第30話 塔

 朔が小さな箱を持ってきた。紙の箱だが、ゲーム用のカードのケースに見えた。端が削れて白く丸くなり、プリントされた絵柄は色褪せてモノトーンに近づいている。


 彼は泉の目の前でそれを市の指定のごみ袋に入れた。燃えるごみらしい。


 こんなものも蔵の中にあったのか。誰が遊んでいたのだろう。見たことがない。


 否、泉が見たことのないもののひとつやふたつ出てきて当然だ。


 泉は自分の弟妹たちにほとんど気を払ってこなかった。話しかけられても鬱陶しいと態度に出してあしらったので、そうこうしているうちに誰も近づいてこなくなった。弟の悠だけは熱心に対話を試みていたが、その彼もバイクの事故で帰らぬ人になって以来だ。妹たちは嫁いでから絶縁状態になっている。


 そんな自分の人生を寂しいとは思っていなかった。


 今となっては惜しいと思う。


 もっと生身の人間と触れ合っておけばよかった。もっと勉強しておけばよかった。


 自分の身の回りで生きていた人間のことに注目しておけばよかった。


 もう取り戻せない人生がそこに眠っている。


 けれどこんなことを考えられるようになったのもすべて朔がこの家に来てからだ。

 朔が動き、喋り、自分の周りで生きていることを感じるようになってから、ようやく自分の人生に何があったかを意識するようになった。

 朔こそが自分の人生であり、運命なのだ。


 蔵に戻っていく朔の華奢な背中を見送る。背の高い泉からすると朔は本当に小柄で細く、強く抱き締めたら壊れてしまいそうだったが、十四歳というのはあんなものだっただろうか。悠は、そして自分は、十四歳の時、どうだっただろうか。

 何もわからない。


 死ぬ前に学ぶことがあって、よかった、と思う。


 カードケースを拾った。

 開けて中身を出してみた。


 トランプに似ているが、もっと絵図が凝っている。


 ぺらぺらとめくるように何枚か絵図を眺めた。

 うち一枚で手を止めた。

 大きな満月に、ローマ数字の十八、そして『THE MOON』の文字が描かれている。

 タロットカードだ。


 本当に、いったい誰が遊んでいたのか。自分の妹たちだろうか、それとも親世代だろうか、はたまた――傷み方からしてそんなに大昔のものではないだろうが、この家にこれを使って意味がわかる人間がいたのか。


 一回閉じるようにして元に戻した。


 大アルカナの意味はおぼろげながら知っていた。タロットカードをモチーフに使ったミステリを読んだことがあるからだ。カードに見立てて殺人事件が起こる内容で、トリック自体はありきたりなものだったが、タロットカードという慣れない小道具に感心して意味を調べた。


 特に深く意識せず、一枚だけ引いた。

 小アルカナだったら意味はわからないが、何か当たりを引いたら、と思いながらカードを見る。


 ローマ数字の十六、雷を受けて崩れる建物――『THE TOWER』と描かれている。


 思わず笑ってしまった。


 このカードほど自分に似合うカードもない。


 そしてある意味これは朔の存在を象徴するものでもある。

 朔は泉の人生のすべてを破壊し尽くしてくれた。

 それでこんなにも心地よく息がしやすくなるとは思っていなかった。


 すぐに取り出せるようそのカードを一番上に置いてから、ケースに戻した。

 自分の着物の袖に突っ込む。

 このひとつぐらい、いいだろう。



 あの蔵の中には私の人生が眠っていた。

 そろそろ、起こさなければ。




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あの蔵にはご主人さまの人生が眠っている 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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