第17話 ペナン〜コロンボ その2 1934年1月13日〜1月14日

 1月13日、土曜日。曇り時々雨。コロンボが近づくので手紙を書くのに忙しい。海はインド洋とは思えない静かさで、まるで内海を航行している様だった。風も涼しく日も照っておらず、とても楽な航海だ。この日は朝からデッキゴルフが賑わっていた。バレイ君をお見舞いに行く。お腹が痛む言ってベッドに横になっていて、飯もろくに食べられないらしい。病院の薬局長は薬の事を知り過ぎていて、逆に病気ばかりしていた。


 イギリスの青い煙突のブルー・ファンネル社船(Blue Faunel Co.)が、同じくペナンから出て来て照国丸を追い越した。この船もディーゼル船で、ここ何日もの間にわたってこの会社の船と競走していた。今日はあちらに追い越された。あちらはコロンボには寄港しないから急いでもいいらしいが、照国丸の方は早く走るとコロンボに早く着き過ぎてしまい、逆に困るからわざとゆっくり行くのだと船員は説明していたが、やはり見る見る追い越されて行くのはやっぱり良い気持ちがしないらしく、さすがの船長もスピードを上げさせた。プロペラは通常運行の時は毎分88回転の所を91回転にしていた。こちらがスピードを上げると、あちらも抜かれまいとスピードを上げた。夜までかかったが遂にあちらを抜く事は無かったので、照国丸はスピードの点ではあまり優秀な船では無い様だった。


 午後は船内の写真屋に頼んで最上甲板でマウント氏と二人での記念撮影を撮ってもらった。コロンボでこの写真を内地に送るつもりだ。この写真屋はボーイの兼業で、撮影から現像、焼付まですべてやってくれのだが、あまり上手では無いらしいし値段も相当高い。キャビネ版を一枚焼き増しして50銭も取る。私が写したベスト(127規格フィルム。画面サイズは4×6.5 cm)のフィルム現像も出来ていた。これはかなりの出来栄えで明日には焼き付けが出来る予定だ。


 その後にデッキゴルフを2回やって、風呂に入った。夕食のエクストラは鯛飯と吸物だったが、鯛飯は辛いばかりで美味くは無かった。マウント氏は辛い食べ物はいくらでも構わ無いと言っていた。氏は飯も固い方が好きで、おかゆは大嫌いと言うので、私とは食物の好みは合わない様だった。


 夜は読書室でこの手紙を書いた。詳しく書くので手間がかかって肩も凝った。 午後9時頃に後ろの遊歩甲板から蓄音器の音が聞えて来たので、手紙を書き終えてからちょっと外に出てみると、ダンス場が出来ていた。すべりが良い様にタルカム粉が撒いてあって、見物客が椅子で囲んで見ている。西洋人たちのダンスは終ったらしく、日本人だけが残って東京音頭のレコードをかけながら数人で踊っている。私も勧められたので初歩から講習を受けて、円陣に加わって踊ってみたが、それほど難しく無かった。実際にやってみると、盆踊り同じ様な振りで簡単だった。西洋人が傍観している。日本人の会社員や外交官、それに正金と満鉄と鐘紡も、「ヨイヨイヨイトナー」で振り付け通りに円になって踊った。


 エンジン音の響きや波の音の静かさもあり、初夏の夕べの高楼に渓流を聞きながら盆踊り踊っている様な感じだ。これも天候が良くて涼しいからこそ出来る事だろう。


 踊り終ったのが10時で、あの話好きの船長が甲板の隅に立って立ち話をしていて、次から次へと話題が尽きない。「照国丸のボーイは中学(現代で言うと高校)出身者に限られていて50才で停年になり、船長は55才で停年で私は今は52才です」と言っていた。他にも船がすれ違う時の避け方とか、つい最近来島海峡で他の船に邪魔されて二度も周回したとか、照国丸を周回させる為には、3/4海里(約1390m)の円が必要だとか、ロンドン付近で霧が多い時には70時間も眠れない事があったとか、自分の子供は船員にはさせないとか、この仕事は体が強くないと続かないとか、そんな話題を長々と話していた。


 午後4時に垂水の実家宛に無線で下記の内容の電報を打った。


 「トウケイ 八九 キオン 二六 ヘイオン」(東経89°、気温26°、平穏)


 昨日からの移動距離375海里(694km)。風向、西北西。風力1m/秒。気圧758.4ミリ(1014ヘクトパスカル)。気温26℃。水温28℃。移動歩数2300歩。


 1月14日、日曜日。曇り。明日の早朝にセイロン島のコロンボに着くと言う事で、照国丸船内のあちこちの掲示板に注意書きが出ている。


 「ドロボウに用心して下さい」、「船客全員にパスポート検査があります」、「キャンディ見物をご希望の方は本日午後4時迄にお申し出下さい。電報で打い合せますから」(料金は5人乗りで1人1ポンド。時間は往復で7時間くらいかかる)「見物には申込が必要です」、「船内郵便は今日の午後9時が締め切りです」、「アデンでは郵便は取り扱っていません」。


 午前中は手紙を書くのに忙しかった。


 午後から船体が少し揺れて来て気持が悪くなったので、昼食は控え目にして午後1時半から予約していた散髪も断り、ベッドに横たわりながらマンガを読んだ。それからまたあちこちに宛てて手紙を書いてみた。午後3時のお茶会は欠席にして午後5時に風呂に入った。


 午後5時半頃に垂水の実家から電報の返電が来た。出された時刻を見ると内地時間で午後1時に出したのが今着いていた。時差4時間を差し引いてもこの船内で受信してから私の部屋に電報が届くまでに1時間半と、ずいぶん時間がかかっていた。


 「コチラ カワリナシ ユカイナル コウカイヲ(こちらは変わりありません。楽しい航海を)」


 頼んでいたベスト版写真の現像が出来上がったので手紙に入れた。陸上の倍の値段がかかった。ベスト現像料6ペンス(42銭)。


 昨日からの移動距離390海里(722km)。風向、南南西。風力1m/秒。気圧757.9ミリ(1014ヘクトパスカル)。気温26℃。水温27℃。移動歩数2300歩。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エイチ教授の「照国丸」海外クルーズ日記 駿 銘華 @may_2018

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ