第5話 九死に一生を得たようです


 言われるまでもない。あんな化け物相手に戦おうとしたところで、万に一つも勝てるはずがない。ほとんど同時のタイミングで俺とルカは立ち上がり、一気に駆け出した。妖狐の里がどこにあるかなんてわからないけど、とにかく今は逃げるしかない。


 幸運だったのは、ルカが先に逃げてくれたことだ。どっちにいけば安全なのか、全く見当もつかないが、とにかく必死でルカについていけばなんとかなるだろう。問題は、慣れない身体になって足取りもまだおぼつかない俺が、迫ってくる鬼から逃げ切れるかどうか。ただその一点だけである。


――おい、サクヤ! 何だよあいつは一体!


――あれは鬼の一種、オーガじゃ! 頭脳や素早さはたいしたことないが、力だけは馬鹿みたいにある! あたれば無事では済まないぞイーナ!


――そんな事、言われなくてもわかってるよ!


 必死で走る俺の背後でオーガの一撃が地面へと突き刺さる。ひゅんと言う風の音と共に、後ろの地面がえぐれたであろうことは、背中越しであっても十分に理解が出来た。


 逃げることに精一杯だった俺には、後ろをしっかりと見る余裕なんてなかった。だが、もう音だけでその威力は明らかだろう。あんな攻撃あたればひとたまりも無い。骨の一本や二本で済んだなら、間違いなくとっても幸運であろう。


――なんで! なんで! 鬼って森の奥にいるんじゃないの!!


――知らぬ! とにかく今は逃げろ! 今の憑依したてのおぬしでは、いくら九尾の力があるとは言え、満足には戦えん!


「話が違うって!!」


「イーナ様! 早く!」


 ルカの慌てた声が俺の耳に届く。そんな事は俺だってわかってる。全力で走ってる。


 だが、足取りもおぼつかない身体、そしてすっかり大きくなってしまったダボダボの服につい足を取られてしまった俺は、バランスを崩し、そのまま地面へと華麗かれいにヘッドスライディングをしてしまった。


 もし俺が、野球でもやっていたならば、お手本になる位、綺麗なヘッドスライディングだっただろう。だけど、今はスポーツをしているわけでは無い。文字通り、これはオーガとの『命をかけた鬼ごっこ』なのだ。


「イーナ様!?」


 俺に起こった異変いへんに気付いたルカが、足を止めてこちらを振り返る。俺が立ち上がろうとしたときには、もうすでに、オーガは俺のすぐ後ろまで迫ってきていた。俺を仕留めるべく、大きな武器を振り上げたオーガ。


――終わった……!


 短い九尾人生だったなあ…… 


 もうだめだと、諦めの境地きょうちに至り、目をつむった俺。だが、いつまで経っても、オーガの武器が振り下ろされるような気配はない。そして、聞き覚えのない男の声が俺の耳に届く。


「おい、大丈夫か!」


 声の方をみる俺。倒れた俺の前に立ちはだかっていたのは若い男であった。俺の身長よりも大きいであろう男の大剣は、オーガの強力な一撃を力強く受け止めていた。


 すぐに数人の彼の仲間と見られる人間達が私の元へと駆け寄ってくる。今度はルカよりも少し年齢が上くらいの綺麗な大人のお姉さんだ。


「大丈夫!? 立てる?」


「あ、ありがとう……!」


 お姉さんに支えられたまま、俺は何とか自らの身を起こした。何が起こったのかはわからない。だけど、ひとまずは命拾いをしたようだ。まさに九死に一生とはこのことであろう。


「もう大丈夫だよ!」


 まだ今の状況に理解が追いついておらず戸惑っている俺に笑みを浮かべながらそう言葉を発したお姉さん。


 確かに彼らのお陰で俺は何とか助かった。きっと彼は腕の良い冒険者かなにかなのだろう。あのオーガの強力な一撃を正面から受け止めるなんて、よほど鍛え抜かれているに違いない。


 だがいくら腕に自信があるとは言っても彼らは人間。俺には人間があの化け物のようなオーガに敵うとはどうしても思えなかった。


「大丈夫って!? 相手はあんな化け物だよ!」


 だが、俺をオーガの攻撃から守ってくれた男は、巨大なオーガを前にしても、一切ひるむ様子もなく、オーガに対して武器を構えたまま、仲間達に向かって叫んだ。


「ナーシェ、その子を頼んだぞ!  ハイン! ロッド! やるぞ!」


 オーガと対峙していたのは3人の男達。おそらくオーガの一撃から俺をかばってくれた男がパーティのリーダーであろう。後ろ姿だけでわかるそのイケメン臭。もし俺が女の子だったらもう即座に恋に落ちていたに違いない。


「おう!」


 男の指示に、2人もオーガを取り囲むように戦型を展開する。1人は双剣を手に、素早くオーガの足元へと近づく。もう1人は魔法使いなのだろうか、呪文のような謎の言葉をぶつぶつと唱えているようだった。


 双剣の男の攻撃がオーガの脚元に入る。さすがに一撃でオーガに致命傷を負わせるほどの力こそ無いようだが、それでも確実にオーガにダメージが入っているようで、大きな武器を軽々と振り回していたオーガがよろめく素振りを見せた。


「炎の精霊カグツチよ…… 我に力を与えたまえ……」


 もう1人の男、魔法使いであろうその男が呪文を口をする。直後、俺は今まで感じたことのないような不思議な感覚に包まれた。


 まるで周りの空気が魔法使いの男の周囲に、渦を巻きながら集まっていくようなそんな感覚。次第に男の周囲にぽつりぽつりと赤い光が見え、しだいに男の手の周辺に赤い光が集まっていく。間違いない。あれは火だ。


 だんだんと大きくなる火球。すぐに火は、男の拳よりも大きな塊になった。バチっ!バチっ!と音を立てながら燃えさかる火球を操りながら、魔法使いの男は笑みを浮かべる。


「炎の術式じゅつしき! 火炎弾かえんだん!」


 魔法使いの男が叫ぶと、男の手元にあった火球はオーガめがけて凄まじい速度で飛んでいった。大きな音を立ててオーガに命中する魔法。火球が命中したオーガは完全に体勢を崩した。


 そして、リーダーの男は味方が作り出してくれた、その隙を見逃さなかった。オーガがよろめいたとき、すでに男はオーガの目の前へと飛んでいたのだ。自らの身長ほど大きな大剣を振りかぶりながらオーガに向けて突っ込む男。男の口が小さく動く。


「さらばだ」


 男の剣撃けんげきがオーガの脳天のうてんへと直撃する。刹那せつな、オーガの身体は血を吹き出しながらものの見事に真っ二つとなった。


「…… すごい……」


 あまりにも華麗な連携。目の前で繰り広げられている男達の戦いを俺はただ見ていることしか出来なかった。


 血を吹き出し倒れていくオーガは、少々グロテスクと言えばグロテスクであるが、そんな事は全く気にならなかった。むしろ華麗すぎる男達の連携に俺はすっかりとりこになってしまっていたのだ。


「ね! 言ったでしょう? 大丈夫だって!」


 ナーシェと呼ばれていた女が俺に微笑ほほえみかけてきた。すっかり彼らの戦い方に魅了されていた俺は笑顔を浮かべながら彼女に言葉を返す。


「うん! 本当にすごかったよ!」


「危ないところだったな! 間に合って良かったよ! どうしてこんなところにいたんだ? ここら辺の人間か?」


 オーガとの戦いを終えた男達が、俺とナーシェの元へと近づいてくる。リーダーである男はこちらを気遣きづかうようにそう言葉をかけてきた。戦い方、そして振る舞い、見た目何を取ってもイケメンである。


「助けてくれてありがとう! お……私はイーナ! ちょうど近くの村に戻るところだったんだ!」


 つい、元の人間だった頃のくせで俺と言ってしまいそうになったところを誤魔化ごまかしながら俺は、彼らに言葉を返した。


 どうやら向こうも俺のことをただの少女だと思っているようだし、そう振る舞った方が何かと上手く行きそうだという俺のとっさの判断からそう言葉を返したのだ。


 オーガを一刀両断にするほどの実力の持ち主。間違いなくハンターか何かだろう。下手に九尾である事を名乗れば、今度はこちらが彼らの獲物になりかねない。


 まだ自らを私と呼ぶことになれていないのもあり、たどたどしい言い方しか出来なかった俺に、リーダーの男は笑いながら自らの名前を名乗ってきた。


「そうか、俺はルート。一応このパーティのリーダーをやっている。よろしくな!」


 これが九尾である俺とルートやナーシェ達人間との初めての出会いだった。

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