第8話 私の新しい人生
「イーナちゃん! 可愛い! すごく似合ってますよ!」
ルカが用意してくれた、いわゆる女の子の服に着替えた俺を、相変わらずキラキラとした表情で見つめていたのは、ナーシェ。心の底から褒めてくれているのだろうが、正直俺はもう、恥ずかしいという気持ち以外、何も考えることはできなかった。インナーは、ぴったり身体にフィットして、なんだか気持ち悪いし、何よりこのスカート、脚がスースーして何とも落ち着かない。
気付けばナーシェも、先ほどの冒険者スタイルから、完全に女の子らしい可愛らしい服へと着替えていた。もし俺が、女の子だったとしたら、ナーシェの様にかわいいと、素直に感情を表現するのにも抵抗が無かったのかも知れないが、流石に俺のプライドがそれを許さなかったのだ。
「イーナちゃん! こっちに来て下さい!」
着替えを済ませたナーシェが俺を手招きする。ナーシェは、部屋の隅に置いてあった椅子に座るように促してきた。
「ここに座って! 動かないで下さいね!」
ナーシェに言われたまま、椅子へと腰掛けた俺。ナーシェの顔が近づいてくる。女の子の良い匂いが俺の
直後、頭に気持ちいい感触が伝わってくる。すっかり伸びた俺の髪を、優しくとかしてくれているようだナーシェ。それにしても、気持ちが良い…… こう、誰かに頭を触ってもらえたのなんて、小さな頃以来だし、なんだか不思議と安心するのだ。俺は目を瞑ったまま、その気持ちよさに身を任せていた。
「……イーナちゃんはせっかく可愛いんだから、もっとちゃんと身だしなみを整えないと! もったいないですよ!」
誰かに髪をとかしてもらうのってこんなに気持ちのいいものなんだ。ブラッシングをされている動物たちが
「はい! これで完成! 見てください!」
ナーシェは小さな手鏡を、俺の目の前と出してきた。鏡に映るのは、目がくりっとした、そして白い髪と黒い髪が混じっていた、人間で言うとまだ中高生くらいの美少女。男の時の、硬かったはずの髪は、柔らかく細くなっており、そしてナーシェの手によって綺麗にサイドで結ばれていた。
「これが…… 私?」
鏡に映っている美少女が、自分自身であると言うことが、俺には全く信じられなかった。試しに頬のきめ細やかな白い肌を引っ張ると、確かに自分の頬に痛みが走る。間違いない。これは俺である。
「ほら駄目ですよ、そんなに足を開いちゃ! 女の子なんだから! ルート君達が困ってしまいます!」
俺の無造作に開かれた足を見つめながら、ナーシェは優しく
そして、ふわふわの柔らかい服に包まれると、少女になってしまったんだなという実感が湧いてくる。腕も脚も、男の時とは全く異なり、細く、すぐに折れてしまいそうなほどだ。
「イーナ様! ナーシェ! 入るよ!」
突然にこんこんと扉を叩く音が部屋に響く。顔を覗かせたのはルカである。着替えた俺達の姿を見たルカは、目を輝かせながら俺達の元へと駆け寄ってきた。
「すごい! イーナ様もナーシェも可愛い! ねえ、イーナ様、その髪どうやったの!」
「ナーシェが結んでくれたんだよ」
「いいなー! ねえナーシェ! ルカもやりたい!」
「もちろんです! 今度はルカちゃんの番!」
ああ、なかなかに九尾ライフも悪くない。ナーシェとルカが笑顔で会話している様子を見ていた俺は、少しだけそう思った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「馬子にも衣装だな……」
食事の準備が整ったと呼び出された俺達。俺のすっかり変わり果てた姿を見たハインが笑いながらそう呟く。なんだかちょっと馬鹿にされた気がする。どうやらハインという男は正直物だが少々デリカシーという物が無いようである。
「どういうことさ?」
「冗談だよ! よく似合ってるぞイーナ! なあルート?」
急に話を振られたルートはというと、思わず飲んでいた飲み物を吹き出しそうになっていた。なかなかルートという男は、見た目に反して純情な男なのかも知れない。女には困らそうな見た目をしているのに、意外と女性経験は少ないのだろうか。俺に対しての返しも少しぶっきらぼうな様子だった。
「……ああ、似合ってる」
ルートがそう呟いた直後、ダイニングルームの扉が開き、ルカの父親、ルクスが顔を覗かせる。ルクスの背後には、色とりどりのできたての料理。香ばしい香りが、俺の嗅覚へと届き、空腹中枢を刺激する。次々と運ばれてくる料理に、俺は思わず魅了されてしまいそうになった。ルートやハイン達も、想像以上のもてなしに、すっかり目を輝かせて、運ばれてくる料理をじっと眺めていた。
「お待たせしました! 皆さん! レェーヴのごちそうを用意したのでぜひ楽しんでいってください!」
テーブルの上には沢山の料理が並んでいた。一体なんの肉なのかはわからないが、味はなかなかに美味い。箸が止まらない。まさか異世界にこんなに美味しい料理があるだなんて。すっかり料理に魅了されていた俺だったが、ここで俺はある間違いを犯してしまったのだ。この食べ物の正体を、ルクスに尋ねてしまうと言う間違いを。
「ねえねえ、これって何の肉なの?」
「これは、トカゲとネズミの肉ですね! ああ、あとは……」
――トカゲ!? ネズミ!?
先ほどまで美味しく食べていたはずの肉料理、箸が止まらなかったはずの肉料理。だが、俺の浅はかな質問によって、色鮮やかに見えていた光景が、一瞬にして全く別のものへと変わってしまった。感じていた味が一気に変わってしまった。腹の奥底から気持ち悪さに似た物がわき上がってくる。駄目だ、耐えろ俺。
周りを見渡すと、先ほどまでがつがつと料理を食らっていたルート達の箸も、ぴったりと止まったようだ。ナーシェに至っては、もう顔の表情で何を思っているのか丸わかりである。だが、そんな俺達の様子を気にすることなく、ルクスは満面の笑顔を浮かべ、俺達に食べるよう催促する。
「さあ、どんどん用意してますので! 是非ともお召し上がりください! ほらほら、イーナ様!」
ルクスやルカの屈託のない笑みを前に、俺はもちろんのこと、ルートやナーシェ達もまた、断ることは出来なかったのだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ネズミなんて食べたの初めてだよ……」
「私もです……」
何とか気持ち悪さをこらえながら、俺とナーシェは寝室へとたどり着いた。ベッドに転がりながら、何とかお腹を落ち着かせる。峠は何とか越えたようだ。気持ち悪さが落ち着いてきた俺だったが、今度は急に不安にも似た感情が押し寄せてきた。
この世界は一体なんなのか。そして今後俺はどうなるのか。急にサクヤに九尾になれだなんて言われ、あんまり考えずにOKをしたものの、現状、俺はこの世界について何も知らなければ、皆に助けてもらうことしか出来ない、『ただの足手まとい』。
今の俺に何が出来るのか。そんなことは問いかけるまでもない。今の俺は1人では何も出来ない、ただのか弱い少女でしかないのだ。
このままじゃ、九尾を救うどころか、自分の身一つすら満足に守ることが出来ない。この世界で生きぬいていくということすらも、間違いなく俺にとっては『高すぎるハードル』である。
そう思うと、何かをしなければならないと言った焦りから、俺の心の中でどんどんと不安が大きくなる。先ほどの気持ち悪さとはまた異なった、不安に押しつぶされてしまいそうな気持ち悪さが俺を襲う。怖い。寂しい。そんな感情が渦を巻く。今までこんな不安定な心理状態になったことなどなかった。それが、より一層、不安としてのしかかってくる。
「ねえ…… ナーシェ、起きてる?」
「なんですかイーナちゃん?」
暗闇の中、静かに問いかけに答えてくれたナーシェ。もう1人で暗闇の中にいると言うことが、限界だった。
「……ごめん、そっちに行っても良い?」
「良いですよ」
ナーシェも、俺に何か異常が起こっていると、声や雰囲気から察してくれたのだろう。ナーシェのベッドに向かった俺を、ただ優しく受け入れてくれた。そして、ナーシェと同じ布団に入ると、ナーシェは優しく俺を抱きしめてくれた。
ナーシェの温もりを肌で感じた俺は、もう我慢の限界だった。目から一気に涙が溢れてくる。情けない。大の大人になって、こんなに泣くことになるとは夢にも思わなかった。少女の身体になったせいか、感情が制御出来ない。内側から感情に身体を支配されているような感覚。それがより一層俺にとって怖かったのだ。
「大丈夫ですよ、イーナちゃんは九尾だったとしても、まだこんなに小さい女の子なんですから……」
――違う。俺はもう大の大人だ。少女なんかじゃない。
「泣きたいときは泣けば良いんですよ。気が済むまで」
止まらない涙。ナーシェの身体に顔を埋めながら、しばらくの間俺はナーシェの優しさに包まれていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ねえ、ナーシェ……」
ナーシェの温もりに包まれたお陰か、はたまた泣き疲れたお陰か、大分精神状態が安定してきた俺は、再びナーシェへと問いかけた。
「なんですか? イーナちゃん」
もう、不安に押しつぶされることはない。結局、俺がやらなければならない事は明確だ。それを達成するために俺が何をすべきか。不安を吐き出した今、俺の頭の中は自分でも驚くほどにスッキリとしていた。
「私…… もっとこの世界について知りたい。もっと、誰かの役に立てるようになりたい。だから、ナーシェ達のあの魔法の力、私に教えて欲しい!」
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