための非常手段を取ったと言われるが、一説にはレジアの民を忌み嫌う分離主義者によるものとも噂された。

 ともかく〈ふいご〉をはじめ、多くの遊覧軌動車輛らは長い束縛を脱し、無限の大空に解き放たれたのだった。空胞を破って這い出し、うねうねと雲間を漂うその姿は、生まれたての龍さながらであった。驚くべきことに浮力を提供する空胞を失っても遊覧軌道車たちは墜落することがなかった。後の解剖でわかったことであるが、グライジュと呼ばれる器官が周囲の大気を圧縮し、それを密にすることで、いわば粘性の高い気体の中を泳ぐことを可能にしたのだ。錐もみコークスクリューねじれツイストを応用した独自の泳法は瞬間的ながら軌道車輛らを極超音速ハイパーソニック)の域にまで引き上げ、その前にはいかなる飛行体も無力だった。習性上、人を襲うことはないはずであったが、好奇心から人里に近づくことならあったし、太陽光エネルギーを確保できない場合には家畜を捕食することもある。地表近くまで降りてきた軌動車輛は、迎撃ミサイルによって退散させられたものの驚くべことに多くが破壊を免れた。焼け焦げた一部を切り離し、太陽光から取り込んだエネルギーで欠損部を再生するまでわずか四六時間しかかからない。およそ知能を持たない軌動車輛たちだったが、自己の領空を防禦するとともに、それを果てなく拡大させていくという苛烈な本能に恵まれていた。


 ――こうして遊覧軌動車輛たちの壮絶な争闘がはじまる。空の果てるまで。

 他の飛行体はもちろんのこと、とりわけ同種への敵愾心は凄まじく、まさしく不倶戴天の間柄の如く挑み合うのだった。ある年などは敗れた龍の屍が雨のように降ったという。が、生ける遊具たちの生存競争についてはほとんど記録がない。なぜなら地表においても大きな戦争が勃発したから。人類はそれどころではなかったのだ。

 あらゆる国家共同体を巻き込むこの戦火は、空を埋め尽くす龍たちによって航空戦が封じられていただけに、いっそう酸鼻を極めた。レジアの抹消あるいは放逐を悲願とする者らは呪われたロロドの地に集結し、みるみるうちに膨れ上がると、無垢だったその手を銃把に馴染ませる。抗う者たちにしたところで同じ非道さで猛火と毒をまき散らし、母なる大地を凌辱した。不妊と無産の刻印が押された大地。毒煙は空を舞う龍たちにまで届いただろうか。人々の腹が裂かれ、骨を数え上げ声を生ける遊具たちは聞いたろうか。

 胸椎の数が十二であれば人、十三ならレジアである。

 十三は死の数字とされたが、体躯から引きずり出されたなら十二もまた死を免れない。レジアたちは五つの大陸と九つの海の隅々まで狩り立てられ、人類との混血を果たした少数以外は滅び去った。滅びに瀕したのは人類もまた同じ。大幅にその成員を失った人類文明は衰退し、リマウ朝より遥か以前、燻製とクランク機構だけが取り柄であるオーネラド中期の文明水準まで落ち込んだ。空を舞う遊覧軌道車はどうだったろうか。彼女たちに寿命はなかったが、生殖の方途もまたなく、生の営みといえば、飽くなき争闘のみ。地上には静謐が、天空には戦慄が充ちる――千年の時は、そのようにして過ぎていった

 ここまでの記述もまた遥か古代のことであり、ヤタケの憧憬が見せた一瞬の幻と弁別する術はない。蒼空の深みより漂着した龍を前にして、これこそが全天を掌握した最後の遊覧軌動車輛だという確信めいた閃きがヤタケをとらえた。

ヤタケの一族は家系的に視力が悪く、世界を鮮明に捉えることができない。また吃音と寡黙とが彼等を弱々しく見せた。その血統をヤタケは、失われたレジアの民の末裔だと考えたかった。迫害の果てに滅びかけた種族であれ、空に龍を解き放ったのは我が先祖のテクノロジーなのだと誇りたかった。大地に取り残された人々は狂おしくも物欲しげに空を見上げたに違いない。彼らは知っていた。人類は、成長したことで遊具を手放したのではなく、むしろ遊具の方が彼らを手放したのだと。

ヤタケは屍に手を伸ばし、広漠たる雲海を舞う〈花嫁のふいご〉とそれを駆る己の姿を夢想する。眼ぇ覚ませ、と赤子がむずかるような訥弁が少年の口から迸る。

「おお、お、おきろぉ〈ふいご〉、もう真昼だぁ」

 ルゥオオオオオオオオッ――すると風が唸り、天地が鳴動した。

 

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龍の編年史――A Shameful Life Of Thrill Ride 十三不塔 @hridayam

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