第47話「殺人鬼の羨望」
くそ真面目というべきか、くそ面倒臭いというべきか、管轄外の事件に首を突っ込みたがる、ある意味に於いては責任感が強い亜紀がいたからこそ、今夜、ベクターフィールド、八頭、アズマの連携が完成した。ベクターフィールドだけで勝利を拾えたかどうかは、考えるだけ無駄というもの。必敗である。
亜紀には最強の力はない。ベクターフィールドの様に隕鉄を呼ぶなど不可能であるし、アズマの様にプラズマを作り出し、電流を操る術など持っていない。八頭と比べると、剣道の心得がある分、そこだけは互角というところだが、冥府からの助力は皆無。
だが三人は亜紀によって結びつけられたのだから、亜紀が持っていた力は
亜紀だから、女子高校生の霊とて
そして今、この場に亜紀がいるのも、その責任感から。
土師が絶対に見られてはならない瞬間を、亜紀は見た。
「今、後ろから刺しましたね!?」
ベクターフィールドから逃げろといわれたが、亜紀にクリスを追跡するセンスがあったればこそ、この決定的な瞬間を逃さない。
土師は不自然に顔を引きつらせた。
「
亜紀を土師は認められない。まるで戦力にならないと切り捨てていたのだ。その亜紀が、このメンバーを繋ぎ合わせた中心だったなど、決して認める事ができない。
土師が顔を歪ませても認めたくない最高の力を持っていた亜紀は、努めて冷静にいう。
「殺人の現行犯です。そして――」
亜紀は特殊警棒を握り直した。土師の正体は知っているし、この戦いで心得た事がいくつもある。経験不足が露呈し、八頭を失いかけたが、その一度の経験を活かすのが公務員の
「
呼吸は思っていた以上に落ち着いていたが、亜紀の声では土師を怯ませる事はできない。
土師は短く深呼吸をすると、歪んだ顔を笑みに変える。
「バカでしょ」
亜紀は戦う術を持っていないに等しいのだから、土師はただ
クリスの霊が立ち上がり、土師は最初の仕事を告げる。
「さぁ、やれ!」
霊による殺人は立証不可能なのだから、目撃者である亜紀を始末するにはうってつけだ。
ナイフを構えて向かってくるクリスの霊だが、亜紀とて警察官。
暴漢には怯まない。
「せいッ」
ナイフを横へ弾いた亜紀は、真っ直ぐに踏み込み。警棒は自然と上段、相手へ面を打ち込める位置へと流れる。
「面ッ」
思わず亜紀の口から飛び出した言葉とは裏腹に、その打ち込みは失敗。
――肩口!
亜紀の特殊警棒を、クリスは脳天ではなく肩口で受けて回避した。そして亜紀が修めているのが剣道というのも、この場合はマイナスに働いてしまう。
――浅い……!
そのまま振り切ってしまえば、胸を袈裟斬りにしていただろうが、打つ事に特化してしまった亜紀の一撃は、手応えのない霊を斬り捨てるには向かなかった。
そしてクリスが打たれたのは
ナイフを持ってるのは
亜紀が特殊警棒を引く速度も決して遅くはないのだが、ナイフの間合いでは特殊警棒の長さが
クリスの動きは、見えていて尚、避けきれない。
「!?」
ダメージを覚悟する亜紀だが、その時だ。
クリスの眼前に、まるで亜紀を庇うかのように、もう一人の霊が現れるではないか。
亜紀が息を吞まされる。
「!」
庇ってくれた霊は、あの女子高校生だ。
「――」
女子高校生の霊が声にならない悲鳴をあげるも、回り込んだ亜紀がクリスの脇へ……、
「あぐッ」
だが亜紀が特殊警棒を突き出すよりも早く、クリスは攻撃に転じていた。ナイフは決して亜紀の身体に触れていないが、霊は手で触れるだけでも、人体に電気が走る様な痛みと痺れを与える。
特殊警棒を取り落としてしまう。
女子高校生の霊が、それでも亜紀を庇おうと立ち上がった、その時だ。
飛来してきた矢が、ナイフを構えたクリスの右肩を貫く。
亜紀が振り向けば、そこには長身を白いスーツで包んだ女の姿がある。
「!」
今の一矢は女の弓から放たれた。弾丸は霊の
クリスの右肩を貫いた矢は、右手一本を吹き飛ばす。
その一撃を加えられる女が、ただの人間であろうはずがない。
女死神は次の矢を右手に持ち替えながら、亜紀と女子高生の霊を庇う位置へ走る。
「下がっていなさい」
亜紀は知らない事であるが、八頭を担当している女死神だ。女死神が
しかし剣や刀ではないのだから、この距離では寧ろ不利ばかりだ、と土師がクリス怒鳴りつける。
「何をやってるの!」
深夜であるから、ホテルの廊下にはよく響く。
クリスが左手でナイフを掴み、それを見た女死神が動いた。
「どきなさい」
邪魔だとはいった死神だが、矢を放つ手は……僅かに
クリスのナイフは、女死神にも亜紀にも向けられていない。
向けられたのは、土師だ。
「な――」
土師の悲鳴は短かい。
クリスの切っ先は生前と同じ鋭さで、正確に土師の鼻と唇の間に突き入れられた。
クリスは倒れた土師を虚ろな目で見下ろし、
「お前に殺されるのは、ちょっと嫌だった」
クリスは様々な人間に羨望を感じてきたが、土師には抱けない。
感情とか倫理観とか、そういったものが欠如しているクリスであるから、常に感情を言葉に載せられる者を羨ましく思ってきた。死にたい、消えてしまいたいという言葉に乗っていた悲哀へ向けてきた眼差しには、常に
土師が言葉の端々に載せていた他罰的、確信犯的な感情にクリスが感じたのは、羨望ではなく苛立ち。
そして――、
「死ぬのと殺されるのは、全然、違ったんだな」
今になって、自分が殺してきた者達が口にした言葉は、どれも「殺されたい」でなかった事に気付かされた。
死神を振り向くクリスは、黙って両手を広げる。
女死神からも、言葉は何もない。
「……」
ただ矢がクリスの胸を貫いた。
「あなたが、死神?」
亜紀の質問に対し、女死神は答えない。肯定も否定もしないのが、本来ならばこの世の者ではない死神の節度だ。
ただ女子高校生の霊に手を伸ばすと、亜紀が女死神の腕に飛びつく。
「待って!」
死神に連れて行かれる訳にはいかないのだ。
「この子の魂は――」
だが腕に飛びつく程、慌てている亜紀に対し、死神の言葉は短い。
「もう持っています。それに人に危害を加えていない霊は保護対象です。武器を使って、強制的に消す様なことはしません」
土師が持っているといわれた魂は、目に見える様なものではなかったのだ。
「自殺した罪は、冥府で
事情が事情だけに、そこまで冷たくいわれる筋合いがあるのだろうか、と亜紀は思ってしまうが、女子高校生は「はい」と小さく頷く。
「甘粕さんが頑張ってくれていました。なら、もう少し耐えるのが、私がしなきゃいけなかった事です」
飛び降りた自分の愚かさを、女子高生は痛い程、わかっている。
誰が悪いのかと問われた時、信じ切れなかった自分自身といえる彼女だ。
亜紀は唇を噛んでしまう。
――ああ……。
自分の不甲斐なさを思い知る。
やはりこの女子高校生が命を絶ってしまったのは、大きすぎる損失だ。自分の死を、こんな風に穏やかな言葉で受け入れられる強さ、優しさを身につけられる人間が、この世に何人、いるというのか。
亜紀はただ頭を下げ、
「ごめんなさい。私は、何も――」
詫びる言葉しか出てこない。恨み言の一つもない女子高校生に対し、亜紀の語彙は貧弱だ。
ただ相手は、触れる事のできない亜紀に、言葉のみ向ける。
「甘粕さん、これからも頑張って」
亜紀が顔を上げ、自分の顔を見てくれた事を確認すると、女子高生は死神に顔を移し、頷く。
女死神はテーブルクロスを引く様な仕草をし、女子高生は――空に溶ける様に消えた。
仕事はもう一つあるのだが、女死神は弓を消す。
「……魔王の事は、まぁ、いいでしょう」
ベクターフィールドと、その契約者については、見なかった事にするつもりだ。
「八頭くんに死神の力を付与するために、決裁の持ち回りで走り回って疲れました」
それは言い訳に過ぎないのだろうが。
今夜の大騒動は、ここで終了だ。
本日の干潮時刻――午前3時7分。
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