想いは再び重なり合って

 ホテルエンプレスのことを私はよく知っている。星花のちょいと良からぬ生徒たちならもっと詳しいかもしれない。


 このホテルは日本で数少ない女性専用レジャーホテルである。レジャーホテルという呼称はほぼラブホテルと同じ意味を持つ。つまりは女性同士が情事を行うための施設だ。


 玄関には「会員制 一般客立入禁止」という札が掲げられているが、実際は何も知らない女性と男性避けのために掲げてあるだけで、18歳以上の女性であれば誰でも入館できる。実はかつて山岳部にいた先輩の一人が大学生の恋人にここに連れて行って貰って初体験を済ませており、そのときのレポートをこと聞いてもないのに細やかに教えてくれたおかげでいらぬ知識が身についてしまった。


 ムイは無垢な笑顔で「さあ入ろう入ろう!」と私の手を引っ張る。


「ムイ、ここがどういう場所なのか知ってるの……?」

「うん! エッチするところ!」


 私は顔から火が出そうになった。


「あ、お金ならだいじょーぶだよ。まだまだ残金はたっぷりあるし」

「あのね、お金の問題じゃなくてね……ここは18歳未満立入禁止なんだけど」

「とか言っちゃって、本当は入りたいんじゃないのー?」


 ムイの笑顔が小悪魔めいたものに変わった。


「初めてのときはあんだけ乱れてたのにさ」

「っ……!」


 神社での淫靡な出来事が鮮明に思い出される。あのとき覚えた感触と温もりも。


「また明日からしばらくは陸上漬けの毎日になるし、今のうちにおねーさんのことをたっぷりと知りたいんだ(傍点)」

「わ、わかったわ」


 私はムイの圧に負けた。色を含んだ上目遣いで見られてはどうしようもなかった。そのまま手を繋いで一緒に入店した。


 フロントは無人で、大きなディスプレイだけが置かれていた。そこには部屋の画像と番号が映し出されている。


「どうやってチェックインするの……?」

「わたしに任せて。よしゅーしてきたから」


 ムイがディスプレイに触れると「この部屋でよろしいですか?」という表示が出て、さらに「入室」ボタンを押すとカードタイプのルームキーが出てきた。


「精算は後払いだよー。じゃあ、行こうか」


 一切合切をムイに任せることにした。急なことで心臓がバクバクしているが、もう何でもしてくれという感じだ。


 ホテルエンプレスには利用者の嗜好に合わせて様々なタイプの部屋があるというのは聞いていたが、私たちが入室したのはかなり特殊な部屋だった。


 ドアには「土足でおくつろぎください」「壁に注意してください」の注意書きが貼られている。開けると、そこには草原が広がっていた。何を言ってるのかわからないと思われるかもしれないが、実際に草原が部屋の中にあったのだ。


 足元に生えているのは天然か人工のものかわからないがとにかく草で、地面が見えないぐらい密生している。果てしない草原はよくよく目を凝らして見ると映像だった。どういう仕組みなのか知らないが、壁をスクリーンにして草原の映像を映し出しているのだ。


 天井にも青空と雲が映し出されていて、雲はゆっくりと流れている。足元は草で壁はどこまでも広がる草原の風景。まるで本物のだだっ広い草原の中にいるようで、脳の視覚処理がおかしなことになっている。うっかり走り回ろうものなら壁に激突してしまうことになりかねない。注意書きの意味がここで初めて理解できた。


「室内で野外プレイが楽しめる新しい部屋らしいよー」


 ムイが楽しそうに言った。いくら二人きりとはいえ、もう少しオブラートに包んだモノの言い方ができないのだろうか。


「斬新なアイデアだけど、この部屋を作るのに相当な金がかかってそうね……ところで、どこでシャワーを浴びたらいいの? お風呂場が無いんだけど」

「あ、こっちみたいだよ」


 壁に一本の大きな木が映し出されているが、よく見ると「バスルーム↓」というテロップが上に出ている。この辺は風情が無い。それはともかく、まずシャワーだ。


「タオルはどこ?」


 と聞くと同時にムイがバスルームの中を覗いている。木の幹の部分がドアになっていた。


「この中にあるよー。ガウンは無いみたいだけど」

「つまり、素っ裸になれってことね」

「野外プレイでガウンはおかしいもんねー。じゃあ、わたしから入っていい?」


 ムイはしゃべりながら、あっという間に服と靴を脱いでしまった。こっちはお先にどうぞ、としか言いようがない。ドアが閉じられて、バスルームは木の映像の中に溶け込んだ。


「もうちょっと綺麗に脱ぎなさいよね……」


 私はムイが脱ぎ散らかした服を一箇所に固めた。私も身に着ているものを全部脱いで、ムイの服と靴の横に丁寧にまとめて置いた。


 擬似的な野外空間とはいえ、全裸の中で草原にたたずんでいると得も言われぬ開放感を覚える。寝転んでみると草はフカフカと柔らかく、特有の香りがしている。どうも本物の草のようだ。大の字の格好になると、自然と一体化したような気分になれた。


「太古の人類もこんな感じでくつろいでいたのかな……」


 そう独り言を呟いたら、ムイの顔がにゅっと視界に入ってきたものだからびっくりした。


「お風呂空いたよー」

「早すぎじゃない?」


 ちゃんと洗ったのだろうか気になるが、私も服を脱いで綺麗に畳んでからバスルームに入った。内装は至って普通で、特に変わったところはない。ムイよりかは丁寧に時間をかけて体を洗い、体を拭いて出た。


 一瞬、別の部屋に飛ばされのかと思った。輝度が落とされた部屋の中でかろうじて元の草原の風景が映っていることはわかったが、さわやかな青空ではなく漆黒の夜空へと姿を変えていた。天井には星がまたたき壁には満月があざやかに浮かんでいる。その下にはムイのシルエットが見える。


「おねーさん、ここ、ここ」


 ムイが手招きをする。足元に気をつけながらゆっくりとムイの横に行き、座った。


「昼と夜の設定も変えられるんだよ。凝ってるでしょー」

「何だか、変な気分ね……まだ昼間なのに本当に夜の世界にいる感じで」


 腕に感じる温もりと重み。ムイがしなだれかかってきたようだ。


「草以外なんにもないし。まるでこの星に生まれた最初の人類みたいだよね、今のわたしたち」

「もう縄文より遥か昔じゃないの」


 今の私たち、ホモサピエンスが登場したのは20万年前。最近の学説だと30万年まで遡ると言われてるらしいけど、とにかく縄文時代よりも一桁分昔の話だ。


「それかさー、戦争で文明が滅んでわたしたちだけ取り残された感じ?」

「それは遥か未来の話であって、いや永久にあって欲しくないわね」


 仮に地球上で私たちだけになってしまったら、と一瞬想像しかけてやめた。これから始めることに何の関係もないことだから。


「とにかく、未来も過去もいったん置いといて。今このときを大事に過ごすべきじゃない?」

「うん、その通りだよね」


 シルエットが覆いかぶさってきて、草の上に優しく押し倒された。ほんのりと浮かぶムイの表情は扇情的で、私もスイッチが入ってしまった。


 唇と唇が重り合う。さっき食べたステーキにはにんにくがトッピングされていたが臭いなんか一切気にしない。舌先で相手を感じて、息が荒くなって。


「おねーさん、いくよ……」

「うん、来て……」


 私たちは時間という概念が頭の中から消えて無くなってしまうぐらいにとろけあったのだった。

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