さそり座のサンタクロース

烏川 ハル

第1話 PCR

   

 12月24日。

 世間がクリスマスで浮かれる夜、遅くまで研究室に残って、僕は一人で仕事を続けていた。

 仕事といっても研究実験なのだから、研究者にとっては好きでやっていることであり、趣味みたいなものだ。クリスマスだからといってデートをせず、趣味活動に没頭している人間は、世の中にごまんといるはず。ならば、僕もその一人という話になるのだろう。


 僕はいわゆる分子生物学者であり、現在の研究テーマは、とあるウイルスに対するワクチン開発。遺伝子を弄って、よりワクチン効果が高い組換えウイルスを作製、実験動物に接種して実際の影響を確かめる、というのが研究内容だった。


 今この瞬間は、リアルタイムPCRをおこなっている。

 そもそもPCRというものは、ポリメラーゼpolymerase連鎖chain反応reactionの略語であることからもわかるように、ポリメラーゼによる遺伝子増幅が基本原理だ。

 遺伝子の一部を二つのプライマーで挟んで反応させれば、元の遺伝子を鋳型にしてプライマーから遺伝子鎖が伸びていくだけでなく、その「プライマーから伸びてきた遺伝子鎖」も「元の遺伝子」同様、反対側のプライマーによる伸長反応が行われる際の鋳型となる。つまり、二つのプライマーに挟まれた区間だけは、伸長反応が凄い勢いで繰り返される。結果、標的区間だけ膨大な量に増幅されることになり、たとえサンプルは微量であっても、検出可能なレベルになるわけだ。

 ポイントの一つは、二つのプライマーの伸長反応が向き合っている、ということ。遠距離恋愛の恋人同士が、久しぶりの再会で、相手の姿を目にした途端、互いに向かって駆けていく。そんなイメージだ。

 ……と言いたくなるのは、今夜がクリスマスだからであり、孤独な僕でも無意識のうちにロマンチックな気分になっているのだろうか。

 

 まあロマンチック云々はどうでもいいが、この理屈で言えば、PCRは定量的ではなく定性的な解析法に過ぎない。少しでも存在していれば増幅されてしまう以上、多いか少ないかは議論できないのだ。

 ところが、リアルタイムPCRは違う。マニュアルを読むと『PCRの増幅量をリアルタイムでモニターし解析する方法』と書かれている。

 伸長反応による増幅具合を随時、で機械が測定。同時に、基準となるスタンダード――あらかじめ量がわかっている遺伝子――も用いることで、検量線やら何やらを引けば、サンプル遺伝子の「多い、少ない」もわかるようになる。

 そんな仕組みだった。

 だから古典的なPCRのように電気泳動で遺伝子を視認するのではなく、蛍光標識された試薬を用いて、蛍光光度計の内蔵された機械の中で随時、検出・測定していく。繰り返される伸長反応の過程において「今これくらい増えています」を何度も何度も自動的に記録していくので――その増え方の数値が重要なので――、とにかく一つの解析が終わるまで、かなりの時間がかかる。

 とはいえ、人間である僕がやることは、マニュアル通りに試薬とサンプルを混ぜて、機械に放り込むだけ。あとは結果が出るまで、他の実験をしたり、デスクワークをしたり、のんびり休んだり出来るわけで……。

 こうして今、自分の席でパソコンの画面を眺めているのだった。


 僕が現在リアルタイムPCRで調べているのは、ワクチン接種した動物内のウイルス量だ。効果的なワクチンであれば、実験動物の中で病原性ウイルスの増幅が抑えられたり排除されたりするはず。目に見える数字として、そのデータが欲しいのだ。

 つまり『よりワクチン効果が高い組換えウイルスを作製』の時期はとっくの昔に終わっており、もう『実験動物に接種して実際の影響を確かめる』という最中さいちゅう。一つの研究の仕上げが近い、という段階でもあった。

 せっかく作った組換えウイルスワクチンが想定通りの効き目を発揮してくれなかったら、それでも研究発表できるけれど「なんの成果も得られませんでした」的な論文になってしまい、悲しいわけだが……。


――――――――――――


 測定結果が出た。

「うーん……」

 見た瞬間、僕の口から唸り声が漏れる。

 一応は「ワクチン接種と非接種の動物で、ウイルス量の差がある」という数値になっていた。でも、期待していたほど顕著な差ではない。統計学的には誤差の範囲、実験動物の個体差に過ぎない、とまでは言われないだろうが、少なくもインパクトには欠ける数値だった。

「もっとわかりやすいデータ、欲しいなあ」

 どうせ誰もいないと思って、独り言を口にしたところで。

 トン、トンとドアをノックする音。

 ビクッとして、研究室の入り口に目を向けると……。

「こんばんは、佐田くん。やっぱり、まだ残ってたんだね」

 ドアの横に、一人の女性が立っていた。

   

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