「悪」とは、ある「正義」の側から見た別の「正義」に他ならない
- ★★★ Excellent!!!
ロケット商会さんが、また凄まじい「勇者」たちを世に送り出した。
ーー勇者とは最大の刑罰である。全員が性格破綻者の懲罰勇者部隊。
最高にそそるキャッチコピーとともに、送り出されたこの作品の世界観は、「優れた能力を持つ犯罪者たちが、命を握る首輪をつけられてフェアリーと呼ばれる異形の怪物と戦う消耗品の『勇者』として、戦場に送り出される」というぐらいにまとめられる。
人類の希望である「善」なるものであるはずの「勇者」が、全て「悪」に染まった「犯罪者」で構成されているという矛盾。しかもその全てが曲者揃いと来ている。これで面白くない訳がない。
しかし、そのキャッチコピーとは裏腹に、この作品を読み進めていったとき貴方はこう思うはずだ。
ーー彼らは本当に「悪」の「犯罪者」なのだろうか?
世界では、誰もが「自分の信念」を「善」として持って戦っている。だから、世界でいうところの「悪」とは、結局のところ「力を持った多数派の善」が、自分たちと対立する「力を持たぬ少数派の善」を「悪」と呼んでいるに過ぎない。
「性格破綻者」というレッテルを「勇者」たちに貼り付けた人間たちは、果たして本当に正常なのだろうか?
主人公のザイロは、今は「力を持たぬ善」の側にいる。「力を持った善」たちのいうところの罪を犯して、その罰として「勇者」に成り下がった。
しかし、ザイロの下に「女神」テオリッタがやって来たことで物語は動き出す。
「女神」は、フェアリーに対抗できる優れた能力を持った選ばれし存在。それは、まさに人類の「力」の象徴である。
「力」を手に入れたザイロたち「勇者」は、今後どのような未来を掴み取るのだろうか。
彼らは、今度こそ「自分の信念」を貫けるのか。
あるいは、再び「力」をもがれて地に墜ちるのか。
「勇者」たちの活躍に、今後も目が離せない。