第46話「土師が背負っていた数十年分の損失」
巨人の崩落を目にした
――クソッ、クソッタレ!
内心で毒づく土師へ、かけられる声がひとつ。クリスだ。
「大仕事だな」
呼び戻されたクリスは、大慌てで荷物を纏めていく土師へ、軽く首を傾げるような仕草を見せる。霊を全て失ったのだから、慌てるのも仕方がないが、それでもクリスには他人事だった。
身を隠すにしても
土師は手だけは動かしながら、クリスへ視線を向ける。
「当たり前」
手出しはできないとしても、土師も冥府からマークされているのだ。死神が集まってくる場所からは当然、離れなければならない。それもできるだけスピーディに。
「急ぐの。理由、一から十までいおうか?」
小馬鹿にした口調の土師に対し、クリスは短く「いいや」とだけ返した。
――どうせ一から十までいわれたところで、俺には理解できん。
他者への共感が人一倍、薄いクリスであるから、土師の事情などより分からない。分かるのは、巨人を斃した八頭やベクターフィールドが来る事くらい。
「ここへ下の奴が来るから、くらいだろう?」
クリスが向ける窓の向こうでは、ベクターフィールドのファイアボール、アズマのプラズマ、八頭の
生者に手を出せないアズマや八頭は兎も角、ベクターフィールドは危険な存在である。クリスには、八頭と亜紀が合流した時点で引き上げを命じた土師の意図は分からない。
――そのために俺に行けといったんだろう?
土師は「はあ」と大きく、そして態とらしく溜息を吐き、
「早めに霊を補充しておきたいの」
それをローリスクでやれるのがクリスだ、とわかり切った事を説明するのが面倒くさい――そんな態度だった。
「下にいる奴なんて、どうでもいいの。雷神の子供は私には手を出せない。非正規の死神も。魔王? 生者に手を出すのなら、その非正規の死神に私を守る義務が生まれるわ」
どちらに転ぶという話ですらなく、結末は一つしかない。少なくとも土師にとっては。
「ついでにいうなら、下にいる非正規の死神は今、正規の死神の力を持ってる。魔王の方が負けるわよ」
ふんと鼻を鳴らした土師は、この戦いの発端にもなった女子高校生の自殺を思い出していた。彼女の意識と魂を持っていったのがベクターフィールドだと勘違いした冥府が、八頭の先代をベクターフィールド討伐に向かわせ、その時、ベクターフィールドは
――どちらにせよ、下の連中は私に何かできる相手じゃないの。
そう思うのは、慌てて荷造りしている事と矛盾するが、指摘されたとしても土師は小馬鹿にして終わらせるだけ。
クリスが死神でも魔王でもない者の名を出しても同様に。
「警察は?」
亜紀はどうするのか?
やはり土師はバカにした様な溜息を吐き、バカにしたような目つきをクリスへ向けるだけ。
「私が何をしたの?」
土師は、世間に顔向けできない事は一切、していないと胸を張って見せた。
「拘置支所の爆破? 私は何もしてない。霊が過電流を流して爆破したなんていう人は、頭がおかしい部類の人」
土師には一切の違法行為がない。
「女子高校生を自殺に追い込んだ? 成りすましていたのは明津一郎ってゲス」
土師は無関係だ。
「その明津一郎を殺した? いいえ、殺したのはあなた」
寧ろ亜紀が追ってくる相手はクリスなのだが、それとて警察は動いていない。拘置支所の
「こんなの逆境らしい逆境じゃない。女をレイプした事はある?」
「ない」
「私はされた事がある」
土師が軽く
「そいつらの人生のピークは、その時だった。私を力でねじ伏せられた、その時がピーク。何年か後、バイクでトレーラーに突っ込んで、一時期はテレビで面白おかしく放送されていた。モザイク入りの、衝撃的瞬間ってね」
笑う。
「アクセルが故障してスロットルが開きっぱなしになってた上、ブレーキのワイヤーが切れてたけど、そんなの私がした事じゃないわ。私は他の人間に、仕掛けろなんていっていない」
「全て霊がした事」
笑い、嗤う。
「その時、私の才能が開花した。私は警察には捕まえられない。冥府も人間には手出しできない」
霊を操る能力とは、土師にとって――、
「
それ以外に表現する言葉を持っていない。
「その力を使って仕返しする事の何が悪い? 最悪の連中を殺して何が悪い? 誰だって考えて当然。そして私は権利を持っていたんだから、使うのも当然よ」
「……」
クリスは無言だった。反発も首肯も、出せる言葉を持っていないのがクリスという狂人。ただ出せるのは、
「そういうものだろうな」
「クリス。あなたにとって、一番、辛い事は何? 他人からの抑圧? お金が尽きる事? そんなもの、殺せばいいし、取ってくればいいのよ」
これが土師の理屈であり、それこそが冥府が最も怖れる事態。
八頭を担当している死神が口にしたことのある言葉を、土師は身につけていない。
――神も仏も命の摂理を曲げない理由の一つが、人は親しい者の死を乗り越えて強くなれるからです。
人は困難に出会した時、それを自身の力で乗り越えるからこそ成長する。
それに対し、土師はこの世のものではない力で叩き伏せた――成長のしようがない。
――ああ。
それでクリスは唐突に理解した。
――だから俺は、こいつが
霊に狙われていた時に懐いていた、冷めた感情が湧き起こる。
考えなしで突っ込んでいく。
実に短絡的に完結した思考しか持たない土師は、自在に動けるというのに廊下を歩き、また死んだ程度ではクリスを圧倒する力などないにも関わらず、バカ正直に真っ向から襲ってくる霊と同じだ。
面白いとは感じられない――寧ろつまらない。
冷めていくクリスとは対照的に、土師は名調子だ。
「さて」
バンッとキャリーケースを閉めた土師は、クリスに出て行く様に
「ここにいても仕方がないわ。霊を補充しに行くの」
クリスを戻したのは、この霊集めを手伝わせるためなのだから。
――脱獄したクリスに、私はクリスと知らずにナンパされた。ホテルの部屋で彼の正体に気づき……。
先に出ろという指示に従ったクリスを、土師は思わず嗤ってしまう。
「そう、そう。クリス――」
ドアを開けた所で、土師はテーブルの上にあった果物ナイフをクリスに突き立てた。
「死んで……」
果物ナイフ程度でも、人間の身体は急所に10センチも刃が突き刺されば致命傷を負う。殺人鬼クリスは、興味を失った土師への意識が薄くかった。
「お前が、私の再起するための最初の霊。私は一度も、死にたいと思った事がないのが自慢なの」
土師は果物ナイフを持った手を
――襲いかかってきたクリス・ルカーニアに、私は抵抗した。その必死の抵抗で殺してしまった。正当防衛よ。
土師は宙に手を遣る。現れ出でるのは、霊を包む
「さあ――」
それでクリスを包もうとした時、鋭い声が土師を打つ。
「動かないで下さい!」
思わず顔を向けた先にいたのは、特殊警棒を握った亜紀だった。
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