20:この記憶データを上書きしますか?

  … ZZZ …



 珍しくも八時ちょい過ぎに目を覚ました僕は、本人曰く、偶々、ちょうど、偶然、僕の寝顔を少し、ちょっぴり、こっそり、ばっちり覗きに来ていた木下さんとカウンセリング室横、傍聴室へと向かっていた。


 なぜなら、ベッド脇に置かれたテーブルに貼り付けられていた桐谷さんのメモによれば、昨夜治療した夕君は七時二十四分に起きたようで、僕の起床時刻と照らし合わせれば、自然と患者がカウンセリングを行っている時間と重なっていることが割り出せたから。


 いや、割り出せたからといって、カウンセリング室で先に待機して居ようとか、初めから立ち会おうとか、そう言った感情や思考を今日の僕は持ち合わせる余裕はなかった。

 ただただ純粋に不安を払拭するため、身体が動いていた、というのが行動原理にある。


 昨夜の治療を思い返そうとしても、最後に【想像の定型文アウェイクワード】を使おうとしてからの記憶が一切残っていない。

 そのせいで、本当にちゃんと治療を終わらせることが出来たのかが分からず怖いし、夢充していた時間の割に今朝のバイタルチェックではなぜストレス値があの程度に治まっていたのかも不安を煽る要因になっていた。


 そんな様々な不安が渦巻く中で、僕は傍聴室の扉を開いた。


 早く着いたつもりだったが、中ではすでに姉さんが夕君に対して問診を始めていた。

 これの結果でカウンセリング医が患者に対し、どちらのカウンセリング療法を用いるかを決めるわけだが内容を聞く限り、姉さんは記憶改竄タムパリング治療を選択せざるを得ない。


 理由は明白だった。

 夕君は昨日見た悪夢の内容の前に、なにが原因でここにいるかさえも忘れかけていたからだ。

 それは確実に僕の治療が原因なため、罪悪感が積もってしまう。

 この結果には姉さんもひどく悩んでいる様子が見て取れたが、間もなくして、それが開始された。

 記憶改竄タムパリング治療には一つだけ大きなルールが存在しているが、それは『改竄かいざんした記憶は元のストレス要因に限りなく沿わせなければならないこと』だ。


 脳はストレスを抱えると視床下部ししょうかぶが反応し、下垂体かすいたいからホルモンが分泌される。

 これが食欲低下や血圧上昇へと繋がるわけだが、ストレスが解消するまでそれが続いてしまう。

 ここで問題なのは、解消すべきストレスと乖離したものへ改竄してしまうと、深層心理内では、適切にストレスを克服したことにはならず、脳はストレスを抱えたままになる。


 例えば『彼女に浮気をされた』というストレスを『彼女にフラれた』と改竄した場合、『浮気された』というストレスを克服できないまま、脳が記憶してしまい、再度同じことが起きた場合、二重でフラッシュバックが発生する恐れがあるわけだ。

 そのため、姉さんは『海で、なにが原因で、なにが起こった』を再度、克服しやすい形で記憶に植え付けないといけない、かなり根気のいる治療を行っている。

 幸い、子供の場合、記憶の刷り込みが楽らしいが、発達しつつある繊細な時期のため、一歩間違えば成長に悪影響が出るとも言われていた。


 とりあえず、今回の治療は三十分ほどで終わりを告げた。

 これ以上続けても夕君の集中力が持たないと、姉さんは判断したのだろう。

 夕君は姉さんが呼んだ看護師に手を引かれて、自分の病室に戻っていった。


 おそらく、まだ三回ほど夕君は治療をしないといけないし、まだ立会の機会はあるだろうと考え、この場をあとにしようとした。


 ――が、傍聴室を出たら、先ほどまでカウンセリング資料などを片付けていたはずの姉さんが待ち構えており、捕まってしまった。



   …… ZZZ ……



「この、バカ愚弟がっ!」


 思いっきり罵声を浴びせられながら、僕は頭を叩かれた。

 よく見たらグーで殴られていた。

 多分、数ミリ凹んでいるかもしれないが、今回はそれくらいで済んでよかったと思うべきだろうか。

 姉さんは乱れたおさげをいつものようにポニーに結び直すと、再度、僕に向かって拳を振り上げた。


「あんた毎回毎回、患者の記憶消して反省してないの⁉」

「毎回じゃなくて一月ひとつきに一回あるかないでっ! いたっ! またぶったな⁈」

「あのね、本来これは一回でもあってはいけないことなのよ!」

「反省はしてるけど、僕が治療に干渉しすぎると、こうなってしまうのは」

「あのね百歩、いいえ、万歩も億歩も譲って、それは私たちが認可してることだから目を瞑るわ。ただ、頻度を考えて。記憶改竄タムパリング治療を極力やりたくないんだから」

「それには毎度毎度、頭が上がりませ、いだぁっ⁈」


 誠心誠意、心を込めて頭を下げたのにまた殴られた。

 原因が僕にあるからと言っても、殴りすぎだと思う。

 その光景をタイミング悪く入ってきた嶺吾たちが目の当たりにし、わなわな震えていた。


「あー、今回も凛の姉さんに迷惑かけちゃった、みたいだな」


 げんこつの威力に引いているのか、声も少し震えているようだが、僕にいたっては殴られ過ぎてひよこが見えている。


「……でも、今回はペース配分然り、悪夢の変異も見抜けずストレス値をいたずらに蓄積させた私たちにも責任はあるし、嶺君はあとで私が折檻せっかんするから」


「あ、甘んじて受けるべきなのか俺は?」


 例に漏れず一緒にきていた桐谷さんが、嶺吾の後ろから顔を覗かせ提案をすると、内容を処理しきれなかったのか空返事していた。

 それに対して姉さんは「じゃあ、そっちはまかせるわね」と譲歩し、代わりに僕をもう一発殴ったのは納得いかない。


「まあ、今回は最後の仕上げを限界近い凛に任せてしまった自分にも落ち度はあるので、あんまり強く責めないでやってください」

「……そうね。私も途中で離脱した身として、湧泉さんだけが怒られるのは申し訳ないです」


 しおらしい態度で二人が僕を珍しく素直にフォローしてくれるけれど、結局のところ、やっぱり僕が悪いことには変わりない。

 本来、記憶改竄タムパリング治療をする機会は少なく、当院が一番それの使用頻度が多かった。

 記憶の前後に差異がないように改竄かいざんする。

 また、同じストレスで発症しないように、根底の道筋だけは残しておかないといけないと、治療の難度も高い。


「はあ……。まったく、今回も三人が序盤に正攻法でメアを削ってくれていたから記憶の再構築はできたけど、あなたが相殺治療する比率によって再構築は出来ても、もう一度同じ原因で発症することもあるんだから気を付けてよね」


 先の説明通り、僕らの治療ではメアを全部相殺するのではなく少しだけ残し、後のカウンセリング治療で嫌な記憶と向き合える耐性を付け、フラッシュバックを防いだりする必要がある。


 しかし、今回の治療では、僕が患者のメアを多く消してしまったため、悪夢の内容、さらに元となった原因すら思い出すことが困難になっていた。

 こうなってしまっては、もう一度原因を少しずつ思い出しながらカウンセリングするか、記憶の一部を丸っきり取り換えるしかなかった。


 だから、本当に僕のせいで姉さんが余計な神経を使っているので、申し訳ないとは思っているし、他のメンバーにも同様の気持ちを抱いている。


「まあまあ、凛先輩のおかげで私たちが夢幻肢痛むげんしつう被害に遭わないことも多いですし、今回の治療でもあんなおっきなメアを一瞬で消してましたし」

「大きさってどれくらいだったのかしら?」

「もう他のメアがこのくらいなら、凛先輩が倒したメアはキリンほど大きかったですから」


 木下さんが自分の腰元に手をあてがい、対峙していたメアの大きさの比を現している。


「なるほどねぇ、それは凛にも、患者にも、大きな副作用が出たでしょうね」


 言葉に含みを持たせながら、僕に目線が向けられたので、すぐさま窓の外を眺めた。


「でも木下が言うように、俺らがあの大きさの奴と対峙していたら、ストレス値を貯め、患者の治療どころではなかったので、本当に助かってはいるんです」

「一緒に治療をしているあなたたちがそういう評価を凛にしてくれているのは、うれしい限りなんだけどね」


 なぜか、嶺吾の言うことは素直に受け止めているようで、姉さんは軽く息を漏らす。

 嶺吾と桐谷さんは、そのあと少ししてから、いそいそと退室の準備をしていたが、なにか思い出したようで動きを止める。


「あ、これを忘れるわけにはいかなかった。凛の姉さんそろそろお願いしたいことがあるんですが」

「なにかしら?」

「ちょっと」


 そう言って窓際の方へと姉さんを誘導し、何回かの応答をやり取りした後、戻ってきた。


「じゃあ俺たちは患者の様子を確認するために来ただけなんで、失礼させてもらいます」

「……入れ違いだったみたいなので、おいとましますね」


 二人は雫姉さんに挨拶をして部屋を出ていったので、僕らも続いて、ここを去ろうとしたが、雫姉さんに呼び止められてしまう。

 まだなにか怒られるのかな、と少しだけ身構えて振り返れば、その表情はかなり曇っていて、どうやら怒られるわけではないらしい。


「――凛、あんたどれだけ抱えてるの」


 姉さんの手には脳波測定器が握られており、その銃口は僕を捕え、赤い警告光が点滅していた。


「姉さん、僕はやるべきことをしてるだけだよ」

「違う! こんなことして辛い思いをするのはあんた自身よ!」

「大丈夫、ちゃんとストレス緩和剤トリプトンは打ってるし、他にも夢充をしなくても治療には役立つようにしてる、患者のケアだって!」

「そうじゃない! このままだとほんとに忘れちゃうわよ華凜かりんのこと――っ!」

「姉さん大丈夫⁈」


 雫姉さんは慌てて口を押え、後退る。

 その様子は、まるでストレスをフラッシュバックし、嘔吐寸前だったため、僕の身体は勝手に動いていた。


「大丈夫、……大丈夫、だから」


 姉さんは身体をむりやり動かして、駆け寄った僕を引き離す。

 その態度から恐らく僕が今、ここにいてはいけないのだろうと直感した。


「そ、そういうなら。いこ、木下さん」

「え、あ、はい。では、またお邪魔しますね」


 驚きのあまり呆気にとられていた木下さんの手を引き、僕らもカウンセリング室をあとにする。

 今度は、姉さんに止められることはなかった。



   …… ZZZ ……



「――あっ、凛先輩すいません。私、雫さんの所に測定器置いてきちゃったみたいです」


 睡眠時記憶管理室を前に、慌てる木下さんの腰回りは、確かにいつもより寂しかった。


「本当だね、気付いた姉さんと入れ違いになっても困るし、すぐ取りに戻ろっか」

 一緒にいこうと思い、管理室に背を向け、歩き出そうとしたが、

「いえ、あとで凛先輩に急いでゆめ日記にっきを書かせるわけにはいかないので、一人で大丈夫です!」


 木下さんは僕に気を使わせないように、返事を待つことなく走り去っていった。

 時々、僕は木下さんに一人で姉さんの所にいかないように、と警告をしているが、焦りのあまりそれを忘れているようだ。


 姉さんには年下の女性を妹のように溺愛できあいする癖があるため、長話に捕まりでもしたら、当分の間は帰ってこないかもしれない。

 桐谷さんみたいに強く拒むことができれば、姉さんも諦められるけど、木下さんではかなり不安が残ってしまう。まあ、杞憂きゆうで済めばいいけれど。


 今更心配しても遅いし、業務開始時間までの限られた時間を有効に使うべく、僕は管理室のドアに手を掛けた。



 ここ睡眠時記録管理室は、言葉通りの場所で部屋は二つの区画に分かれている。

 正面の区画は壁沿いの通路からキャビネットを挟んだ反対側に、向かい合ったデスクが川の字に並んでいる。主に、奥の区画から受け取ったデータを管理している。

 目的である奥の区画はパーテーションで完全に分離され、仄かに薄暗い。


 ただ、そこに存在する『夢映し』と呼ばれるCTスキャンと遜色そんしょくない機械が放つ暖かな明かりが、なんとかこの空間にある物体の輪郭りんかくを作り上げていた。


 いつものようにタッチパネル式操作盤で夢映しを起動させ、ベッド部に横たわる。

 その後、頭付近のリングが静かにうなり始め、直近で見ていた睡眠時の視覚情報を脳から電気信号として、読み取り始めた。

 この間、僕は目を閉じているだけでいいので、短時間だがよくウトウトしてしまう。


 十分ほどの短い時間でそれも終わり、今度は向かいの窓際に長細く設けられた部屋で夢日記をつける。

 一説によればこれをつけ続けると、夢と現実の境目が分からなくなってしまう、という迷信があるらしい。


 しかし、僕らにとってはここまでが夢でここからが現実だ、と境目をはっきり区別でき、夢幻肢痛を患った時の対処にもつながる利点があった。




 それにしても、木下さんが一向に帰ってこない。

 木目調のセパレートに挟まれた空間で日記はすでにつけ終わり、窓の外に広がるビオトープをかれこれ十五分くらいは眺めていただろうか。

 木々の隙間からは、朝早くから元気に走り回るレベル1患者の子供たちや、近所の老夫婦がビオトープに沿って仲睦なかむつまじそうに歩いているのが見える。

 病院の敷地内といっても、あそこは全面的に解放されているため、こうして地域の人たちにとっていこいの場になっているのであれば、存在意義は大きいだろう。


 そうやって物思いにふけっていると、後ろで扉が開く音がした。

 椅子を後ろに倒し、入室者を確認すると、やはり木下さんがそこにいた。


「木下さんずいぶん遅かったね、もしかしなくても、姉さんに捕まった感じかな? なにかいじられたりしてたのなら、今度懲らしめておくから言ってね」


 僕がいつものように冗談交じりに話しかけると、なんだか表情が重くなっているのが分かった。


 そして、木下さんは戸惑いを交えながら恐る恐る切り出す。


「いえ、……少しばかり凛先輩の過去について、雫さんの方から」


 その返答に思わず、天井を見上げ、頬がつり上がってしまった。

 別に決してうれしいとか、そういういい意味の感情ではなく、自分の中で知られてしまったことで諦めが付いたというか。


「なるほどね、姉さんも頃合いだと思ったのかな? いや、さっき嶺吾が姉さんに話してたのは、これのことだったのかな? まあ、どっちでもいいけど、聞いてどうだった」

「他人事として聞ける話ではありませんでした。同じような経験を凛先輩もされていて、今もその罪と向かい合っていることに、私はその辛さを量ることができませんでした」


 そう語る木下さんの目には、溢れ出そうとする感情のうねりが対流し始めているが、僕の気持ちを推し量って、なんとか堪えている様子だった。


 一体、木下さんは、雫姉さんからどこまで僕の【PTSD】を聞いてきたのだろうか。



   … ZZZ …

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『(ボク-記憶)×罪滅ボシ≒悪夢喰イ?!』 示鹿 @jiei_lycoris

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