ロスタイムの埋め立て地

布原夏芽

ロスタイムの埋め立て地

「あと5分だけちょうだい! 5分でいいから!」


 由希子ゆきこが手を合わせて下げてきた頭頂部を見ながら、またか、と僕は考える。今日は、結婚して3年の記念日。僕の仕事が終わり次第、専業主婦である由希子と自宅で落ち合って、記念日のディナーに出かける予定だった。


 おおよその帰宅時刻は前日までに伝えてあったし、会社を出るときに連絡もした。なのにいざ帰りついてみれば、化粧に手間取ってすぐには出られない、5分待ってくれと言う。


 僕たちは三十路を回っていて、由希子の化粧も当然、昨日今日習得したものではない。どれぐらいの時間で出来上がるか、わからないはずはないのに。


 <5分だけ>とか<一生のお願い>とか、こちらへの要望になんらかの限定する文句を付けることで切迫感を出してくるのは、恋人時代から変わらぬ由希子のいつものやり口だ。


 <一生のお願い>は既に、両の手では収まらないぐらいの数が発されており、彼女の一生は量産され尽くして1ダースごとに箱詰めできそうだし、<5分だけ>と言われるがままに僕が与えてきた時間を通算すると、主だった名作映画を一通り見終わることができるほどの時間になるのではないか。


 こうやってなし崩し的に「待ってもらった」という既成事実を作り続けるのは、実に日本人らしい作戦である気がする。そんなことを、同じく日本人であるはずの僕は思い巡らせる。

 

 もっとも「5分ぐらいなら」「一生に一度と言うほどなら」などと折れてしまう僕自身も、限定品に弱いという日本人らしさを抱えているのかもしれないが。



 由希子の準備が完成するまで、背広姿で玄関の三和土たたきに突っ立ったまま待つ。


 「ごめんね、武志たけしさん」という妻の軽い謝罪が、場を繋ぐように何度も通り過ぎる。

 5分と言いつつ5分で済んだ試しはないが、5分と言われた手前、部屋にあがってくつろぐ気にはなれない。


 具体的に告げられた数字に縛られてしまう自分の融通の利かなさに、少し嫌気が差した。


 僕はいつもこんなふうに待ってばかりだな、と独り言ちると、さっき退社してきたばかりの職場が、思い浮かんできた。


 通信機器を中心に扱う中小企業だが、実体は零細企業に近い労働環境だ。

 記念日を重要視する由希子のため今日ばかりはと強引に帰路についたが、退社しようとすると後ろ髪を引いてくる社風は、入社時から変わらない。


「おう吉原よしはら。君がやりかけてる仕事、終わるまであと少しじゃない。

 あと5分ぐらいやって帰ってよ。残業代は出ないけど」


 退社の打刻をした途端、後ろから課長が言い放ってくる。口車に乗せられてきりの良いところまで業務を終わらせるが、もちろん5分どころでは済まない。当たり前のことだ。

 5分で片付く残量なら、細かい時間が気になる質の僕でもさすがにやり終えて退社する。

 5分で済まないことをわかっているから課長は、退勤処理を終えた瞬間を見計らって声をかけてくるのだ。


 年間の勤務時間は所定の枠を大幅に超えているが、システム上は退勤しているので勤怠には反映されない。

 毎月発行される給料明細は残業代なしのスカスカのホワイトだけど、サービス残業が常態化した勤務の実態はブラックそのものだ。


 そんな日中の仕事をどうにかこなして家に帰りついてからも、由希子の調子のいいお願いに振り回されっぱなし。


 思い返せば、結婚前のデートでも由希子はだいたい遅れて待ち合わせ場所に現れた。待ち合わせ1分前になって「ごめん、5分遅れます」という連絡が来るのも毎度のことだった。

 次から5分早く準備を始めればいいのではと思うのだが、改善されることはついぞなかった。


 結婚して同じ家に住めば、彼女の遅刻に悩まされることもなくなるだろうと楽観視したが、それでは甘かった。


 「すぐ夕食できるよ。熱々のうちに食べてほしいから座ってて」という指示に従った次の瞬間には、「お肉にあわせるソース作ってなかった! ごめんあと5分」と言われ、お預けをくらう。


 風呂に入ろうと裸になったら、「先に鍋を洗っちゃいたいから、あと5分待って」という声が、台所から飛んでくる。

 鍋の油汚れを落とすため由希子がお湯を使っている間は、風呂場でお湯が出てこないのだから待機するしかない。裸のままの5分は、なかなかの屈辱だ。


 世の中は「ワークライフバランス」という言葉が注目されているけれど、僕の場合は、ワークもライフも同じぐらい良い勝負の、なあなあのバランスで固まってしまっている。

 バランスが取れていればいいというのではない。大事なのは、仕事も家庭もメリハリをつけて、効率よく生きることのはずなのに。


 伸びに伸びた無記録の残業時間、妻に浪費されていく貴重な余暇のひと時。小出しにしては膨らんでいく僕の善意の総体は、1日24時間から抜け落ちてどこへ逃げていくのだろう。

 僕が僕のために使うはずだった時間、僕に生きられなかった時間の行く末は。


 どこかに、僕の人生のロスタイムをまとめて捨ててある埋め立て地があるに違いない。そんな茶番めいたことを考えつつ、今年の記念日はつつがなく終わっていった。



 日付が変わって今朝、会社に行くため玄関の扉に手をかけたとき、由希子はいつも通りまだ布団の中だった。


 朝に弱いながら新婚当初は一緒に起床して、食パンを焼いただけであっても朝食を用意してくれていた。

 けれども一年を待たずして、「行ってくるよ」という僕の声で寝床から這い出してきて、寝ぼけ眼のまま玄関口で僕を送り出すようになった。

 今では寝室の隣のキッチンで、僕が自分でベーコンエッグを焼いたフライパンをガチャガチャと音をさせて洗っても、爆睡を続けている。


 夜になって「あと5分」と懇願するならば、その分早く起きて行動を開始すればいいのだ。5分と言わず10分でも1時間でも。


 結局昨日は、由希子が化粧を終えてからも靴を選ぶのに何分かを要し、レストランに到着したのは、予約した時刻ぎりぎりだった。


 「間に合ってよかったね」と由希子は笑っていたが、こういう洒落込んだディナーなんかは、時間に余裕をもって到着し、ゆとりある心で楽しむものだ。

 駅から店まで小走りにならざるを得ず、汗ばんだ体が高級感のある店内に不釣り合いこの上なかった。


 身にまとわりつく苛立ちを振り払って、今日も業務を進めていく。

 3年経って板についてきた家庭生活と同様、結婚前に転職した会社での職務にも目新しさはなくなった。


 頑張ったところで、どうせ終業間際に追加の仕事を割り振られることはわかりきっている。自然と、昼間は惰性で過ごすのが日常になってしまった。


 会社もこすいが、僕自身も同じぐらいくだらない。


 そんな自己嫌悪に陥っていたからだろうか、昼休みにスマホで見かけたネット記事が、僕の脳内に残って消えようとしなかった。


『どうしようもない人生を変えてくれる出会い』

――人生には、進路を切り替えてくれる邂逅が、必ず現れます。

それは、人とは限らない。物や場所が、あなたにとってのかけがえのない出会いであることもあるのです。

人生を変える人、人生を変える物、人生を変える場所。

苦境に差し掛かったら周りを見渡してみましょう。

すぐそばに潜んでいるかもしれない、かけがえのない出会いを大切に。


 普段なら気にも留めないような胡散臭い記事だったのに、「人生を変える場所」という文字を見てから妙な胸騒ぎがしていた。


 昨晩、由希子の支度を待つ間に考えていた、冗談のようなワードが頭から離れない。

 <人生のロスタイムの埋め立て地>。


 僕の不毛な人生を一変させるには、この世のどこかにある埋め立て地に辿り着いて、失った時間を取り戻せばいいのではないか。


 そう考えると居ても立っても居られなくなってきた。

 そこそこに残業を切り上げ、粘着質な課長の肉薄をかいくぐり、いつもとは違う道を通って帰ることにした。



 <埋め立て地>がどこを探せば見つかるのか、見当もつかなかった。

 でも、埋め立て地というからには、広い土地のはずだ。


 最短距離で駅へ抜ける住宅地をまっすぐ突き抜けるのはやめて、手始めに山際の空き地を、帰りがてら散策してみることにする。


 この辺りは開発途中で頓挫した、だだっ広い土地が広がっている。見るからに管理が行き届いておらず、古い家具や家電が不法投棄されている一帯があった。


 自然と人工物の混ざり合った中を山辺へ向かうにつれて、霧が濃くなってきた。

 車道沿いの空き地に多く集まっていた大型家電の成れの果ては、この辺りまで来るとほとんど見られない。


 誰かに見つからないうちに不法投棄してしまいたい家電を、わざわざ奥地まで運ぶ物好きはいないだろう。


 不法投棄ぐらいでしか人を呼ばない土地を、あてどなくさまよっているなんて、僕はいったい何をやっているんだろう。そろそろ帰ろうか。


 我に返り、現実的な思考が急激に戻ってくる。僕の思考を反映するかのように、目の前を覆っていた霧も晴れ始めた。


 視界の変化に伴って、すぐ前方の地面に小さな物体のシルエットが見えてきた。

 処分するために家電リサイクル料のかかるテレビや冷蔵庫が打ち捨てられているのはわかるが、普通ごみで出せば無料処分できそうな小物が捨てられているのは奇妙だ。

 放置されている物が何なのかが気になる。


 近くまで寄ってみると、それはプラモデルだった。

 それも、僕がいつか自分の手で組み立ててみたいとかねて思っていた戦闘機シリーズの、一番手間がかかる機体。


 付き合いたての頃、ショッピングモールのイベント広場で、プラモデルが展示されている前を通りかかったことがあった。

 それを見た由希子が「こういうのって組み立てるの、とんでもない時間がかかるよね。暇な人もいるんだなぁ」と呟いたのを聞いて以来、密かに興味を持っていることを言い出せずにいたのだ。


 小さな戦闘機は、古びた塗装がなされているものの、完成して間もないことがわかる。

 隅々まで接着剤のはみ出しも見られず、時間をかけて細心の注意をもって組み立てられていることは伺い知れたし、戦闘中を演出するための意図的なひっかき傷や絵の具の色使いなど、緻密に計算し尽くされた演出のこだわりを感じさせた。


 まさに、自分が作るならこんなふうにしたい、と思い描いてきた夢のプラモデルが、そのまま具現化したような作品だった。


 根拠はないが直感する。これは、他でもない”僕”が組み立てたプラモデルだ。

 妻や会社に自由な時間を搾取されてこなかった理想的な”僕”が、余暇を使って作り上げたのだ。


 そんな絡繰りを見抜いても、手前味噌と言ってよいのかわからないが、改めて惚れ惚れとしてしまう。

 これほどの物を、自らの手で作り出した”僕”の達成感が、どれほどのものだったかは想像に難くない。


 その重厚な手触りを確かめてみたくなって、僕は手を差し出した。けれどもおかしなことに、伸ばした僕の手は空気を掻くばかりで、プラモデルにいつまでも行き当たらない。


 すぐそこに見えているのに、まるで片目をつぶっていて距離感がつかめないときのような感覚だ。


 今の自堕落な僕の分際では、手に触れるのも烏滸おこがましい、そう言われているような気がした。


 動揺のあまり宙を仰ぐと、何歩か先に長方形の白いカードが落ちているのが見えた。

 まさか、と思いながら駆け寄ると、それは総合無線通信士の資格の免状だった。資格者の欄に「吉原武志」と、僕の氏名が載っている。


 勤めている通信機器会社で張り合いのないやらされ仕事をこなす日々を抜け出すなら、専門知識や技術を証明する資格を取得すればいい。

 そんなことを夢のように思ったことが何度もあった。


 しかしそのたびに、まとまった時間がないと勉強もできないしなぁと諦めていたのだ。


 目の前に落ちている免状は、吹きっさらしの空き地に放置されていたのが嘘のように光沢を放っていて、傷も汚れも見当たらない。


 驚くことに、最上級の難易度である総合無線通信士の第一級に合格したことが記されている。

 この資格を得るにはモールス信号まで網羅しなければいけないというのに、自分の時間を有効に使い切った場合の”僕”が、やってのけたというのか。


 その向こうには、20キログラムのダンベルが落ちていた。

 豪奢なつくりだが、汗を吸ったのか全体的に角が取れた丸みを思わせる。使いこまれているようだ。

 結婚後、迫りくる三十路に慌てて、筋トレを始めたことを思い出した。


 鍛えるごとに負荷の強いものへと買い替える予定で、まず購入した5キログラムのダンベルは今、僕の部屋の隅でオブジェと化している。


 一時期は毎日こなしていたトレーニングも、仕事が忙しい中で時間と体力を捻出するのがだんだん億劫になり、一か月ほどで断念。それっきりだった。


 20キログラムのダンベルを使いこなせるまで、どれほどの時間を”僕”は費やしたのだろう。


 他にも、様々な物たちと対面することになった。

 僕の生きなかった時間を生きた”僕”が、どうしようもなく輝いていることを示す代物ばかりだった。


 失ってきたものの集大成が、思った以上に強大であることを思い知り、脳天を打つような痺れが僕の頭を駆け巡って止まなかった。


 同時に思い知らされる。この充実した”僕”は、僕であって僕ではない。その証拠に、どの物体も決して今の僕にその身を触らせようとはしなかった。


 達成したはずの功績も、失った時間そのものも、取り戻すことはかなわないのだ。


 うなだれた僕の前に、一枚の紙切れが舞い降りてきた。白地に黒一色だけで刷られた無骨な葉書きだ。


 今度は、”僕”のどんな栄光の跡を垣間見せるというのか。

 着地した葉書きを恐る恐る覗き込んだ僕は、文字列の一行目に度肝を抜かれた。


『吉原武志 逝去のお知らせ』


 これは僕の葬儀の案内状だ。差出人は実家の父親。隣県のある場所で事故に遭い死んだ、と記されている。


 この場所は……、僕の会社の花形部署、「戦略事務所」の住所だ。

 ちょうど先月、異例の出世で戦略事務所に異動することになった先輩のため、送迎会を開く関係で確認したから覚えている。


 うろたえた僕は、もう一人の”僕”の所有物には触れることができないということも忘れ、葬儀の案内状を拾い上げようとした。

 手が届く直前になって、触れないということを思い出したが、同時に僕の手は、紙のざらざらとした感触を確かめた。


 なぜか、これだけは今の僕でも手に取ることができるらしい。


 あれっと思う間もなく僕の頭に、何人もの人間の声という声が集約されたざわめきの渦が、一気に流れ込んできた。


「まだ三十路過ぎでしょ? 若いのにかわいそうに」


「仕事熱心だった分、独り身だったのね。

 ご両親の悲しみ様が傷ましくて見てられないわ」


「転職組なのに出世して大抜擢だったみたいよ。

 でも、その異動先の社屋の前で事故に巻き込まれるなんて」


「仕事にはやりがいがあって生き生きしてたってね。

 帰りを待つ家族もなくて、終電近くまで働いていたばっかりに、深夜の飲酒運転の

 車に行き当たっちゃったんだよ」


「できる男の末路がこのザマだと思うと、不謹慎だけど、俺なんか平社員でよかったって思っちゃうな」


 僕の葬儀に参列してくれた友人や同僚たちの会話が、僕の脳裏に見る見るあふれていく。

 うわあっと叫んだ僕は、やみくもに走った。息が切れるまで脇目も降らず駆け抜けて、気付けばいつもの駅前だった。


 惹きつける力の強い長編映画を1本見終えた後のような動悸が、生々しく胸に残っている。

 体験したばかりの出来事の意味を理解する間もなく、心臓の鼓動に覆いかぶさるように、胸元のポケットでピロンっとスマホが短く鳴った。


 何も考えられず反射的に画面を覗くと、今しがた受信した由希子からのメッセージが表示されていた。


「今日は何時ごろ帰ってくる?

 今晩は、武志さんの好きなハンバーグだよ!

 帰宅に合わせて焼き始めるから、帰る時間わかったら教えてねー」


 ふっと現実に引き戻された僕は、思わず笑ってしまう。

 この時間に帰るよって知らせても、帰ったら「あと5分!」って言ってくるくせに。


 だけど今は、あたふた料理を仕上げている由希子の後ろ姿が、自然と目に浮かんでくることに、安堵を覚える自分がいた。

 そうか、妻の「あと5分」につき合う時間も、まぎれもなく僕の人生の一片なんだよな。


 帰宅予定時刻を返信してから、自宅へ向かう電車に乗り込んで、僕は日常へと戻っていく。

 人生を変える出会い? そんなもの、もうとっくに行き当たっていたじゃないか。


 「一生のお願い! 私と水族館に行きませんか?」と迫ってきた、出会って間もない由希子の、可愛いというよりも必死の形相を久しぶりに思い出す。

 あのときはまさか、<一生のお願い>がこれから数え切れないほど発動されるとは思いもしなかったけど。


 そもそも前触れもなく寄ってきた由希子の「5分だけ一緒にいられないかな」という一言が、僕のくだらなくてすばらしい人生の始まりだった。


 <5分だけ>という言葉で幕を上げた僕らの付き合いは、5分どころか3年を過ぎても終わりを見せる気配はないし、おそらくこれからも伸びに伸びていくだろう。5分なんていう刹那が、かすんでしまうぐらいに。


 プシューという音とともに最寄り駅に停車した車両から降りた僕が、かけがえのない妻のもとに帰りつくまで、あと5分。

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ロスタイムの埋め立て地 布原夏芽 @natsume_nunohara

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