第2話 門司〜上海 1933年12月30日〜12月31日
12月30日の土曜日。昨夜はどうにも枕が合わずに眠付きにくかったのだが、神戸でデイ君がくれた眠り薬を飲んだおかげで午前7時までぐっすり眠れた。外はザアザアと雨が降っていて波も高かったが、朝食は美味しく頂いた。だが、船内の休憩室にいた時から船酔いで気分が悪くなって来て、自室に帰ってから朝食を戻してしまった。北風がますます強くなって来て、船の揺れはベッドの上を転がる程だ。巨大な12,000トン級の照国丸の船体がミシミシ、ガタガタと音を立てている。東シナ海での船旅は慣れている筈だが、最初の船酔いだけはどうしても克服出来ない様だ。マウント氏も気分が悪そうだったが、昼食のトーストは食べていた。私はトーストの程よく焦げた匂いさえ感じずに食べる気がおきなかった。午後になって部屋で本を読んでいたら、気分が少し良くなって来たので夕食には冷や肉とアイスクリームを食べた。船の揺れは相変わらず激しかった。
12月31日の日曜日。上海着。揚子江に入ってから船の揺れはピタリと止まった。船窓から見る長江川から東シナ海に注ぐ入江の河面は水がやや泥色に濁っていた。朝食を少し食べると元気になった。外の景色を見ようと甲板に出ると両岸には林や人家が見えていて、船の進行と共に次第に両岸はどんどん狭まり眼前に迫って来る。工場や倉庫、そして昨年の戦闘(第一次上海事変。1932年1月28日勃発〜1932年5月5日に停戦条約締結)で壊されたと見受けられるジャンクや破泊船が多くなって来た。満鉄埠頭、商船埠頭の次にある郵船埠頭に照国丸が横付けされ、支那人の作業員達が苦労して橋をかけてくれていた。税関が部屋まで乗り込んできて色々調べられた後、下船の許可が下りて私とバリイ君、そして現地で私からの寄航の知らせを受けて出迎えに来てくれていた二中の後輩のロック君と合流し、マウント氏は満鉄の旧知の知人と別々に行動する事になった。
あらかじめ予約していた自転車に乗り、案内役を引き受けてくれたロック君に先導されて日本人町である呉松路にある『千代洋行』と言う写真屋に意気揚々と向かう。店内には外国産のカメラやレンズがガラスのショーケースにズラリと陳列されていて、16ミリよりも手軽な8ミリカメラは昨年コダック社が『ダブル8』と言う規格を発表したばかりだったので、私は唯一の製品だった『Cine-Kodak Magazine 8 Movie Camera w/ Cine Ektanon 13mm f1.9 Lens』と言うモデルを買う。カメラの値段は附属品を含めて153円(現在の貨幣価値で約30万円程度)で、内地よりも安いが大連よりは高かった。フィルムは関税制度が違うらしく、例えばドイツのアグフア・フィルムは大連60銭、日本100銭、上海では120銭と言う感じだった(現在の貨幣価値で¥1,500〜¥3,000程度)。その後に近所のおでん屋で昼食を食べ終わると、早速買い物袋から新品のカメラを取り出してフィルムを詰め、周辺の狭い路地での人通りや電車、建物などを撮影する。これは携帯型なので軽くて握り心地が良く、レンズも広角気味なのでファインダーを覗かなくても撮影アングルの感じが掴めて来た。一本のフィルムで撮影出来る時間は約3分。バリイ君も同じ型のカメラを買っていたので、二人して競い合う様にクランクのバネを回した。バネをいっぱいまで巻くと約30秒間撮影出来るが、20秒めあたりから撮影速度が遅くなる事に気が付いたので、一度の撮影は20秒毎に切り替えた。
その後に自転車で上海事変の戦跡へ行く。陸戦隊の攻撃で廃墟になった家屋はひどい有様だったが、特に攻撃目標になっていた商務院書館の壊れ方は無惨だった。あれからもう一年半以上が経ちすでに復興は始まっているらしく、平坦な道もあったが瓦礫が転がっている場所もまだ多くて生々しい光景だった。その後、江湾路を通り過ぎ、我が軍を悩ませた楊行鎮方面の呉淞にある『クリーク』と言う場所の戦跡を見る。ここも建物の損壊が激しい。そして何もない野原の中に出来た上海市政府庁舎を見たが、一見して北京の宮殿の様な立派な建物だった。これから将来ここを中心に周囲に道路を敷き詰めて新しい街を構築するらしいから感心した物だ。
再び北四川路を通って街に入ると『上海神社』が新しく出来ていて、その前には大日本帝国の『特別陸戦隊本部』があり、これまたどちらも立派な建物だった。一番賑やかな大馬路(ターマーロ)では、ちょうど年末と言う訳で買い物客がごった返していて、その中をかき分けるように通り抜け、目的の地には先施(センシン)と永安(エイアン)と言う二つの百貨店があったが、永安の方に入る。5階に登るエレベーターには『電梯』と書いてあった。なるほど、『電気で動くハシゴ』と言う訳か。屋上に出た頃には時刻はすでに午後4時半、もうあたりは薄暗くて上海の景色はよく見えなかったのが残念だった。百貨店の品物を一通り見て回った後に岸沿の道を通って船に帰る。最後まで見送りに来てくれたロック君には年末の多忙な時期にも関わらずにとても親切に案内してもらったので、本来なら夕飯でもご馳走すべきであっただろうに、悪い事をしたと思う。しかしながら、夕食は照国丸の食堂で年越し蕎麦が振る舞われると言う事だったので、こればかりは致し方がないだろう。
明日は元旦、午前8時半から船でお祝いがあるらしい。その後にはまた上海を見物しに行けそうだ。
門司からの移動距離275海里(509km)。風向、北北西。風力7m/秒。気圧758.7ミリ(1014ヘクトパスカル)。気温12℃。水温17℃。移動歩数6900歩。
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