ステーキハウス

 店内は外装に比べると素朴で敷居の高さは感じさせなかったが、それでも女子高生二人組が気軽に入れる雰囲気でもなかった。


 店員さんが「いらっしゃいませー」と元気よく迎えてくれたが、


「あっ、転素さん!?」


 ムイのことを知っているようだ。店員さんも見た目は私たちと同い年ぐらいである。


「もしかして、星花の生徒ですか?」


 私は尋ねた。


「はい。転素さんと同級生です。お客様も星花の生徒ですよね?」

「ええ、高2です」

「じゃあ先輩ですね。転素さんとはどういった……いえ、私には関係ない話でしたね」


 店員さんはぺこりと頭を下げた。


「たまたま寄ったんですけど、星花の生徒と会うなんて思っていませんでした」

「ここ、私の父が経営している店なんですよ」

「へえ、ムイは知ってたの?」

「ううん、全然知らなーい。てゆーかこの子の顔も初めて見たんだけど」


 私と店員さんはガクッと崩れ落ちそうになった。


「あはは、クラスが違うしね……でも転素さんは同級生の中で有名人ですよ。国際科は個性的な生徒が多いですけどその中でも特に」

「えへへー」


 ムイは照れ笑い浮かべた。個性的、というのは決して褒め言葉ではない気がするのだが……。


「ところで、今から少し言いにくいことをお聞きしますが気を悪くしないでくださいね」


 店員さんは真剣な面持ちで言った。


「うちの店は良いお肉を使っていますが、その分値段が張りまして。失礼ですけど、お金の方は大丈夫なんですか?」

「ええ。この子が全部払うって言ってるから」

「ここってクーポン使えるよね?」


 ムイはスマホの画面を見せつけた。店員さんは金額に驚いたのか、目をしばたかせた。


「は、はい。使えますよ」

「だって。これで安心だね」

「ということですので、お願いします」


 私が言うと、店員さんは「かしこまりました、どうぞこちらの席へ」と、二人がけの席を案内してくれた。


「ご注文が決まりましたらボタンを押してお呼び下さい」


 店員さんがいったんその場を離れたところで、私たちはメニューに目を通した。金額が目に飛び込んできたが、一番安い肉でもファミレスのステーキが3、4人分は注文できるぐらいの値である。それでも10万円の予算の前では可愛いものだ。


「最高級神戸牛使用、ねえ」


 掲載されているステーキの写真を見るだけで食欲がもりもりと掻き立てられてくる。どんな味がするのだろう。


「わたしはこれにしよー」


 ムイが指し示したのはイノシシのステーキだった。どうやらこの店はジビエ料理も出すようだ。


「さすが縄文人ね……」

「えへへー、牛と豚とニワトリなんかいつでも食べられるけど、イノシシはそうもいかないもんねー」

「私はフツーに牛にするわ。フツーの値段じゃないけど」


 私は呼び出しボタンを押した。すぐにさっきの店員さんがやってきた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「和牛ステーキとイノシシステーキのセットメニューで」

「セットメニューはライスとパンがございますが」

「私はライスで。ムイは?」

「わたしもライスでー」

「食後にコーヒーがつきますが、アイスとホットどちらにいたしますか?」

「アイスで」

「わたしもー」

「和牛ステーキセットとイノシシステーキセット、どちらもライス、コーヒーはアイスで、以上でよろしかったでしょうか」

「はい、お願いします」

「かしこまりました」


 しばらくムイと雑談していたが、やがてジュウウウ、という食欲をそそる音とともに、店員さんが台車を押してやってきた。その上には大きな肉の塊が二つとサイドメニューが積載されていた。


「お待たせしました。和牛ステーキセットとイノシシステーキセットです」


 一皿ずつテーブルに乗せられていく。市販のものより倍ほど分厚く、表面はしっかりと焼き上げられてスパイスが星屑のように散りばめられている。香りも家庭料理で作られるものとは全く違うが、高級肉を腕のいいプロが焼いて私のお母さんが作るステーキと同じクオリティだったらそれこそおかしい話である。


 もう少し視覚と聴覚でステーキを味わおうとしていたが、ムイにはそういう情緒はなかったらしかった。


「冷めちゃうから早く食べよう! いただきまーす!」


 さすがに手づかみや黒曜石ナイフを使うことはしなかったが、ナイフとフォークの使い方が上手だったのは意外だった、というのは失礼か。ムイは切り取った肉塊をひょいと口に入れてゆっくりと咀嚼した。


「んっ、これは……」

「どうなの?」

「何だろう、わたし今までたくさんイノシシを食べてきたけど、このお肉には独特の野性的な臭みが全然ないのー。どう言ったらいいのかな。上品でかわいい感じがして。こんな食感初めてだけど……美味しい!」


 ムイのアホ毛がまっすぐに立った。そんなに美味しいんだ。


「へえ。私もほんのちょっとだけもらっていい?」

「いいよー」


 牛よりも先にイノシシから頂くことになったが、私は肉を指輪っかぐらいの大きさに切り取って口にした。


「あ、この前ムイがくれたイノシシ肉クッキーと全然違う!」


 あのときは脂っぽく臭みがあって独特の風味があったが、このイノシシ肉は豚肉の味を濃くした感じで口当たりもあっさりとしている。確かに上品でかわいい味だ。


「さすが、プロが焼くと全然違うわね」


 さて、続いては牛肉だ。ミディアムで焼かれた肉を切るとほんのりとした桜色の断面が見えた。ムイにも一切れオススメして、一緒に口にした。


 噛んだ瞬間に口の中で肉汁が大爆発した。


「「美味しい!」」


 感嘆のユニゾン。美味しい以外の感想を語るとかえって野暮になる程の味である。この店は大当たりだ。何度も通えるような値段じゃないのが惜しいところだが。


「これでワインを飲んだらもっと美味しいんだろうなー」


 ムイが言った。


「未成年だからワインなんか飲んだことないし美味しいのかどうかわからないわ。ていうか、縄文人がワイン飲んじゃっていいの?」

「あれー、知らないの? 縄文時代ではぶどうを発酵させたお酒が飲まれてたんだよー? 三内丸山さんないまるやま遺跡って知らない?」

「あ」


 思い出した。青森にある三内丸山遺跡。世界遺産級の大規模な縄文時代の遺跡で、さまざまな果実から酒を作っていたと思われる痕跡が見つかっている。確か果実の中には山ぶどうがあったはず。実際にぶどう酒が飲まれていたかどうかはわからないけど、発酵成分を好む種類のハエのサナギが見つかっていることから発酵酒が作られていた可能性は高いと言われている。


「思い出したわ。ムイ、よく知ってたわね」

「わたしだっておねーさんについていくために勉強してんだよー」


 偉い。胸の奥からグッときてしまった。言葉で褒めても足りないから頭ナデナデしてあげよう。


「わーい!」

 

 ムイはすごく良い笑顔を見せた。


 次いつ味わえるかわからない美味を堪能し終えると、ムイが会計を済ませると店員さんがやってきて「いかがでしたか?」って聞いてきたから、二人して「最高でした!」と答えたのだった。


 *


「ねえ、この後どこに行く?」

「えへへー、実は海谷にはすごく良いところがあるんだよー」

「へー、じゃあそこに連れて行ってくれる?」

「うん!」


 私はムイのことだから自然に囲まれた場所だと想像していた。しかしムイはどんどん街の中心地に向かっていき、何やら歓楽街めいた通りに入っていってしまった。まだ昼間だから人気は少ないが、男の快楽を満たすためのいかがわしいお店がたくさん並んでいる。途中ですれ違ったおっちゃんにギロッと睨まれたが、まるで「お嬢ちゃんたちがこんなところに来ちゃいかんよ!」と無言で説教しているように見えた。


「どこに行くつもりなの……」

「ここ!」


 ムイは目の前の建物を指差した。


「えっ、こ、ここは……」


 看板には艶めかしい女性の絵。隣には『ホテルエンプレス』という文字があった。

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