船長の克自が至極真面目な顔で「針路を北北東に取れ」と言うのでいったいどこに行くのかと思っていたが、たどりついた先は咲耶島であった。
咲耶山は火山だ。
なので、咲耶島には温泉が湧いている。
咲耶山がここ数百年噴火していないので、夜隆は火砕流の何たるかを知らない。
ただ、温泉は気持ちがいいことは知っている。
ある温泉宿の大浴場の脱衣所にて、鉄波党幹部数名が雄叫びをあげながら豪快に着物を脱ぎ散らかした。
「うおーっ! 温泉だーっ!」
他の入浴客が圧倒されている。海賊の中には派手な入れ墨を入れている人間もいるので、それを見て逃げていく人もいる。夜隆は周囲を顧みない仲間たちがちょっと恥ずかしかったが、その恥ずかしさより温泉に浸かりたい気持ちのほうが勝ってしまっているので、自分もすっかり海賊なのである。
夜隆も脱いでいる脇で、まだ着物を着たままの夢之助がきょろきょろと周囲を見回している。脱がないのだろうか。
一瞬、早く脱げよ、と言おうとしてしまったが、いつかの夜のことが脳裏をよぎった。
克自が、女性めいて美しい夢之助を女のかわりにして犯そうとする人間がいる、と言っていた。
そういう中で裸になるのは、夢之助にとって抵抗のあることなのかもしれない。
彼は温泉に入りたくないかも、と思うと、安易に裸の付き合いを強要するのは大人の男としてあるべき姿ではないのかな、と葛藤する。
そのうち、番頭と話をしていた克自が、遅れて脱衣所に入ってきた。ほぼ裸の仲間たちが「遅かったっすね」と声を掛ける。克自が「あー」と返事をする。
「金積んで貸し切りにしてもらったわ」
夜隆はほっとした。これで海賊たちが騒いでも一般客に迷惑をかけずに済む。やはり克自の判断力は頼りになる。
「よっこらせ」
夜隆と夢之助の近くで、克自がためらいなく脱ぎ始める。すぐに筋骨隆々とした体躯があらわになる。ところどころに謎の傷があるが、誰も問い掛けない。夜隆も気づかなかったことにした。鉄波党は、海賊になる前のことを問わない。それは克自自身にも言える。なんだかいろいろあったのだろう。それで十分だ。
克自があっという間に全裸になったのを見て、夢之助もようやく脱ぎ始めた。父親代わりの克自のそばだと安心できるのだろうか。だが、その手の動きはどことなくぎこちない。それを見た克自が言う。
「お前は先に部屋に行っていてもいいんだぞ」
「やだ。おれも温泉入りたい。温泉だぜ?」
「そうだよなあ、温泉を目の前にして入りたくないわけがないよなあ」
夢之助がしゅるりと袖を抜く。白い肌が見えてくる。こちらは傷のない体だ。普段あんな乱戦の中に身を置いているのによくこの綺麗な体を保っていられるものだ。その分夢之助に海賊としての才能があると言える。乱闘行為もなんのその、そういえば夢之助が怪我をしたという話は聞いたことがない。
「く、くそ」
「なんだよ、何か文句あるのかよ」
「いやべつに。俺もこれからもまだまだ強くなるし」
「意味不明」
夜隆がふんどしを解く前に、克自が手ぬぐいを肩に引っ掛けて戸を開け、大浴場に入っていった。その後を夢之助が追い掛ける。夜隆も慌てて脱いでそちらに向かった。
戸の向こう側は、大浴場と聞いていたが、実際は露天風呂だった。岩を敷き詰められて作った巨大な池を、樋を流れてきた湯を満たしている。あふれた湯は溝を伝ってどこかへ流れていく。かけ流しだ。最高だった。
案の定、海賊たちは湯の上にたらいを浮かべ、熱燗で楽しくやっていた。飲めや歌えやの大騒ぎである。貸し切りでよかった、こんな中に一般人が入ってきて引かないわけがない。克自の判断はいつも正しい。
「おー、夢ちゃん、色っぽいね」
「は? 死ねや」
酔って絡んでくる仲間たちを、克自が押し退ける。夢之助が克自にぴったりくっついて浴槽に向かう。
克自が湯に浸かると、湯が大量にあふれ出した。克自は身長も体重も人一倍大きい。六尺を余裕で超える体躯は相当な体積である。
その隣に、夢之助が腰をおろした。克自ほどではないが、ある程度の湯が流れていった。
さらにその隣に、夜隆も腰をおろした。夢之助以上克自未満である。
程よい水圧が体を包む。春とはいえ夜はまだ少し冷える今日この頃、足の指や手の指といった末端が温まっていくのが心地よい。全身が溶けていきそうだ。
湯気の向こうに、壮大な夕焼けの中に浮かぶ月が見えた。今はまだ少し欠けている、満ちていくさなかの月だ。
「あー……」
生き返る。
ここが極楽である。
足元は岩場だというのに、海賊たちが子供のように全裸で追いかけっこをしている。夢之助どころか海賊船のみんなの父親状態である克自が「おい、こけて怪我すんなよ」と声を掛ける。
「こうしてると、生きててよかったな、って思うわー……」
まだ十代のくせに夢之助が中年のような声で息を吐いた。
夢之助のほうを見る。
夜隆は一瞬だけ、どきりとした。
上気した肌、濡れて首に張りつく黒髪、珊瑚色の形の良い唇――黒真珠の瞳は、とろりととろけるような目つきでどこかを見ている。
これを見ていると確かに、色っぽいと思ってしまうのも道理かもしれない。
しかし次の時、夢之助が「熱くなってきた」と言って上半身を湯から出した。
張りのある胸筋、盛り上がった肩と二の腕、筋の張った長い指――
「うーん! 俺もやっぱりおっぱいがばいんばいんのお姉さんがいいなあ!」
「はあ? てめえ今誰のどこを見て言った?」
夢之助の大きな手が伸びてきて、夜隆の後頭部をつかんだ。そして渾身の力で湯に顔を沈めた。突然のことに対処できなかった夜隆は湯の中でもがいた。海賊たちが「おっ、いいぞやれやれ」とはやし立てた。
溺れかけながら夢之助の腕を払い除け、なんとか湯から顔を出す。夜隆も「てめえ」と怒鳴りながら夢之助の側頭部をつかみ、横に押すようにして湯の中に引きずり込む。夢之助が「くそっ」と言いながら倒れ込む。なんだかんだ言って夜隆のほうが筋力は強いのである。
「ぎゃあっ」
「このやろっ」
「貴様!」
夢中で取っ組み合う。ざぶざぶと湯が飛び跳ね、波が起こり、湯船からあふれ出し――克自に「こら」と怒られた。
「子供たち、静かにしな?」
克自の右手が夜隆の左耳を、左手が夢之助の右耳をつかんで、湯から引っ張り出して持ち上げた。二十歳の夜隆と十七歳の夢之助は、「はい……」と言いながら耳の痛みに耐え、反省した。
「なんだかお前ら、兄弟みたいだな」
「やめてくれよ、おれこんな兄貴欲しくないよ……」
「えっ、俺はいいけど。欲しかったんだよな、弟」
「絶対嫌だよお……おれもずっと兄貴が欲しかったけど、こいつだけは嫌だよお……」
ここは楽園だ。みんなで大事にしないといけない。頭のてっぺんからずぶ濡れの二人は、今度こそじっくり湯に浸かった。