第9話
こんな日の、こんな時間だ。人の姿はまばらだった。冷たい風に肌をさらさないようにネックウォーマーを口まで上げた。
花ちゃんはまだ来ない。
線路を挟んだ隣のホームに白の車体にオレンジのラインが入った特急が滑りこんできた。ドアが開き、黒ずくめで中年の外人と、髪も服も真っ白な女性が腕を組んで乗り込んでいく。窓越しに二人は車内を進み、並んで腰を下ろした。
実に楽しそうだ。待ちぼうけの自分が惨めに思えて視線を外すと、花ちゃんが階段を上がってくるのが見えた。
「何を見ていた?」
「いや、何も」
「そうか、幸せな恋人たちを目の当たりにして、ひがんでいるかと思ったぞ」
「……見てたのかよ」
俺のぼやきを無視して、ついてこい、とホームの隅に進むと、立ち食い
「かけそば、二つ」
「あいよ」
年老いた店主のぶっきらぼうな返事のあとは店のTVの音声が場を満たした。
数日前の湾口水族館テロ事件について批評家が偉そう話している。自衛隊のおかげで死者が一人も出なかったというのに、どうして批判ばっかりしてるのかわからなかった。
言いがかりのような物言いに鼻を鳴らすと、花ちゃんは首を振る。
「あいつらは文句を言うのが仕事だから放っておけばいい」
「怒らないのか」
「それが大人という生き物だ」
そうは言いつつも事後処理が大変なのだろう。顔に疲れが見えるし、パンツスーツもくたびれている気がする。
「アリスだけど――」
「知りたいか? もう二度と会えないのに?」
サングラスで隠された彼女の思いがわからずに口を閉ざしかけた。それでも、俺は知っておかなければならないと思う。意を決した時、前に湯気を立てるかけそばが置かれた。
タイミングを逃し、箸を割って蕎麦を
「ここからは独り言よ」
最もらしい事を言って花ちゃんは蕎麦を啜り、手を止め、言葉を続けた。
「10年前、東京に身元不明の少女が現れたわ。名はアリス。当時13歳だった」
俺は箸を止め、続きを待つ。
「どの言語も通じなかったが、突然、意思の疎通が出来るようになった。それがアリスによる魔法だとわかると、国は未知の技術を独占しようとしたわ。でも、誰も使えなかった。それでもアリスは軟禁され続けた。窓から外をながめる姿が
優しい目で語る花ちゃんは言葉を切り、勢いよく啜り始めた。それをながめるだけの俺をチラリと見ると、のびるわよ、と言って箸を動かす。
汁まで飲み切った彼女はサングラスを着けて短く言った。
「言っておくが他言無用だ」
「異世界から魔法を使える女の子が日本に来ましたって? 誰も信じないさ」
「そうだな」
俺と花ちゃんは薄く笑った。
二〇一八年12月。アリスと出会い、別れた。
波乱の一ヶ月だった。
年が明けて授業が始まり、いつもの席に着いてノートにペンを走らせる。前から二列目中央の席はアリスの指定席だったが今は俺の席だ。
文化人類学の年老いた先生は珍しく俺たちに向かって話していた。
「えー、そういうわけでして内陸部における鬼伝説は諸外国からの来訪者とは考えられにくく……」
アリスはこの世界から姿を消し、俺との関係を含めて話題になっていたがすぐに収まった。あいつらの結論では、愛想をつかされた俺が捨てられた、だ。あながち間違ってないから困る。
先生の話は続く。声に熱を感じた。
「諸外国からでなければ、鬼はどこから現れたか? ここからは私の持論でオカルトじみていますが……」
もしかしたら鬼は異世界人かもな、ふとした思いつきだったがクリスマスの一件からするとあながち間違ってない気がする。先生に話したら喜びそうな説だ。もちろんアリスも興味を示すだろう。
今頃なにしてるんだろうな。窓の外に目を向ける。そこにはアリスの世界が見えるはずもなく、寒空の下に葉を散らし終えた
後ろの扉が開く音がする。この先生は寛大だから遅刻でも怒らないだろう。足音は大きくなり、間近で、止まった。
その姿を見て俺は目を見開く。
よほど間抜け面をしていたのだろう。アリスは目を細めた。
「少し詰めて。そこは私の席だから」
冷静を装い腰を横にずらした。何を話していいかわからずノートを作る作業を続けようとしたが一文字も書けない。
固まっていると肩がぶつかり、耳元でささやかれた。
「帰って来ちゃった」
「どうやって?」
「もちろん魔法よ。結構大変だったけどね。言いたい事も聞きたい事もたくさんあったから頑張ったわ」
言いたい事と聞きたい事? 思わず顔を向けると思った以上に顔が近くて身をのけぞらす。青い瞳がいたずらっぽく輝いた気がした。
「ねえ、裕司も魔法を使ったわよね? 私のペンダントにあんな力はないもの」
「俺が魔法を? アリスの冗談はわかりづらいな。それと俺からも話がある」
「何?」
リュックに手を入れ、小さなケースを彼女の前に置く。水族館で渡しそびれたやつだ。
「遅いクリスマスプレゼント。安物だけどな」
拒絶されないか気がかりで唾を飲む。しかし考えすぎだったようだ。
彼女はそれを両手で包むと目を閉じてほほ笑む。
「ありがとう。うれしい」
「いいさ。それぐらい。それと、言いたい事って?」
「こんなサプライズしてもらったら言えないじゃない」
アリスは歯を見せて笑った。それがまぶしくて前を向く。
しまった。お帰りを言いそびれた。
まあいいか。これから交わす言葉はいくらでもある。
【短編】追放令嬢は日本に降り立つ! Edy @wizmina
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