うつせみの世を生きるもののあわいにうまれたそれは愛と呼ぶに相応しい

朝起きて、ふと思うことがあります。
昨日の私と今日の私とは、同じ「私」なのだろうか、と。

ありきたりな問いであるだけに、誰もが一度は思ったことがあるでしょう。
では、もう一歩進めて。
朝起きて一番はじめに私が、おはよう、という「その人」が、昨日と同じ「その人」だといえる根拠はどこにあるのでしょう。

この小説は、その問いに対する答えのひとつだと思います。

私も「その人」も、意外に不連続なものです。
「私」は毎日のように眠りによって連続性を断ち切られます。
私と「その人」が会わない間に「その人」は絶えず変化し続けているので、以前会った「その人」と今目の前にいる「その人」は、同一ではあり得ません。

そうした非連続性や刹那性、無常は、とてもありきたりにどこにでも存在しているために、目を向けることも、気づくことも、滅多にありません。
でもそれは、確実に存在しています。
私たちは常になにかを失い、なにかを得て、変化し続けています。
コーヒー好きの「その人」がいつのまにか、紅茶好きになっていることなんかも別に、珍しいことではありません。
ありきたりな変化。
ですが、私たちはそのありきたりな変化を目の当たりにしたとき、「裏切られた」と感じることがあります。
「裏切り」は私たちの中にある不変に対する「期待」から生まれます。無意識のうちに他者に対し、自分が期待する「その人」を被せ、不変性が崩れることで、「裏切られた」と感じるのです。不意に私たちの眼前に、非連続性が顔を出す瞬間です。

私たちは何度も「期待」と「裏切り」を繰り返します。なぜなら、私たちは連続してはいないし、不変でもないからです。

では、私にとっての私とは……。
私にとっての「その人」とは……。



唐突ですが、ゲーテを引用します。

『初恋が唯一の恋愛であると言われるのは、至言である。なぜなら、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからである。元来恋愛を高め、恋愛をして恋愛たらしめるところの永遠と無限の観念が、第二の恋愛では既に破壊され、一切を反復する現象と同様に一時的なものに見えるようになる。』

ゲーテは愛のなんたるかをわかっていない←

『反復する現象と同様に一時的なものに見える』ような不純物を取り除いて、中心に残る純然たる結晶こそが、愛なのだと思います。
いつか終わりが訪れると知っていても。会えなくなると知っていても。消えてしまうと知っていても。その輝きだけは、信じられる。
無常や刹那性の背後にこそ、不変や永遠があるのを、ゲーテは知らなかったのですかね←


私たちはどうせいつか死ぬし、愛と呼んで尊ぶもののほとんどは、いずれつまらない終焉を迎えます。
それでも、やはり信じたい。
変わらないもの、そこにあり続けるもの、生き続けるもの。
変わりやすいからこそ、うつろいやすいからこそ、信じたい。

あらためてそう思った。そんな小説です。



と、長々と書きましたが、レビュー読むくらいならすぐに作品へ!!!!!

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高村 芳様

拙いレビューで申し訳ないのですが、書かずにはいられませんでした。
カクヨムで優れた作品に出会うことはそうそうありません。
ましてや私のように「読み合い」の企画でPVやレビューを稼ごうと考える浅薄な人間にとっては、そうした幸運が巡ってくることは稀有なことです。

企画にご参加いただいたことに、そして素敵な作品をこの世に生み出してくれたことに、あらためて感謝を申し上げます

ありがとうございました!

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