ハンドメイドアクセサリー工房の先生と、弟子入り主人公(私)が作品作りを通じて、ありふれた時間と思い出を形成していく7日間を描いた中編の物語。装飾品のように夏の日を彩るクワガタやトンボといった虫のキーワード、合間に挿入されるコーヒーブレイク……からの、茶を嗜む。この『暑気を包んだ工程感』が魅力で、二人の近い距離感もスワイプする指から読み取れます。
タイトルにもあるように『蝉』をテーマだけでなくキャラ付けにも絡めて、二人の日々は過ぎていく。一話はだいたい5000文字くらいのボリュームで、日常を切り取るには悠長だけど、過ぎてしまえばあっという間に思える、この『一日』という刹那を1ページで感じさせる筆力は素晴らしいの一言。
気になる点は同じ単語と似たような言い回しが短い間隔で連続する所で、これは最後まで散見されました。上にある悠長は、時間を味わうと考えれば良い作用でもあるのですが、文芸の質としての視点が入ると、文字を重ね過ぎるあまり読者の負担になりかねません。
せっかく『アクセサリー』や『五綵を演出する昆虫』が物語のキーなので、地の文で飾り過ぎずにワンポイントくらいが丁度良いのになぁと非常に惜しい印象。ですが、人物間のやり取りや手製の描写はとても丁寧なので、取捨選択を意識して推敲したら隙の無い作品に昇華する事でしょう。
作品が示す、日常の変化と不変のメッセージ。そして予感が牽引するラストを是非、限られた読書時間を通じて見届けてみて下さい。
蝉頭のアクセサリー職人を先生と呼ぶ、弟子の女性が主人公です。
一緒に仕事をするのは1年のうち、わずか七日間のみ。
主人公が先生に寄せる想いは抑えたもので、まず一番に感じたのは尊敬の念でした。
尊敬しているがゆえに、そして一緒に過ごす七日間を大切にしているがゆえに詰められない距離。
小さなアクセサリーの描写や、それを形作ってゆく過程が細やかで、そこに主人公の想いが込められているように感じました。
是非、読んでみて下さい。
そして盛夏に樹々をそよがせる風のような余韻を、あなたも感じてみてください。
そうすれば、このお話しは、あなたの大切な物語りの一つになると思います。
自分の稚拙な言葉で表すのも惜しい。
そう思わされるほどに、美しく。
無意識的に「無常」に恐れを抱いている私たち「人間」の胸に深くも柔く刺さる。
本当に神秘的で、素敵な作品でした。
変わらないものはこの世にひとつとしてありません。
家族や友人、恩人、苦手なあの人。
そして、愛した人。
己以外の他の存在である、「彼ら」が果たして明日も同じ「彼ら」であるのか。
そして、自分自身。明日も「同じ自分」で在り続けられるのか。
そんなことを考えさせられるほど、この物語は深みのある作品です。
この作品との出会いより、自身の中にある
「無常」への無意識的な恐怖を改めて思い知らされました。
しかし、この作品の何よりもの魅力はやはりたった7日間の夏の日常。
この日常で主人公が「無常」を恐れながらも
「無常の化身」とも捉えられる「蝉頭の先生」と過ごす美しくも、儚い夏の日常が本当に素敵です。
是非、皆様もこの物語で紡がれるたった7日間だけの「夏の日常」に心を奪われてください。
Twitterから参りました。まず先生の外見のインパクトでかなり意識をもっていかれます。そういえばアレをまじまじ見たことないけど口元どうだったっけ?と真面目に考えてしまいました。
主人公が仕事熱心で勉強を欠かさないタイプなので、好感を持って読み進めることができました。アクセサリーの描写も丁寧で、こんなに凝って作ってるものが現実にあったらほしいな~と思います。これがずらっと並んでいる様子は、漫画やアニメなどの映像で見たくなりますね。
最初から明示されていることではあったのですが、最後のシーンはやはり切なくなりますね。短命だからこそ美しい、別れがあって意味がある、そう分かっていてもやり切れない時はあります。だからこそ、ラストには希望が持てて良かったです。
楽しく読ませていただきました。これからも頑張ってください。
朝起きて、ふと思うことがあります。
昨日の私と今日の私とは、同じ「私」なのだろうか、と。
ありきたりな問いであるだけに、誰もが一度は思ったことがあるでしょう。
では、もう一歩進めて。
朝起きて一番はじめに私が、おはよう、という「その人」が、昨日と同じ「その人」だといえる根拠はどこにあるのでしょう。
この小説は、その問いに対する答えのひとつだと思います。
私も「その人」も、意外に不連続なものです。
「私」は毎日のように眠りによって連続性を断ち切られます。
私と「その人」が会わない間に「その人」は絶えず変化し続けているので、以前会った「その人」と今目の前にいる「その人」は、同一ではあり得ません。
そうした非連続性や刹那性、無常は、とてもありきたりにどこにでも存在しているために、目を向けることも、気づくことも、滅多にありません。
でもそれは、確実に存在しています。
私たちは常になにかを失い、なにかを得て、変化し続けています。
コーヒー好きの「その人」がいつのまにか、紅茶好きになっていることなんかも別に、珍しいことではありません。
ありきたりな変化。
ですが、私たちはそのありきたりな変化を目の当たりにしたとき、「裏切られた」と感じることがあります。
「裏切り」は私たちの中にある不変に対する「期待」から生まれます。無意識のうちに他者に対し、自分が期待する「その人」を被せ、不変性が崩れることで、「裏切られた」と感じるのです。不意に私たちの眼前に、非連続性が顔を出す瞬間です。
私たちは何度も「期待」と「裏切り」を繰り返します。なぜなら、私たちは連続してはいないし、不変でもないからです。
では、私にとっての私とは……。
私にとっての「その人」とは……。
唐突ですが、ゲーテを引用します。
『初恋が唯一の恋愛であると言われるのは、至言である。なぜなら、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからである。元来恋愛を高め、恋愛をして恋愛たらしめるところの永遠と無限の観念が、第二の恋愛では既に破壊され、一切を反復する現象と同様に一時的なものに見えるようになる。』
ゲーテは愛のなんたるかをわかっていない←
『反復する現象と同様に一時的なものに見える』ような不純物を取り除いて、中心に残る純然たる結晶こそが、愛なのだと思います。
いつか終わりが訪れると知っていても。会えなくなると知っていても。消えてしまうと知っていても。その輝きだけは、信じられる。
無常や刹那性の背後にこそ、不変や永遠があるのを、ゲーテは知らなかったのですかね←
私たちはどうせいつか死ぬし、愛と呼んで尊ぶもののほとんどは、いずれつまらない終焉を迎えます。
それでも、やはり信じたい。
変わらないもの、そこにあり続けるもの、生き続けるもの。
変わりやすいからこそ、うつろいやすいからこそ、信じたい。
あらためてそう思った。そんな小説です。
と、長々と書きましたが、レビュー読むくらいならすぐに作品へ!!!!!
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高村 芳様
拙いレビューで申し訳ないのですが、書かずにはいられませんでした。
カクヨムで優れた作品に出会うことはそうそうありません。
ましてや私のように「読み合い」の企画でPVやレビューを稼ごうと考える浅薄な人間にとっては、そうした幸運が巡ってくることは稀有なことです。
企画にご参加いただいたことに、そして素敵な作品をこの世に生み出してくれたことに、あらためて感謝を申し上げます
ありがとうございました!