第1話 神戸〜門司 1933年(昭和8年)12月27日〜12月29日
さて、どうしたものか。
私は会社から欧米への研修旅行を命じられたのはいいが、その期間は2年間にも及ぶ。我が家に私が居ない間、あそこで妻や子供たちは無事にやっていけるのだろうか?
特に妻のお腹の中にいる第四子が気にかかる。名前はこれから私が乗る日本郵船の貨客船、『照国丸』にちなんで、男の子でも女の子でも『T』の頭文字を入れて名付ける様に妻には伝えてあるが、何しろ上の三人がみんな女の子なので、そろそろ息子が欲しいと常々から思う。妻はもう臨月に入っているので、おそらく私が出航してまもなく生まれる事だろう。まあ、妻はこれまでも三人の女の子を気丈に育ててきた経験の持ち主だ。ここは妻を信じて留守を任せる事にしよう。幸い我が家のある大連(日本の統治下にある中国満州国の大都市)では紛争の影響もまだ少なく治安も良いと聞く。それよりも何よりも、ありがたく会社の経費で憧れの欧米を見学出来るのだ。これでも私は南満洲工業専門学校で物理学の教鞭を取る講師、『エイチ教授』である。同僚や教え子たちに恥じぬ様、ここはしっかりと見て回って満鉄(南満洲鉄道株式会社)の技術向上の為に報告書を出し、家族宛には日記を書いて送ってやろう。
今日は昭和8年(西暦1933年)12月27日の水曜日。明日はいよいよ神戸港から出航の日だ。元町の実家で旅行用の荷物は二つの鞄にまとめたし、しっかりと日の丸の印まで付けてもらった。ヒマになったので近所の理髪店にでも行って身なりを整えるとするか。思えばあの店で髪を切るのは何年ぶりだろう。店主に満洲のみやげ話でもしてやるか。何しろ内地(満洲国民は日本本土の事をこう呼ぶ)の人間は外の世界の事を知らなさすぎるのだ。この際だから自慢のヒゲも剃ってしまおう。天気は晴れていたので歩いていて真冬にしては日差しが暖かくて気持ちが良かった。理髪店の帰りにエヌ叔母様の所にヒゲ無しの顔を見せびらかしに寄ったが、いくらチャイムを鳴らしても返事がない。どうやら留守の様だ。この時間なので夕飯の買い物にでも出かけているのだろう。ついでに友人のケイ君のところにも寄ったが、彼は風邪を引いて熱を出し「ゴホン、ゴホン」と咳き込んでいたので、まともな話は出来無かった。彼はマスクをしていたが、感染させられてはたまらないので、念のために後で風邪薬を飲もう。
午後4時に実家に帰宅すると、友人のデイ君が来ていたので、家族と一緒にお喋りをしながら夕食を頂いた。メニューは赤飯と鯛で、酒も飲んだ。大連で妻の作る料理も旨いが、やはり日本の実家で頂くご飯は格別な物がある。鯛の塩味とともに酒が進む。昨日、元町のタン氏の父が他界したと聞いたので、夜に氏の母のところにお悔やみを告げに行った。
12月28日木曜日。朝8時に目が覚めた。外を見ると空はどんよりと曇っている。荷物の支度をしているとエヌ叔母さんがやって来た。叔母さんは私の顔を見るなり、「あら、おヒゲ剃っちゃったの? なんだかあなたが学生の頃を思い出すわねぇ」と言った。そう言われてみれば、少し気分も若返った様な気になる。雑談をしているうちに時は過ぎ、母上に急かされながら慌ただしく荷物を持って一緒に午前10時に一同出発。父上は後から合流するらしい。蒸気機関車で三宮まで行って、ポーターに私の荷物を船まで運んでもらう様に頼むと、阪神電車の終点まで行き十合デパート(現在のそごう百貨店)で買い物をし、最上階のレストランで昼食をとった。午後1時に歩いて岸壁へ向かっていると、小雨がシトシト降って来た。港に接岸された照国丸の船内を見学して回っているうちに、見送り客がどんどん増えて来て、船の中で私を見送りに来てくれた方々と会うのが難しくなった。父上、母上、エヌ叔母さんを始め、親戚や私の出身校である『二中』(注:兵庫県立第二神戸中学校。現在の兵庫県立兵庫高等学校)の同級生や先生、満高の同僚、生徒などがわらわらと押しかけて来たので、嬉しいやら恥ずかしいやら。知人の妹さんが大層なベッピンさんであった。
午後3時。いよいよ出航の汽笛が大きく響き、色とりどりの紙テープが乱れ飛んだが、雨で湿っていたのですぐに切れてしまっていた。照国丸は錨をあげておごそかに動き出し、みなのバンザイの声が次第に遠ざかって行く。何だか見知らぬ地へ出向く実感が沸かないのは、もう何回もこの神戸の港から大連の地に船で行った経験があるからだろう。
さて、落ち着いたところで一等船室の自室に戻り、風呂にでも入ってから船の備え付けの食堂で夕飯を食べよう。今回のロンドン行きの船旅で同行している二中の先輩であるマウント氏と別れを告げ、部屋に戻ったら沢山の人からの祝電が届いていた。これは返事を打つのも大変そうだ。そうだ、上海に行ったら8ミリカメラを買おう。
12月29日金曜日。門司港(福岡県北九州市)着。朝6時に船室のベッドで目を覚ます。一等船室とは言え、我が家のベッドに比べると少し落ち着かない。入港は午前11時との事だったので、備え付けの机で日記を書いたり電報の返事を打ったりして時間を過ごす。上陸は一人でしてのんびりと乃木神社にでもお参りに行こうと思っていたら、マウント氏の友人のライス氏が訪ねて来たので、マウント氏と3人一緒に行動する事になってしまった。致し方なく上陸して門司の電車道の百貨店で寝癖防止用のナイトキャップを買った。何しろ私は生まれながらの癖っ毛なので、朝起きてから髪を整えるのが大変なのだ。それから持参していた目薬の瓶が壊れてしまったので薬局で大学目薬を買い、ライス氏ご推薦の日本料理屋で鯛茶漬けをご馳走になった。いくら旅の門出でげんを担ぐからと言って、メデタイばかりでは少々飽きもする。それにマウント氏とライス氏とは私の知らない内輪の噂話ばかりしているので、「やはり一人で上陸したかった」と内心不服に思った。その後、これから手紙をしたためる予備のインキを数本買って船に戻る。部屋には大連からの航空便の手紙が一通、電報が9通も届いていて、どれも私を温かく励ましてくれる内容の物ばかりだった。
そしてもう一つの朗報が来た。ここ門司から二中の同期であるバリイ君が乗り込んで来たので、これからロンドンまでは二中出身の3人で一緒と言う事になったのだ。先輩のマウント氏と二人だけでは間が持たずに気まずい雰囲気になる事もあったので、同期の気の合うバリイ君となら好都合で気も楽になった。午後4時に門司港を出航。ここまでの船旅はいつもと同じ気分だが、次の寄港地である上海にでも着いたら少しは気分が変わるだろう。
神戸港〜門司港までの移動距離275海里(509Km)。気温12℃、水温17℃。気圧758.7ミリ(1011ヘクトパスカル)。風向、北北西。風速7m/秒。
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