第2話 さそり座の女

   

「私のところもそうだけど、この部屋も、いつもドア開けっぱなしだよね」

「もしかして、僕の独り言、聞こえた?」

「うん。でも今さらだから、恥ずかしがることないよ。良いデータが欲しいのは、研究者なら誰でも思うことだもの」

 長い髪を後ろで束ねた、赤いコートの女性。

 一般的にはポニーテールと呼ばれる髪型のはずだが、彼女自身は「私さそり座だから」という理由で、スコーピオンテールと言い張っている。コートに限らず赤い服を好むのも、さそりのイメージカラーなのかもしれない。

 二階にある研究室で働く、美緒子さんだった。

 僕の研究室とフロアは異なるが、研究室同士の交流があり、僕にとっては共同研究者でもあった。僕の研究テーマを手伝ってもらっているのだ。


 同じ研究に携わる以上、互いの研究分野に関連はあるものの、僕とは異なり彼女は分子生物学者ではない。病理学者と呼ぶのが相応しいのではないだろうか。

 動物実験に関しては、僕よりも専門家だ。

 定義としての病理学は「細胞や臓器などを肉眼や顕微鏡で検査し、病的変化を研究する学問」のはず。でも僕のイメージとしては、薄くスライスした切片標本を作って、毎日毎日、顕微鏡を覗いている人。それが僕から見た美緒子さんだった。

 白衣ではなくコートを着ているのだから、実験途中ではなく、帰り際に立ち寄ってくれたのだろうが……。

「美緒子さんも、遅くまでお疲れ様」

「いつものことだからね」

 ニコッと笑う美緒子さん。

 僕は「今夜はクリスマスなのに」と思ったが、口に出したのは別の言葉だった。

「それで、なんの用事? ただ遊びに来た、ってわけじゃないよね?」

 クリスマスの夜に、いくら職場とはいえ、僕しかいない部屋に同世代の女性が遊びに来てくれたら、ちょっと嬉しく感じてしまうが……。

「これをキミにプレゼントしようと思ってね」

 美緒子さんは、コートのポケットから小さな箱を取り出す。

 プレゼントと言っても、特にリボンが掛かっていたり、きれいな包装紙でラッピングされているわけではない。それどころか、僕に渡す前に、彼女自身で小箱を開封し始めた。

 中から出てきたのは……。

「はい、クリスマスプレゼント!」

 小さな球体。

 いわゆるスノードームの置物だった。

 ドームの中身は魚を模したオモチャであり、それが水中にあるのだから、アクアリウムっぽさも感じられる。もちろんスノードームだから振れば『雪』が乱舞するのだが、魚のイメージに引きずられて、むしろ『雪』よりも深海のマリンスノーを連想してしまう。

 どちらにせよ、とにかく洒落た小物だった。

 それが僕の机の上に置かれたので、礼を述べる。

「クリスマスプレゼント? これを僕にくれるの? ありがとう!」

「……というのは冗談でね」

 と、美緒子さんが肩透かしな発言をして、僕は眉が八の字になる。それを見て、慌てて彼女は手を振った。

「違う、違う。プレゼントなのは本当だよ。いったん渡しておいて、取り上げたりしないよ。ただ『クリスマスプレゼント』というのは、ちょっと違って……。本当は、誕生日プレゼントのお返しのつもり」


「ああ、なるほど」

 11月の上旬、僕が学会発表の出張で買ってきた土産みやげの件だ。

 自分の研究室には土産物みやげものの定番として地方銘菓を一箱買ったのだが、その際ふと「いつも世話になっているから、共同研究者の美緒子さんにも何か買って帰ろう」と考えたのだった。しかし女性一人にお菓子一箱は多すぎると思って、ご当地ゆるキャラの可愛らしいストラップにしたのだが……。

 同じ研究室ならまだしも、別の研究室の人間から自分だけ「おみやげをもらう」というのは、少し抵抗あったらしい。受け取りを渋る彼女に対して、僕は「じゃあ誕生日プレゼントということで」と言って、押し付けたのだった。

 普通は僕も他人の誕生日などチェックしていないが、ひょんなところで、彼女のさそり座アピールが役に立ったのだ。

 考えてみれば。

 クリスマスプレゼントであれ、誕生日プレゼントのお返しであれ、プレゼントであることに変わりはない。でも、このスノードームをクリスマスプレゼントという意味付けにすると「僕だけ一方的にもらうわけにいかない」となって、僕からも彼女にクリスマスプレゼントを用意しないといけなくなる。

 だから美緒子さんは、わざわざ「クリスマスプレゼントではなく、誕生日プレゼントのお返し」と明言してくれたのだろう。

「どっちにしても、僕にくれるんだよね? ありがとう。そんなに気を遣わなくていいのに……」

「本当はね」

 僕の言葉を遮るようにして、美緒子さんが、キラリと瞳を輝かせる。

「プレゼントしようと思って来た、というのも冗談なの。私が訪ねてきた理由は……」

   

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