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「先、輩……」


 声にならない声しか出せないでいると、先輩は私の隣に座ってくれた。


「もー、春歌はるかってば呼び出しておいてこっちにいるなんてひどいよー」

「そ、それはその……すみません」

「別にいいよ、そういうときだってあるもん」


 怒りや苛立いらだちは一切ない。優しい声音。


「あの、先輩。どうして私がここにいるって?」

「春歌もまだまだだなー」


 得意げに「にへ」と笑って、


「ここ、屋上からは丸見えなんだよ?」


 顔を上げて屋上の方を見る先輩の首筋には、小さな汗が浮かんでいた。それだけで、私はたまらなく泣きたい気持ちになる。


「先輩……ひとつ、聞いてもいいですか?」

「うん、いいよ」

「勝ち目のない勝負があって……諦めるしかないってとき……先輩ならどうしますか?」


 目を落とし、両手の指を絡ませながら訊く。

 数秒ほどの静寂があってから、


「んー、わかんない!」

「えっ?」

「だって私だけだったら、きっと諦めちゃうと思うから」


 でもね、と先輩は続けて、


「春歌と一緒だったら、どんな勝負も勝てそうな気がするんだ」

「私、と……?」


 うん、と頷いて、先輩は顔を上げる。私もつられて同じ動きをする。桜のつぼみの間から、青紫色の空が見えた。


「最後の大会のリレーでもさ。私たちが勝てるようにたっくさんがんばってくれたよね?」

「いえ、私は何も」

「ううん、そんなことないよ。練習のときから誰よりも勝つことを、願いが叶うことを考えてくれて……どんなに差がついてても一生懸命走って、走って。私にバトン、届けてくれた」


 思い起こされる夏の一瞬。季節は過ぎても私と先輩は、あの時と同じくらい近くにいる。


「春歌が今どんなことに悩んでるのかはわからないけど」


「そんな春歌のこと、私は好きだよ」


 たったひと言。たったひと言だけど。

 私の中で、何かが変わった気がした。

 先輩の言葉に、たぶん深い意味はない。「好き」も私のそれとはきっと違う。

 でも、そこに嘘偽りはない。

 だったら、私は――


「先輩っ!」

「春歌?」

「私、先輩に伝えたいことがあるんです!」

「うん」

「きっと……絶対に伝えます! だから」


「だから――


 一瞬の空白をおいて、

 私は、廊下に立っていた。卒業式が終わった後の、浮ついた空気。それはさっきまでと同じで、少しだけ違う。


「っ!」


 走り出す。時計なんか見ずに。

 階段を駆け上る。身体が熱を持つ。肌にじわりと汗が浮かぶ感覚。けれど、そんなのは気にならない。


 ずっと、間違っていた。


 私の願いは、きっと叶わない。

 だったらせめて、告白だけでもしておこう。

 どうせ振られるだろうけど、自分の気持ちに踏ん切りをつけるために。前に、進むために。

 無意識に、そう考えていた。


 でも――そうじゃないんだ。

 告白って、そうじゃない。

 届け、と。願いよ叶え、と。

 精いっぱいの気持ちを、ぶつけることなんだ。

 私の……私だけの、ありのままの想いを。


 緊張はある。震えそうなほどの怖さも、残っている。

 だけど大丈夫。

 先輩は私を見てくれていた。

 私が先輩を見ていたように。


「先輩!」


 屋上へと続く扉を開ける。

 まぶしい光と空が目に映る。

 そして叫ぶように、私は言った。


「私――先輩のことが……大好きです!」

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桜の香り、空を仰げば 今福シノ @Shinoimafuku

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