第8話 香港〜シンガポール その1 1934年1月6日
1月6日、土曜日。照国丸が揺れながら走る。空は晴れているが風が強くて波も高い。ジャンクが浮いているのが時々見える。
遠くに雲があるだけで陸影は少しも見えず、見渡す限りは水平線ばかりである。少し風邪気味なのか咳が出るので、船医から咳止めの薬をもらった。バレイ君を訪ねると、まだ寝ていたので、二等船室のサルーンを覗き込んだら、インド人が二人いたので話し込んだ。二人とも神戸の商人で、この船旅ではコロンボで上陸してカルカッタへ汽車で帰るのだそうだ。
この二人の話はまずインドの独立問題から始まった。ガンジー流の独立法についての話だ。かつて1850年かに独立しようとした時、内通者が出てイギリス人に先手を打たれてしまったと言う話だった。そして近い将来に必ず独立しますと断言していた。この人は神戸で祭日には日本の国旗とインド独立の旗とを交差して立てたら、イギリス領事がそれを見て苦笑したと言っていた。この独立の旗と言うのは私は初めて聞いたが、フランス国旗の様に三色で、中央にガンジーの手回し式の糸繰器が付いているのだそうだ。また、インド人が牛肉を食べない理由は、牛乳を飲むから牛は母親であって殺して食べるのは忍びない、あるいは殺すよりもいつまでも牛乳をもらう方がいいと言う考えから来ているとの話だ。これはちょっと嘘か本当かは判断がしにくい。インド人は肉食しないで、植物だけでうまい料理を工夫して作っているとも聞く。
イギリス人がインドを独立をさせまいとする方法としては、インドを多くの区域に分割して各所で独自の行政を行う事なのだ。例えば、セイロン島付近は別の政治下にあり、インド総督の管轄下には無い。ビルマに対してもイギリス人は同じ方法をやろうとしているが、人民からの反対を受けてまだ実現はしていないのだ。
私は風邪気味ではあったが風呂に入ってみた。その後で寝てしまえば良かったのだが、初めて甲板で映画の上映会があると言うので、午後8時から10時まで見てしまったせいか、また風邪を引き直したらしい。映画はアメリカ製の探偵物語で、意外とスクリーンが明るくはっきりと鑑賞出来た。シカゴ・デブライ社製のポータブル映写機を2台で切り替えて連続映写を出来る様にしていた。
香港からの移動距離268海里 (496km)。晴れ。風向、北東。風速5m/秒。気圧768.6ミリ(1024ヘクトパスカル)。気温22℃。水温24℃。移動歩数2700歩。
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