最終章「Innocent Gray」

第48話「無垢なる灰色」

 帰ってくるのは、変わらない日常である。


 土師はじ自身が言っていた通り、この事件は全て法律では裁けない。霊などという存在は実証されておらず、遠隔地にいた土師のアリバイは完璧だ。


 唯一の綻びはクリス・ルカーニアの殺害だが、


「え……っと……」


 相も変わらず、亜紀は報告書に追われていた。


 拘置支所爆破事件は、爆破された段階で警察、消防に連絡があったのだが、明津あくつ一郎いちろうの死亡が確認されたのは、火事が一段落した夜明け前、クリス・ルカーニアの脱獄が発覚したのは、もっともっと後だ。


 まだ顕在化けんざいかしていない事件を亜紀が知っていた事、また土師がクリスを殺害した現場に居合わせた事、その全てが問題となってしまう。


 亜紀が警察官であろうとも、警察が最初に疑うのは第一発見者である事に変わりはない。


 ましてや警察官だからこそ知っている情報が存在し、特に明津一郎は亜紀の初仕事だったのだから、関わる理由付けはいくらでもできた。


 それに対する報告書は、いつも以上に厳密でなければならない。


 こういう報告書こそ、ベクターフィールドの能力を使ってあっさりと終わらするべきものという見方もあろうが、それは亜紀の矜恃きょうじが全力で拒否する。


 ――私が必要だと思った事件には、全力で協力する事。


 亜紀とベクターフィールドの契約は、事件・・である。今、眼前にある報告書は違う。


 とはいえ、亜紀も度々、頭を抱えそうになっているのだから、矜恃の高さに対し、どうしても能力が低い。


 ――最終的にはベクターフィールドに頼る事になるんだろうけど……。


 説明しきれない矛盾があるのは確かで、それを説明しようとすればベクターフィールドの能力は必須だろう。


 一日中、格闘したとしても終わらなさそうな報告書に、いい加減、疲れてきたところで、スマートフォンの鳴動が集中力を途切れさせてしまう。


 IMクライアントの通知だった。


 ――今夜、残念会とかどう?


 メッセージは以前、合コンを開いたメンバーから。亜紀は八頭と知り合えただけ成功といえるのだが、他のメンバーは失敗だったと思っているくらいの結果だったらしい。


 ――今夜、か……。


 スマートフォンの画面を一瞥した亜紀は、書類へと視線を向けた。


 ――終わる? これ。


 もう午前中から何度、手直ししたか分からないような書類だ。それだけ重要な書類である。場合によっては徹夜してでも仕上げなければならない。


「そっか」


 パンッと手を叩き、亜紀は画面をタップする。


 ――ゴメン! 今日は仕事があるから……。


 ただ、あくまでも書類仕事があるといいたかったのだが、送られた相手は違うと判断してしまう。


 ――ああ、アンタ、いい雰囲気になってた人いたわね~。


 八頭と盛り上がっていた事を憶えられていた。亜紀は思わず苦笑い。


 ――そんな関係には、まだなってないって。


 亜紀の返事は、すぐさま既読マークが付き、


 ――まだ・・? まだ・・っていった?


 亜紀の日常だ。



 事件を解決したが、恒久の平和が訪れた訳でも、世界が光に包まれた訳でもない。



 そんな戦いがあった事など、誰も知らないまま一日が過ぎていく。



***



 精々、変わった事といえば、突如、飛来し、海へ落ちた火球のニュースだろう。朝の情報番組から昼のワイドショーまで、「素晴らしい天体ショーでした」と賑わせ続けている。


 そんな明るいキャスターの声とは無縁の胴間声どうまごえを、八頭は電話で受けさせられていた。


「何が操作してます、だ。どうせ忘れてたんだろ! お前のとこのミスで、こっちの足まで引っ張るな!」


 電話の向こうでは、別部署の先輩ががなり立てている。怒っている理由は何の事はなく、八頭の部署と電話先の部署が協力してしなければならない操作があったのだが、それがかみ合っていなかっただけの事。


 がなり立てられている八頭は頬を引きつらせながらも、「そうですね」「はい」「すみません」としか繰り返せない。


 ――そっちでカバーしてくれれば、何とでもなるのに……。


 現実には、がなり立てている先輩がフレキシブ――という程、流動的に動く必要はなく、ボタンを何個か押すだけで済む――に動いてくれれば、何の問題もない程度だ。


「配管に影響が出たら、お前のせいだからな!」


 捨て台詞を残して切られた電話の受話器を置いて、八頭はやっと終わったとばかりに時計を見上げる。


 ――怒鳴り時間10分か……。急ぐんじゃないのかよ。


 当然のように、八頭は溜息を吐いた。


 随分と急かす口調で話した割には、この電話で10分もがなり立てていたのだから、八頭を踏み付け・・・・にする事だけが目的だったと思われても仕方がない。


 それでもいわれた通りに操作をし、二度目になる大きな溜息を吐いた八頭が、何気なく見遣ったスマートフォンにはメッセージ着信のインジケータ。


 まず一通はアズマから。


 ――また隣のおばちゃんが、おイモくれたよ! ご飯を炊く時、一緒に炊飯ジャーに入れたんだった! 蒸し焼きになってるから、とってもとっても甘いよ!


 ご飯粒のついたサツマイモを抱きかかえるアズマの画像が添付されている。


 ――帰ったら、半分こしようね!


 ――ああ、半分こして食べると、美味いもんな!


 返事をして、次のメッセージに移ると、


 ――今夜、遅くなりそうなんですけど、八頭さん、もうご飯食べました? よければ外食に付き合っていただけませんか?


 八頭の日常は、少し好転したのかも知れない。



***



「はい、ミックスフライ!」


 ベクターフィールドは行き付けの食堂で、ミックスフライ定食を前にしていた。


「味噌汁大盛り、ご飯はドンブリ、キャベツはゴリゴリ増しだよ」


 お盆に載せた料理をベクターフィールドの前に置く女将さんは、「サービスだ!」と胸を反らせていて、ベクターフィールドは女将さんの期待通りの顔を見せる。


「いいね、いいね、ありがとう!」


 ベクターフィールド礼をいった後、パンッと音を立てて手を合わせ、


「いただきます!」


 まさしく満面の笑み。


 いつもならばトンカツだが、今日は気分を変えてミックスフライにした。


 その理由は――、


甲子豆こうしまめ! これが俺、大好きなんだぜ」


 細長い天ぷらを箸で掴んだベクターフィールドは、一段と嬉しそうな顔をする。


「そうそう、好きだって聞いてたから、いつもはエンドウ豆なんだけど、今日は変えてみたよ!」


 厨房から店主の声がした。


「いいねェ、うれしいぜ!」


 天つゆをつけ、「いただきます」と些か、大きな声でいうベクターフィールド。


「これが、サクサクしてて甘くて、うまいんだぜ」


 いざ丼飯どんぶりめしと共に口へ――というところで、もう一人の声が重なった。


「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」


「……」


 左手に丼飯、右手に甲子豆の天ぷらを箸で掴んだ姿のベクターフィールドは、薄暗い路地裏へ。


「戻せーッ!」


 路地裏に響くベクターフィールドの声。



 何も変わっていない。



 今も新たな事件は起こり続けている。


 死神は寿命を迎えた者の前に現れ、呪術師は霊を使役し、悪魔は常に暗闇の中から虎視眈々こしたんたんと狙う。


 アズマ、八頭、亜紀、ベクターフィールドが片付けた事件など、何万件とあるものの一つに過ぎず、誰に拍手される訳でもない簡単なものだ。


 そして誰も自分が持っている目標に到達できた訳ではない、灰色決着。



 灰色決着――銀色ではなく灰色。



 しかし、これは無垢な灰色Innocent Grayだ。


 誰も戦いがあった事を知らず、今日もあらゆる趣味に打ち込め、安全に仕事ができる日常にする事――これこそが公務員の仕事だ。警察も冥府も、公務員・・・である。


「戻せーッ! 晩飯なら、お前等もこの店に来い!」

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Rising -雷神×死神/喪女×魔王- 玉椿 沢 @zero-sum

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