Novum historia

 立成24年4月初旬、私は久しぶりに星花女子学園に向かうことになった。


 実家のすぐ近くにあるにも関わらず卒業した後は全くと言って良いほど足を運んだことがなく、最後に敷地内に入ったのは3年前に私と入れ違う形でまたいとこの雨蘭うらんが星花中等部に入学したときだった。あのときは私が卒業して間もないのに、制服からスーツに着替えて保護者として入学式に出席したものだから後輩にからかわれて、ムイにも「わたし涙を返してよー」なんて笑われる始末で。何とも恥ずかしい思いをしたものだった。


 今日は雨蘭の高等部進学に加えて、同じくまたいとこの美萩みはぎ桐花きりかの双子姉妹が中等部に入学する日でもある。河邑の一族が三人も星花女子学園に在籍するというのはこの上なくめでたい日だった。クリーニングから返ってきたばかりのスーツを身に纏い。髪も元美容師のおばあちゃんにきっちり仕上げてもらい。撫子色のカチューシャは学園卒業を機に着けなくなったけど、その代わりに撫子色のバッグを持ち。私が歴史ある星花女子学園のスクールカラーと同じ名前であることを強く意識する瞬間だ。


「お、スーツ姿が凛々しいのう」

「ひいばあちゃんもよく似合ってるわよ」


 階段を降りたら、着物姿のひいばあちゃんが待っていた。ひいばあちゃんはもう90になろうかという年なのにまだまだ元気で、背筋は相変わらずしっかりと伸びていた。


「来賓として招かれてしもうたが、わしみたいなババアが場違いだったりせんかのう」

「栄えある第1期生よ? みんな敬意を持って出迎えてくれるわ」

「美萩ちゃんと桐花ちゃんは何期生じゃったかの?」

「75期生」

「そうか。もうそんなに経ってしもうたのか」


 ひいばあちゃんは一瞬だけ、遠い目をした。そこへお母さんもおばあちゃんも支度を整えて出てきた。


「ガスの元栓閉めた?」


 私が聞くとお母さんは指輪っかを作って「オーケーよ!」と。テンションが上がってるのが丸わかりだったから、私はつい笑ってしまった。


「はい、じゃあ出発!」


 星花女子OG4人は学び舎に向かった。


 *


「立成24年度星花女子学園高等部中等部入学式」の看板の前で、雨蘭と美萩・桐花姉妹は三人揃って仲良く記念撮影に納まった。


 雨蘭は星花四年目とあって貫禄がにじみ出ているものの、一方の美萩・桐花姉妹は今後の成長を見越してちょっとゆったりめのサイズの制服を着ているからまだ幼く初々しく見える。それがまた私の目には微笑ましく映った。


「とうとう雨蘭おねーさまと一緒にお勉強できるのね」

「今まで年に数回しか会えなかったおねーさまの姿を毎日拝めるんだもの。この日をどれだけ待ちわびていたことか」

「いやー、大げさすぎでしょ……」


 雨蘭は両袖を双子姉妹に掴まれて困り顔だったものの、満更でもなさそうである。


「それにしても、ちょっと来なかった間に学校の雰囲気がガラッと変わった気がするわ」

「でしょ? 撫子先輩が現役だった頃より偏差値はグンと上がったし、賢そうなのがいっぱいいるでしょ」

「先輩呼ばわりはやめてよ、昔みたいにおねえで良いから」

「いいえ。山岳部の偉大なるOGだもの、ぞんざいに扱うことはできません」


 山岳部は結局、郷土研究部に名前を変えることなく今もその名前を受け継いでいて、雨蘭は部員として活動している。ただし私がいた頃のように山の周辺地域の伝統と文化を学ぶ場にとどまらず、最近はトレッキングにも力を入れていると聞く。ここから果たして本格的な登山活動が復活するかどうかまではわからない。


 式まで時間があったので、みんなに一言断りを入れて少し校内の様子を軽く見て回ることにした。校舎とグラウンドは特に変わりなく、離れと弓道場もそのまんまだ。アーチェリー場は改修されていたが、私の現役時代の頃のアーチェリー部はほとんど活動実績が無かったのに、今では打って変わって県内有数の強豪にまで上り詰めたから設備もそれなりに立派になるのは当然といえる。


 寮の方まで行ってみた。一番の変化点はここだった。中等部は菊花寮桜花寮を再編して、新しく藤花寮が完成していた。星花女子学園の名が高まるにつれて全国各地からの応募が増えたため、受け入れに対応するために四人部屋の寮を新しく作ったのだ。名だたる一級建築士が設計したから外観は高級マンションのようにおしゃれで、エントランス前には藤棚が設けられており藤花寮をアピールするスポットとなっていた。もう少しすれば紫に彩られて新入生たちの目を楽しませることだろう。


 今日星花女子学園の門をくぐった子たちは、どのような歴史をたどるのだろうか。


 式の時間が近づいているので戻ろうとしたら、一人の生徒と出くわした。


 その子の顔立ちは日本人ではなく、恐らく南アジア圏から来た子だろうと推察した。星花女子では海外からの留学生は珍しくないので気に留めなかったが、その子は私を見るなり駆け寄ってきて、


「マー!」


 と叫んで抱きついてきたのだ。


「え、ちょっと! 人違いじゃない!?」

「□! ▲◎☆△○!」


 何しゃべってるのかわからない。英語ではないのは確かだが……。


 誰か助けてもらおうとあたりを見回したときだった。パンツスタイルのスーツ姿だが、縄文人の服が似合うあのアホ毛の子が私たちの方を見てニヤニヤしていた。


「ムイ!?」

「やあおねーさん、久しぶりだね!」


 私の恋人、転素牟亥。彼女は星花女子学園を卒業後、母親がインドで経営している会社に入社し、日本の支社でAI家電の販売を手掛けていた。今日は平日で仕事のはずなのに、なぜ入学式の場にいるのか全くわからない。


 ムイが何やら生徒に謎の言語で語りかけると、生徒はパッと私から離れた。それでも私の方を見て意味ありげな笑みを浮かべている。


「ちょっと状況がよくわからないんだけど……」

「へへへー、実はこの子ねー、私の娘で今日から星花に入学するの」

「はい!?」


 つい大声を出してしまった。


「む、娘? ますます状況がわからないんだけど……」

「わたしのお母さん、インドで福祉事業もやっていてね。身寄りのない貧民街の子を引き取って社員の養子にしているの」

「てことは、ムイの養子?」

「そう。名前はアドラっていうの。ラマヌジャンの再来って言われてるぐらい数学が得意でね、いずれ超大物になるよー」


 ラマヌジャンって何者なのかよくわからないが、アドラという子はたしかに聡明そうに見える。


「だけど今まで娘がいたなんて知らなかったわ。そんな話一切してなかったし」

「驚かせようと思ってたからねー。でもアドラにはおねーさんの話をたっぷり聞かせてたよ。何せ、もこの子の親になるんだからね」

「え……?」


 ムイがおもむろに取り出したもの。それは指輪のケースだった。


「結婚しよう。そして、わたしたちの新しい歴史を作ろう」

「ムイ……」


 ムイがケースを開けた。中に入っている指輪を見て、やっぱりムイらしいな、と思った。


 豪奢な宝石や金属ではなく、ヒスイでできたシンプルな指輪。しかし透明感のある緑色は私の目には何物よりも美しく映る。


「ムイのことだから自分で作ったんでしょうね」

「そうだよ。糸魚川のヒスイを使ってね」


 糸魚川のヒスイは古代日本で珍重されてきた。ムイにしてみればダイヤモンドや黄金よりも貴重で、私にとっても歴史好きの心を揺さぶるものだ。


 だけど仮にヒスイの指輪が無かったとしても、プロポーズに対する返事はYESの一択だった。新しい歴史を作ろう。その一言だけでも十分だったから。


 式が終わったら家族に紹介しなくちゃ。みんな理解のある土壌で学んできたのだから、きっと私たちのことも認めてくれるに違いない。


 アドラがたどたどしいながらも「オメデトウ!」と私たちを賛美してくれた。今日は私とムイの入学式でもあった。


 終

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少女と少女のヒストリア 藤田大腸 @fdaicyou

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