第11話
彷徨い歩き気が付けば辿り着いていたこのいつか訪れた思い出深き場所。甘く切ない私の恋の始まり、まさか終焉までここで済まされるとは、あの時は思いもしなかった。
彼と出会ったあの頃。眩暈をも恋の弊害と思わせる真夏の日差し、まさか私の未来に阿鼻地獄が待ち受けているとは、恋に辟易しているふりをしていた私の思考には当然登場しなかった。
まだ自分の美しさを開拓できておらず、誰も触れたがらない私という存在を彼は指の腹でしっかりと感じて、私はまるで大きな塊を飲み込むように、体を震わせながら生唾を飲み込んだ。
今この瞬間を、体が受け止めようと必死に熱量を消費し私は酷く汗をかいた。あろうことか彼は私を引き寄せそして抱き寄せた。私の嗅いだことがない私の頭皮の匂いは、きっと臭くて醜悪でこれ以上ない程彼に嫌悪感を与えたはずであった。
そうでなければ彼は私を人としてだけではなくメスとして、一匹の動物として私の生きる本能を受け入れてしまうことになる。
驚くべきことに彼はいつまでも私を離そうとはしなかった。真夏の蝉がけたたましく泣き叫んでいたあの日、初めて私の心に汗が溜まり、目から溢れ出た。それほどその日は暑かったのだ、私に勘違いと幻を抱かせ幸せを演出した夏は罪深い。
しかし今はもう冬だ。汗どころか体中の水分が凍り、汗など一滴も出ない。いたずらに彼との過去を思い出させるはずの風景たちは、さほどその悪事を起こせていなかった。
恋を知ったあの時、私は愛を手に入れることが出来たのだろうか。愛、それは私にとって不可解でとても軽々しく口にできるものでもなく、けれど私には人間の本質のような気がしてならずそんなものから離れて生きてしまった私は、自分が不幸の化身のような心持で生きていた。
何度でも言いますマリア、私は貴方になりたかった。けれど私はマリアにも罪を犯したエバにもなれず、しいて言うなら男のあばら骨から出来たイシャ―だ。誰も私にエバの名前は与えてはくれず、私の中に園があったこともなかった。
彼を信じす裏切り続ける私は自分が許せなくて、自分を殺したくて仕方なかった。けれどマリアの存在だけは信じ、私が自ら死を選ぶようなことをすれば貴方が悲劇で苦しむと思ったからこそ、私は罪悪感と希死念慮の狭間で生きてきた。
希死念慮と死の間を妨げる壁は高いようでいて案外軽々しく超えられるもの。ただ私の中にある死への欲望があまりの罪深さゆえに重く、私の体に鉛のように蔓延り私の蠕動を妨げていただけ。
罪悪感を捨て、一度その鉛をよいしょと持ち上げその壁をぶち破り死への道が明るみになった時、私は何の躊躇もなく生から乖離して忌々しい自分という存在を消し去ることが出来る。
その一回の勇気を、きっとマリアが妨げていたのだと私は思った。
死を決めた今、過去を振り返ってみれば何故自分がマリアにあれほどまでに執着していたのか私には分からない。きっとマリアのように美しくそして幻想的なものこそ、私にとっては消え去らないという絶対的な信頼を置ける存在だったのだろう。
そんな信頼も情も存在すら消え去った今、そんな過去の自分のちんけな思考があまりにも理解しがたく、そして殊更にどうでも良かった。
ただ自分に用意されたゴールを前にして、ふわふわとどこかに飛んで行ってしまうように錯覚させる、あまりにも軽い自分の体を抱きしめて後三歩着実に歩むだけである。私はこの世の一切に未練はない。私に用意されていた未来だってぶち壊してこそ至高だ。
しかし最後にただ願うのは私の魂がキリスト教の概念をぶち壊し、来世というものを手に入れることが出来るのならば、来世はどんな動物になっても良いから、私に目に見えないマリアではなく愛をくれるお母さんとお父さんと、そして綺麗な名前を下さい。
愛とは一体なんなのか、そんな難題の答えなんて分からなくてもよいから、根拠のない愛を感じられる人生が欲しい。
愛をもらっていながら愛なんて知らないととぼけられる可愛らしさを持ち、自分の命の尊さを親に教育されながらも自分の生きる意味を模索し続ける、阿呆な幸せ者に私はなりたかった。
そちらの門を叩きますから、どうか開けてくださいお母さん。
歯を磨いた後に食べるクッキー 狐火 @loglog
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