第2話 気がついたら美少女になっていただとか


 九尾として生きる? 突然目の前に現れた、九尾を名乗る怪しい女に、ワケの分からないことを伝えられた俺は、その言葉の意味を必死に解釈かいしゃくしていた。


 もし俺が、九尾として生きることを選んだら、一体全体どうなると言うんだろうか?


 尻尾が九本生えてくる……? とか? いやいや、流石にそれだけと言うことはないだろう。九尾と言えば、とりあえず、人智を越えた不思議な力を操る狐であるはずなのだ。まさか本当にそんな生き物がいるだなんて想像もしていなかったが…… 


「もし、九尾になったら…… すごい力とか……」


「ああ、使いこなせるようになるぞ」


 すごい力かあ、なんだか憧れる響きである。


「九尾になったらさ、魔法とか……」


「そりゃわらわの力をおぬしに与えると言うことじゃ。そのくらいわけないと言っておろう!」


 この時俺は、九尾になれると言う、怪しい女の提案にすっかり夢中になっていた。男の子ならあんな力やこんな力を使いこなして…… そんな妄想を一度や二度はしたことはあるだろう。


 いやまてまてまて! 普通に考えて、そんなうまい話などあるわけがない。


「……九尾。 俺が九尾になることで、お前は何を望むんだ? まさか、見返りもなにも無しに、そんな提案をしてくるわけが無いだろ?」


 冷静に考えろ。さっきまで謎の臓物ぞうもつを食らっていた奴だぞ。いくらフレンドリーだからと言って、こんな怪しい女の誘いにやすやすと乗ってはいけない。美女に引っかかってしまうのは、悔しいかな、男のさがとは言えど、こんな見え見えの誘い話に、乗っかってしまう俺ではないのだ。


 そそる気持ちを抑えながら、俺は女に問いかける。だが、なおも警戒を続ける俺が相当に愉快だったのか、九尾の女はかっかっかと高らかに笑っていた。


「そう警戒することはない! それに、九尾と呼ばれるのはどうも落ち着かん。わらわにはサクヤという名があるのでな。イーナ、おぬしには特別に呼びすてを許そうじゃないか!」


 サクヤ…… 確かに何処か神々こうごうしさを放つその見た目は、名前のイメージとぴったり……。


 いやいやいや、違う。俺はそんな事を知りたいのではない。俺が本当に知りたいこと。それはサクヤが何を持って、俺に九尾にならないかという提案をしてきたかことである。


「サクヤ、もう一度聞きたい。サクヤは俺に何を望んでいるんだ?」


 俺の問いかけを聞いたサクヤは、先ほどまでの怪しい表情とは異なり、何処か寂しげな笑顔を浮かべていた。まるで、何かを諦めているかのような、そんなサクヤの顔をみた俺は、何故か心が苦しくなった。


 そう、サクヤの感情が俺の心に直接刺さってくるような、そんな感覚に俺は襲われていたのだ。そして、サクヤはゆっくりと語り出した。


「わらわはもう長くない。日に日に体調が悪くなる一方でな…… だが、わらわは妖狐の長たる九尾の身じゃ。そう簡単に死ぬというわけにもいかぬ。近頃この辺りの森もきな臭いことになってきていてな…… 本当ならば、九尾であるわらわが解決しなければならないのじゃが…… もう身体も思うように動かないというのが事実。だが、おぬしの力ならば、わらわを救える。おぬしからはそんな不思議な気が伝わってくるのじゃ……」


「俺ならサクヤを救える?」


「そうじゃ! おぬしになら…… いや、きっとおぬしにしかできぬことじゃろう……」


 そう言い切ったサクヤの声からは迷いは全く感じられなかった。一体何を俺から感じ取っているのか、それはわからないが、本当にそう確信しているというのなら、それはあまりに俺を過信しすぎているに違いない。


「……サクヤ、お前の言うとおり俺は獣医師だ。動物の治療をする、それが俺の仕事だ。だけど……」

 

「だけど…… 何じゃ?」


「サクヤがどんな病状かわからないけど…… ここじゃできる事は限られてくる」


 今の俺には薬もなければ、治療道具もない、あるのは首に掛かった聴診器だけ。いくら獣医師であるからと言って、どんな病気でも治せるというわけではないのだ。今の俺にできる事なんて、たかが知れている。


「そんな事は知っておるわ。今のおぬしはか弱い人間。森の中をうろついていれば、おそらく一日も経たずにしかばねになるじゃろう。だからこそ、おぬしに九尾にならないかと聞いておるのじゃ!」 


「九尾になるといったって、そう簡単になれるもんなの?」


「わらわの力を使っておぬしに憑依ひょういする。肉体がおぬしのものであれば、わらわは死ぬことはない。おぬしはわらわの力のお陰で、まあ…… すぐにくたばることはないじゃろう! その間におぬしがわらわの治療法を見つけてくれればそれで万事解決じゃ! どうじゃ? お互いに利益がある話じゃと思うがの……? いわゆる『うぃんうぃん』というやつじゃな!」


 何とも簡単に言ってくれる。サクヤがどんな病状か、それすらもわかっていないというのに、治療法を探せとはなかなかに無謀な話である。


 だがサクヤの希望に満ちあふれた表情を見ていると、だんだんと俺の気持ちも高揚してくる。おそらくこれは、獣医師である俺にしか出来ないことだ。九尾とはいえ狐である以上、動物には変わりない。動物が困っているのに、獣医師である俺が助けてやれないでどうする。俺の中でもう答えは決まっていた。


「わかった! 俺が出来る全力は尽くす。九尾になれば、サクヤの命を救えると言うのなら…… 俺は九尾になるよ! でもその前に…… サクヤの身体のことを知りたいんだ! もしかしたら、何かサクヤの病気に関するヒントが見つかるかも知れないし!」


「わらわの身体の事を知りたいじゃと…… おぬし見かけによらず……」


 恥ずかしがるような素振りをしながらそう口にするサクヤ。慌てて俺はサクヤに弁解の言葉を返す。


「違う! 違う! 診察しんさつだよ! サクヤの身体の状態を知りたいんだ!」


「診察……? 何じゃそれは?」


「病気のヒントを得るために、身体を調べたり…… とかかなあ……」


「やはりイーナ…… おぬし…… わらわの身体を……」


「違うって! 誤解だよ! サクヤ! 」


「冗談じゃ! よろしく頼むぞイーナよ!」


 意地悪な笑みを浮かべるサクヤ。俺が思っていた九尾のイメージとはまるで異なる。まさかこんなにお茶目な奴だったとは夢にも思わなかったし……


 まあそれはそれとしてだ。俺は早速、九尾の診察を始めることにした。おそらく、誰1人として、九尾の診療なんてしたことがある獣医師はいないだろう。そりゃ俺も実際にサクヤに会うまで九尾なんてものが実在するとは夢にも思わなかったのだから。


 だが、診察をするのにあたって大きな問題がある。今のサクヤは見た目は完全に大人の女性。診察と言われても、人間の診察なんてしたことが無いし、何よりとてつもない罪悪感ざいあくかんに襲われるのだ。


「あのー とりあえず、その姿だとやりづらいので、狐に戻れませんかねえ……」


「ふむ…… 良かろう、ちょっと待つがいい」


 ポンという音と共に、先ほどまで美女の姿をしていたサクヤは狐の姿へと変化した。普通の狐よりもはるかに大きく、美しく整った白い毛並みのサクヤ。まさに妖狐という言葉がしっくりくる、そんな姿であった。とは言っても、姿は狐。俺にとっては、こちらの姿の方が慣れている分、診察がしやすい。


 そっと聴診器を当てると俺はサクヤの身体に起こっているであろう一つの異常に気がついた。心雑音しんざつおんだ。どっくんではなく、どーどーという音がする。


 そして、問診。会話が出来るぶん、いつも見ている動物より楽である。ポンという音と共に再び女の姿に戻ったサクヤに、俺は早速聞き取りを始めた。


「サクヤ、お前って一体いくつなんだ?」


「……なんじゃ? れでぃーに年齢を聞くつもりか?」


「……必要な情報なんだよ」


 そう、年齢というのは病気を推測する上で重要な情報である。若い動物に特有の病気、年老いた動物に特有の病気、病気と言ってもその特性は様々である。


「そうじゃな…… 妖狐の寿命は数百年は余裕で超えるからの…… どの位生きたのかもう覚えておらんが…… まあ、おぬしら人間に換算すると…… 10歳かそこらと言ったところかの……」


「幼女じゃん……」


「まあ、そんなところじゃ!愛でてくれても良いのじゃぞ」


「……はいはい。で、さっき食べていた謎の肉は何なんだ……?」


「あれはの、ポルという獣の肝臓じゃ。ポルはこの辺りの森に住んでいる動物での。わらわの大好物なのじゃ!」


 肝臓を食べている、心雑音という点から一つ思い当たるものがあった。おそらく、機能低下による心不全は、幼女と言うことで、可能性としては低いだろう。幼女であるとはいえ、少なくとも数十年は生きているであろうことから、生まれつき病気であるという可能性もそこまでは高くなさそうだ。まあ聴診と問診しか出来ないから精査は出来ないのだが。


「考えられるとしたら寄生虫かな……」


 九尾にも寄生虫が感染するだろうか、それは置いておいて、一つの選択肢として考えられるのは寄生虫であった。フィラリアによく病状が似ていたのだ。まあかといって、ここでこれ以上どうこうできるわけではない。診察はこのくらいで十分である。


「何となく状況はわかった! で、サクヤ。憑依って言うのはどうやってやるもんなんだ?」


「それは簡単じゃ。わらわに手を差し出せ。わらわに身をゆだねればそれで良い」


 サクヤが差しのばした手に、俺もゆっくりと手を伸ばす。手と手とが触れると同時に、俺ではない別の何かが俺の身体の中に入ってくる、そんな感覚に包まれた。なんだか懐かしいような、優しい感覚が俺を包み込んでいく。


――あとは頼んだぞ、イーナよ。


 これが、俺とサクヤとの出会いであった。そしてその時より、俺は九尾のイーナとして生きていくことになったのだ。だが、一つだけ問題があった。


 何故か俺は、女の子の姿に変わっていたのである。

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