三 

 ダウンジャケットにウィンドブレーカーのズボン、冬山を登るような頑丈な靴という防寒対策を徹底した格好に着替え、校庭に出る。山の中腹に建てられた宿舎の校庭の先はなだらかな崖になっており、付近の集落が見下ろせる。雲は薄くかかってはいるが、所々切れて星が見えた。

「うう寒い。敷島さんすごいあったかそうですね」

「着こんでるからね。むしろちょっと暑いくらい」

「ええ、一枚くださいよ」

「ははは」

 校庭の中心にブルーシートを一枚敷く。ここに一晩中寝転がって流星群を観望するのだ。彼女はその隣に望遠鏡を建て始めた。望遠鏡は、鏡筒きょうとうという星を映す筒状のパーツと、鏡筒を固定し見たい星へと照準を合わせる赤道儀せきどうぎ、三脚の三つに分かれている。今回は電車移動であったため、部にある一番小さなものを持ってきた。そのようなものを覗いても別段珍しいものを見ることは出来ないことを知っていたので用意する予定はなかったが、彼女が使いたいと言い持ってきた。

「あの、建てたんですけどこれで合ってますか?」

「うん、大丈夫そうだよ」

 望遠鏡を確認してからブルーシートの上に転がる。草の柔らかさが伝わるが、身構えていた地面の冷たさはなかった。これだけ着こめばそれも分からないようだ。彼女は寒さで地団駄を踏んでいる。コートなら部屋にあるが、それを貸そうと声をかけていいものかと悩む。あれには煙草の臭いが付いているだろうし、男の着ていたものなど借りたくないかもしれない。

「敷島さん、何入れたらいいですか?」

「惑星は今見えないし。すばるは……」

「すばる、どこですか?」

 オリオン座の三星からすばるを探すが、すばるのいる空には雲がかかっていた。

「雲で見えないね」

「えええ」

「まあ適当に明るい星入れてみな」

「はい」

 天頂には、ちょうどふたご座が昇っている。全体は雲にさえぎられ見れはしないが、明るく並ぶ兄弟星のポルックスとカストルは見えた。神話で、二人は双子の兄弟であり、兄カストルは人間だったが、弟ポルックスは神の子として力を持った。二人は共に戦士として戦ったが兄だけが死に、弟はどんな傷を受けても死ぬことはなかった。一人生き残ったポルックスは兄との運命の違いに嘆き、父である大神ゼウスに自身の命と引き換えに兄を蘇らせて欲しいと懇願した。ゼウスはポルックスの優しさに応え、二人を星座として天へ上げた、とされている。

 ポルックスは金色に輝く一等星、カストルは白く輝く二等星である。星の輝く光度の差から生まれたのが、神の子、人の子という差なのであろう。しかしこの光の強さは地球上から見る、みかけの明るさである。事実は、黄色く燃える星よりも白く燃える星の方が熱く明るいことが現在では知られている。

 カストルが弱く見えるのは、より遠くにある存在だったからである。

「敷島さん、入りました。見てください」

 鏡筒を覗くと、BB弾よりも小さな白い丸が見えるだけだった。

「これはプロキオンだね。子犬座の一等星だよ」

「へえ、子犬座ですか」

「子犬座はこの星と、その斜め上の星二つだけで出来ているんだよ」

 指さす先を目で追おうとして自然と彼女の体が近づき、乾いた空気ごしに彼女の存在が匂いと熱を伴って伝わる。自分から触れてしまうことがないようにと、要らぬところまで力が入っているのが分かる。

「星二つだけって、ただの棒ってことですよね。それで子犬って無理ありますね」

「まあ、星座ってそういうとこあるよね」

 そこから冬の代表的な星座と、六つの一等星から成る冬のダイヤモンドについて説明した。

「詳しいですね。さすが先輩」

 並んでブルーシートに横たわり無言のまま流星を待った。雲は時間と共に流れ去って行き、晴れ間の方が広くなっていた。右に彼女を感じながら左の空を見る。地平線からはしし座が上がっていた。

「あ、流れた!」と彼女が大声を上げた。

「ほんと、どこ!」

「あそこから、こうやって」と東の空のわりと低いところを水平に指で追った。

「長さは?」

「長さですか。長さは、短かった、ような気がします」

「じゃあ散在だね」

「散在ってなんですか?」

 流星には二種類ある。流星群を構成する流星か、そうではない散在流星だ。その流星が群であるかどうかの判定するにはいくつかの条件がある。まずは流れる方向である。それから速さ。そして最後に流れた場所と長さの関係である。私はそれらのことと具体的な判定法を教えた。

「へえ、面白いですね」

 秋から冬にかけては、街さえ暗ければ、わりと散在流星を見ることは出来る。流星や流れ星は秋の季語でもある。流星は珍しいものではあるが、見ることのできない特別なものではなかった。流星を特別な存在へと追いやったのは科学の光であり、今はまたその流星を自在に降らせようとする科学さえある。しかし、自らの手で消失させた自然を探し、慈しむのは不自然なことではない。人は手の届かないものになって、初めてその大切さに気付く。苦労しないと得られない、と不便だからこそ追い求めたくなるのだ。人間の欲求の形とは、どれも恋愛と似ている。

「敷島さんって好きな人いないんですか?」

「いないよ。昨日も話しただろ」

「まあ、そうなんですけどねえ」

 寝転がり互いに声だけを聴いて話す。顔を見れない分、余計にその存在に集中してしまう。

「でももったいないですよ。先輩いい人ですし。こうやってちゃんと絡んだの初めてですけど、敷島さんって話面白いし、頭良さそうだし、やさしいし、絶対彼女できると思うんですけどね」

「いやいや。やめろって」

「いや、ほんとですよ。もっと自分からガツガツ行けば絶対できますよ」

「はいはい、わかった。わかりました。ありがとうございます」

「いやほんとですよ。冗談じゃないですからね」

「……あ、流れた」

「え! ほんとですか!? 見てなかったあ」

「散在だな」

「また散在ですか。ああ、寒い。背中冷たい」

 闇に眼が慣れたおかげで、立ち上がった彼女の顔が夜に浮かび、はっきりと見えた。普段は見下ろす彼女の全身が、今は私を上から威圧しているかのように感じ、目が離せなかった。

「部屋に、着てきたコートならあるよ」

「え、ほんとですか。もっと早く言ってくださいよ」

「ごめんごめん、忘れてた。貸そうか?」

「貸してください。取り行きましょ。ほんとにもう寒いです」

 我らは足早に暖かな宿舎へと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本を抱いて登る 杜松の実 @s-m-sakana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ