第3話 サンタクロース

   

「……こっちが本命!」

 鞄から彼女が取り出したのは、2枚の顕微鏡写真。

 細胞組織を顕微鏡で解析した、画像データのプリントアウトだった。

「こんな時間になっちゃったけど、とりあえず結果出たからね。まだ佐田くんいるなら、見せておこうと思ったんだ」

「ありがとう……」

 敢えて長ったらしく言うのは避けて、しみじみと一言で感謝を伝える。

 彼女の「こんな時間になっちゃった」というのは、逆に言えば、こんなに遅い時間まで、僕のために顕微鏡仕事をしてくれていた、という意味なのだから。

 そう、僕のためだ。わざわざ僕に見せに来るのだから、僕たちの共同研究の写真データに違いない。

「どう? 役に立ちそう? とりあえず、ワクチン接種個体と、非接種個体の細胞組織なんだけど……」

 と言ってくる美緒子さんと一緒に、じっくりと写真を眺める。

 だが『じっくり』の必要はなかった。見た瞬間、僕は叫んでしまったのだ。

「すごいよ、美緒子さん!」


 病理学は、分子生物学よりも専門技能が必要とされる分野だ。肉眼にしても顕微鏡を使うにしても、とにかく目で見て調べる学問なだけに、まず素人には見方がわからない。どこをどう観察したら良いのか、それにもコツがあって、何年か訓練しないと身につかないという。

 だから病理学的解析は分子生物学者には困難であり、病理学者と組んで共同研究する形になるのだが……。

 この2枚の写真には、素人である僕にも一目瞭然なくらい、明確な差があった。

 ワクチン接種の方は、サラサラの元気な細胞組織。対照的に、ワクチンがなくウイルス感染だけの方は、ブヨブヨしたダメダメの細胞組織。

 こうして顕微鏡写真にすると、いかにワクチンが効果的か、とても説得力があるのだ!


 顕微鏡写真のわかりやすさは、その写真を撮った人間、つまり顕微鏡観察した美緒子さんの手腕でもあった。

 どちらの個体であれ、細胞組織の全てがブヨブヨだったり、サラサラだったりするわけがない。視野によっては、曖昧なところもあっただろう。その中から顕著な領域を選び出すのは、病理学者の才能だった。

 もちろん「本当は両方のサンプルに同じくらいサラサラ部位とブヨブヨ部位があるのに、片方からはブヨブヨ部位だけ選んで、もう片方からはサラサラ部位だけ選ぶ」みたいなことをしてしまったら、それはデータの捏造だ。

 データを捏造しないのは、研究者としては一般常識だが、世の中には非常識な人間がいないとも限らない。そういう性質たちの悪い人間と共同研究して論文を書いてしまうと、あとで困るのは僕の方だが……。

 少なくとも美緒子さんは絶対にそんなことしない、と僕は信頼できていた。結局、研究者も人の子であり、重要なのは信頼関係なのだ。


「役に立ちそう、どころじゃないよ! こんなに嬉しいデータ、今までにないくらいだ!」

 僕はガバッと立ち上がり、美緒子さんをギュッとハグしてしまう。

 それくらい、冷静さを失っていたのだ。

「やめてよ、佐田くん。私たち、そういう関係じゃないよね?」

 彼女の言葉でハッとして、慌てて離れる。

「ああ、ごめん……」

「興奮するほど満足してくれたなら、私としても嬉しいけどね。遅くまで頑張った甲斐があるから。でも抱きつかれるのは、ちょっと困るなあ」

 改めて見つめると、彼女は少し頬を赤らめていた。

 赤といえば、彼女のイメージカラーだ。着ているコートの赤が、僕に強くアピールしている。彼女としては、さそりのつもりなのだろうが……。

「本当にありがとう、美緒子さん。この顕微鏡写真こそ、僕にとって最高のクリスマスプレゼントだよ!」

 僕には、美緒子さんがサンタクロースのように思えるのだった。




(「さそり座のサンタクロース」完)

   

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さそり座のサンタクロース 烏川 ハル @haru_karasugawa

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