個人的な感想なんですけど、最近のラノベって主人公が「カッコよくない」んですよね。当然全部じゃないですけど。
スローライフ、好き勝手に自由に生きる、冷遇されたけど今は優遇されてます、万能な能力、ハーレムとか、
作者の現実の欲望を前面に出しまくってるせいか、主人公自身の魅力じゃなくて、主人公の待遇にフォーカスが当たりすぎてるものが多いんですけど、
憧れてる矛先が「人」じゃなくて、「欲望を叶える力や、ちやほやされる環境」だから、なんか薄っぺらいんですよね、良く言えばストレスフリー。
そんななかこの作品の主人公…「カッコいい」んですよ。よく練られた設定や世界観にあぐらをかいてないんです。テンプレ通りに進む為の駒じゃない。こんな男になりたいとか、こんな上司だったらなぁ~とか、そんな「人」としての魅力があるんです。
完全に好みなんですけど、まぁつまり何が言いたいかって言うと、この作者「カッコいい」が分かってるってこと。
「勇者刑とは、もっとも重大な刑罰の名前である。」
強烈な一文から始まるストーリーは、ひたすらに刺激的。
勇者刑に処された彼らは、主役であるザイロを始め誰もが最悪の刑罰に相応しい、社会を揺るがす犯罪者たち。
読み進めば進むほど、それぞれの超人的な技能、そして独自の価値観があらわになり、読者は、勇者たちは間違っても在野に放せない存在だと思い知る。
人間社会は到底、彼らのような「危険人物」は許容できないからだ―――平時であれば。
この世界には、「魔王現象」という脅威があった。
愚かさゆえに「普通」にはなれない彼らが、愚かさゆえに「勇者」たり得る。
彼らの巻き起こす無秩序な暴走が、「女神」の加護を得て、絶望的な戦いの流れを変えていく様を見届けませんか。
近世~近代レベルの文明水準の異世界を舞台に、『スーサイド・スクワッド』みたいな「刑罰としての異能の特殊部隊」ものの物語を展開する作品なんですが、これを「鉄砲玉としての勇者」という発想と接続してまとめ上げたのがタイトルに冠された「勇者刑」「懲罰勇者9004隊」というアイデアです。
それぞれの発想もなかなか気が利いてるですが、その組み合わせ方があまりにも上手い。
ひとつの作品の中に、古代の人型決戦兵器、神秘的な紋様を媒介とする魔術とそれを即物的・工業的に応用した魔術兵器、おとぎ話でもないと許されないような泥棒の名人、異世界転生主人公のパロディめいた異邦人のなれはて等、それぞれに異なるテイストのファンタジー性をもつガジェットが贅沢に放り込んであるのは作品の大きな美点ですが、なまなかな作者が同じことをやろうとしても作品の見せるべき物が拡散してしまうでしょう。
この作品と作者のなにより凄いのは、各回を作戦名で統一している点に良く表れていますが、この作品のどこをどう見せるのがいちばん面白いのかの要点を常に押さえ、開示する情報を統制し、雰囲気を統一し、作品を制御している事ですね。
作者の手のひらの上で転がされながら、戦場の匂いを感じ、人間世界の外縁から魔物の軍勢が現れる黙示録的光景を眺め、順番に作品に登場してくる皆してどうかしている異能の懲罰勇者たちの活躍を待ちましょう。
間違いなく面白い。
イカれたキャラクター達がすれ違いながら、あくまで己の都合で協力して障害をぶち破っていく。
ヒロインと主人公ですら例外ではなくすれ違っている。ヒロインは人に奉仕する女神として主人公に無償の祝福を捧げることを無上の喜びを感じている。
主人公は自分がその無償の祝福を嫌悪し、ソレを無上の喜びとする女神の習性を疎ましく思っている。
仲間の都合など知ったことかと蹴飛ばしつつもどういうわけか一党は結束しながら物語を紡いでいく。
一話読めばアリ地獄のように次の話に引き込まれていくはずだ。
問題があるとすれば、ほかの作品の傾向からするにこの作者の紡ぐ物語が最後まで終わらない可能性が高いという一点に尽きる。
刹那的に一話一話を楽しみたい方々には諸手を揚げてオススメできる。
「勇者刑とは、もっとも重大な刑罰の名前である」
冒頭に出てくるこの文章に偽りはない。
主人公たちが放り込まれる戦場は、毎回絶望的に不利な物ばかり。それもそのはずで、彼ら懲罰勇者は捨て駒と同義。何故なら揃いも揃ってとてつもない極悪人なのだから。
例えば息をするように盗みを働くコソ泥、王城をサーカス団に売り払いかけた詐欺師、自身を国王だと信じてやまないテロリスト、ターゲットの代わりに無関係の通行人を殺す暗殺者――などなど、誰も彼もが個性的な人格破綻者ばかり。
そして、主人公のザイロ・フォルバーツにいたっては『女神殺し』の大悪党。
懲罰部隊故に何もかもが不足している彼らが、いかに「魔王現象」と戦っていくのか。その巧みな戦術、戦闘描写がこの作品の大きな魅力の一つになっている。
その他にも個性的なキャラクターによる軽妙なやり取りや、徐々に明らかになっていくバックストーリーからも目が離せない。
まず、この作品における『勇者』とは
最大最悪の罪を犯したものに科される懲罰である。
主人公もその仲間たちも、その懲罰を背負うも当然の罪人であり、
誰も彼もが恐るべき罪を言動から覗かせ、
あるいは現在進行系で犯し続けている存在。
そんな勇者たちに科される任務は、
世界を侵食し続ける『魔王現象』の撃退。
かくして、勇者と魔王は相対することになる。
ただ目の前の魔王に抗い、それを倒すために戦う。
たとえ死んでも蘇らせられ、再び最悪の戦場へと送られる。
戦い続けることそのものが罰。それが勇者刑。
主人公ザイロはその中でも特級の『女神殺し』の罪を背負う勇者。
彼の根底を支えるものは『怒り』であり、
それは自分自身と、世界に向けられたものだ。
その怒りでもって彼は誰かを救うために死地に飛び込み、
魔王に対して無謀ともさえ思える突撃を繰り返す。
最悪の犯罪者『勇者』たちによる、最強の魔王討伐劇。
過去を失い、今を縛られ、未来には絶望しか残らない。
それでも彼らの生き様は不思議な熱を帯びている。
まさに痛快ダークファンタジーと呼ぶにふさわしい傑作である。
誰かから期待をかけられること、自分が社会の役に立ち繋がりを持っていることを確認すること。それは人の心を満たす行為で、社会を成り立たせる仕組みの一部。
その一方で、社会からの承認を人質に、自分をすり減らす生き方を押し付ける場のなんと多いことか。
「頭を撫でて褒めてもらう」というただそれだけを対価に莫大な力を振るい、その末路として衰弱するまで戦い魔王に侵食される女神たち。
誰からも期待されず、死んでも再生するからと碌な物資も持たずに死地に放り込まれる犯罪者の集団である勇者たち。
正反対なようでいて、歪な自己犠牲を求められているその問題の根は何処かで繋がっているように思えます。
「いや再生されるからって死にたくないに決まっているだろ!」とばかりにあらゆる非正規な手段を用いて泥臭く生き延びる一方で、時にその場の勢いで他人の命や信念のため、保身とは真逆の頭のおかしい自爆戦法をとってしまう勇者たち。
不自由な環境の中で、自分の心や体をどう使うのか自分で選び自分で決めていく姿に共感と憧れを抱きます。
この作品の最大の魅力はとにかく勇者部隊。
クレイジーな犯罪者集団がその悪辣さを存分に発揮して人類のために戦う、このシチュエーションに燃えない人とかいるんですか?
本作の主人公はザイロ・フォルバーツで彼を中心に物語が展開しますが、いわゆる群像劇に近い描かれ方をしており、それぞれの人物描写の丁寧さや巧みさも特筆すべきものがあります。
設定やギミックも非常に作り込まれていて、勇者たちの過去や背景、強力な兵器でありながら憐れみを誘う女神と言う存在、勇者システムによるリスクなど、気になる伏線や要素がそこかしこに張り巡らされています。
そういった伏線と危険や困難が過ぎるミッションによって常に緊張感を維持しており、それ故に展開も弛れることなく面白さも突っ走っています。
私個人としてですが、いまカクヨムで連載中の作品で本作を超えるクオリティと面白さを提供しているものはほとんど無いと言っていいと思います。
さあ、あなたもクソッタレな教会や軍部に中指おっ立てながら、勇者たちのイカれた作戦を楽しみましょう。
愛すべきクソ野郎たちがあなたを待っています。
ロケット商会さんが、また凄まじい「勇者」たちを世に送り出した。
ーー勇者とは最大の刑罰である。全員が性格破綻者の懲罰勇者部隊。
最高にそそるキャッチコピーとともに、送り出されたこの作品の世界観は、「優れた能力を持つ犯罪者たちが、命を握る首輪をつけられてフェアリーと呼ばれる異形の怪物と戦う消耗品の『勇者』として、戦場に送り出される」というぐらいにまとめられる。
人類の希望である「善」なるものであるはずの「勇者」が、全て「悪」に染まった「犯罪者」で構成されているという矛盾。しかもその全てが曲者揃いと来ている。これで面白くない訳がない。
しかし、そのキャッチコピーとは裏腹に、この作品を読み進めていったとき貴方はこう思うはずだ。
ーー彼らは本当に「悪」の「犯罪者」なのだろうか?
世界では、誰もが「自分の信念」を「善」として持って戦っている。だから、世界でいうところの「悪」とは、結局のところ「力を持った多数派の善」が、自分たちと対立する「力を持たぬ少数派の善」を「悪」と呼んでいるに過ぎない。
「性格破綻者」というレッテルを「勇者」たちに貼り付けた人間たちは、果たして本当に正常なのだろうか?
主人公のザイロは、今は「力を持たぬ善」の側にいる。「力を持った善」たちのいうところの罪を犯して、その罰として「勇者」に成り下がった。
しかし、ザイロの下に「女神」テオリッタがやって来たことで物語は動き出す。
「女神」は、フェアリーに対抗できる優れた能力を持った選ばれし存在。それは、まさに人類の「力」の象徴である。
「力」を手に入れたザイロたち「勇者」は、今後どのような未来を掴み取るのだろうか。
彼らは、今度こそ「自分の信念」を貫けるのか。
あるいは、再び「力」をもがれて地に墜ちるのか。
「勇者」たちの活躍に、今後も目が離せない。