第4話  本当に冗談めいた夢のような話


――それでサクヤ? お前が言っていた解決しなければならない問題って何なんだ?


 九尾の少女になったのはいいが、見知らぬ世界で俺は行く当てもない。最終的にはサクヤの病気を治すための手段を探すという大きな目的があるとはいえ、それもそんなすぐにどうこうすると言うような話でもないのだ。そして、俺には一つ気になっていたことがあった。サクヤが言っていた『きな臭い』という言葉だ。わざわざ九尾であるサクヤが、見ず知らずの人間である俺に縋ってまで、命を助けてほしいと言うくらいだから、きっとそれなりの事情があるはずなのだ。


 そして、俺がそうサクヤに問いかけた矢先、ルカが相変わらず眩しい笑顔を浮かべて俺にある提案をしてきたのだ。


「イーナ様! せっかくだからルカ達の里にこない? イーナ様のこと皆にも紹介したい!」


――そうじゃな、詳しくは里に着いてから、ゆっくり話すことにしよう。まずは、安全な場所…… 妖狐の里ならば、おぬしもゆっくりくつろぐことも出来るじゃろう!イーナよ、妖狐の里に向かうがよい!


 妖狐の里……? 聞いたことのない地名につい戸惑ってしまった俺に、サクヤが語りかけてくる。


――妖狐の里は、わらわ達、妖狐の一族が住む里じゃ。


 狐たちの住む里。なんと魅力的な響きなのだろう。名前からしてもうモフモフが止まらない。きっと、右を見れば狐。左を見れば狐。これは動物好きの俺にとっては、まさに天国のような場所に違いない。


「よし! 妖狐の里に向かおう!」


「向かおー!」


 張り切る俺の声に合わせるように、ルカも声を上げる。それにしても、ルカはなんて可愛らしい生き物なのだろうか。本当に…… サクヤがいなかったら、耐えきれずルカをモフモフしてしまっていたかも知れない。


――なんじゃ、急に気合いが入りおったな……


 あきれるように語りかけてくるサクヤ。だが今の俺を止められるものは誰もいない。俺はもう妖狐の里に行きたくてたまらないのだから。


「そりゃあもう、狐さん達に是非とも挨拶をしないとね!」


――調子のいい奴め


 サクヤと出会った洞窟を出た俺達は、ルカの案内に従って、妖狐の里があるという方向に向けて歩き出した。どんどんと進んでいくルカに対して、まだ新しい身体の感覚に慣れていなかった俺は何とかルカについていくので精一杯。


 新しい『イーナ』の身体は、若返ったためか、はたまた九尾になった為か、前の『俺』だったときの身体に比べて、幾分いくぶん疲れない身体であったが、いかんせん体が縮んでしまったことで、普通に歩くという、ただそれだけの事に非常に気を遣う。


「イーナ様大丈夫? 疲れてない?」


 時々振り返るように立ち止まり、俺が追いつくのを待ってくれたルカ。少し小高い丘の近くまで来たときに、ルカは俺にそう問いかけてきた。


「大丈夫だよ! ありがとうルカ! ところで、妖狐の里ってあとどの位でつくの?」


「うーん…… 後30分くらいかなあ?」


 30分か…… このまま歩き続けても全然余裕な距離ではありそうだが、いかんせんこの身体はまだ気を遣う部分が多い。そんな俺の様子を見かねてか、サクヤが俺達に一旦休憩をとらないかという提案をしてきた。


――イーナよ、まだ九尾の身体には慣れていないじゃろ。少し休むが良い。おぬしの身体はわらわの身体。大事にしなければわらわが困るのじゃ。


 それもそうだ。いわば今の俺はサクヤと一心同体。俺の身に何かがあれば、それはすなわちサクヤの身に何かがあると言うことなのだ。早く妖狐の里に向かいたい気持ちを抑えつつ、俺は一度休憩をとるという判断に至った。


「そうだね、ちょっとだけ休もうか!」


「うん!」


 少し開けた丘の上、ぽつんとたたずむ木の陰に、ふうと腰をおろした。俺のすぐとなりに、ちょこんと座ってくるルカ。こちらの様子を伺いながら、ニコニコとした表情でルカが口を開く。


「ねえねえ、イーナ様はどうしてここに来たの! イーナ様って人間でしょ?」」


 どうしてと聞かれてもわからないとしか答えようがない。気が付けば、俺は『ここ』にいたのだから。そもそもここが何処かすらわからない。俺にわかっていたことは、『ここ』がかつて俺の生きていた世界とは違う世界であると言うことだけである。


「ごめん、俺もわからないんだ。そもそも『ここ』がどこであるのかもわからない。気が付いたら『ここ』で俺は目を覚ましたんだ」


「うーん……」


 難しそうな表情を浮かべながら一生懸命何かを考えているルカ。そしてすぐに何かを閃いたかのように、ルカの顔は、ぱあっと明るい表情へと変わった。


「きっと、九尾様がイーナ様をここに呼んだんだよ!」


――む、そうなのか? わらわにそんな力が……?


 もしサクヤの言う九尾の力とやらがあるのなら、そんな事があっても不思議ではない。現に俺はこうして女の子の姿へと変わっているのだから。だが、今のサクヤの反応から見ると、どうやら違うようだ。この際、俺がどうしてここに来たのかはどうでもいい話である。重要なのは俺はこれからどうすれば良いかという話だ。


「ルカは妖狐の一族なんでしょ? どうして人間の事を知っているの? もしかして近くに人間の住む場所があったり……?」


「私もあんまり人間は見たことがないんだ! でもたまに妖狐の里の近くに来てるときはあって…… こんなふうに人間と直接お話したのはイーナ様が初めてだよ!」


 確かにこの世界にも人と呼ばれる生き物はいるようである。サクヤの治療をするとは言ったが、どうしたものかと頭を悩ませていた俺にとっては少しだけ希望が見えてきた。この世界の人間がどの程度の文明を築いているのか、それはまだわからないが、少なくとも医学と呼ばれる学問はあるだろう。そして近い将来、おそらく俺は、サクヤの治療法を見つけるために、そこに行かなければならないのだ。

 

 まあ、とは言ってもだ。まずは妖狐の里へ向かうのが先決である。このまま日が暮れでもして、こんな森の中で野宿というのでは洒落にならない。妖狐やらなんやらファンタジーな生き物がいるこの世界ならば、ドラゴンや悪魔のような……


 そう、この時俺は、すっかり頭から抜け落ちていた重要な事に気が付いた。おそるおそる俺は、サクヤとルカに確認してみたのだ。


「……あのさ、なんかさ凶悪なモンスターとか…… そういうのとか、やっぱりいたり……?」


――ふむ、まさにそれこそがわらわが解決しなければならない問題。まだ里についてはおらぬが……ちょうど良い機会じゃ。イーナ、この森にはなわらわ達妖狐の一族以外にもいろんな生物が住んでいる。その中でも森を荒らす凶暴な一族…… それが『鬼』じゃ。


「鬼!? んなもんいるの!?」


「そうだよ! それに最近は九尾様の力が弱っているせいか、凶暴になってきていて…… 里の皆も困っていたんだ!」


――本来のわらわの力ならば、鬼なんぞさほど脅威にもなるまいよ。じゃが、わらわも今やこんな有様。そこでおぬしの力が必要だったというわけだ。


 なるほど、妖狐の族長であるサクヤが、今死ぬわけにはいかないと言った理由もそれならば納得できる。


 それにしてもだ。鬼なんて名前からしてもう恐ろしい見た目をしているに違いない。なんとか妖狐の里までたどり着く前に出会わないことを祈るばかりである。まだ足取りもおぼつかないこの身体では、出会ったが最後。即お陀仏だぶつになる未来が見える。


「大丈夫だよ! イーナ様! 鬼がいるって言っても、森の奥からそんなにでてくるわけじゃないからね! ただ…… どうしても、森に食べ物を集めに行ったりしなきゃいけないから……」


――ずいぶん前に、わらわが痛い目に合わせてやったからな! それっきり妖狐の里まで近寄ってくることもなくなったのじゃ! かっかっか!


「なあ、鬼ってどんな見た目をしてるんだ……? やっぱり角とか生えてる?」


「そうだなあ……」 


 ルカは鬼の姿を想像しながら一生懸命どう説明すればわかりやすいか考えていたようだ。そして何かを閃いたかのように突然ルカの表情が明るくなった。俺の背後の方を指し示すようにルカが手を上げる。


「あ! 見て! イーナ様! ちょうどあんな感じで! 大きくて、でっかい棍棒こんぼうを持っててね!」


 ルカの指し示した先。そこには確かに巨体で、棍棒のような大きな枝を持っていた生き物が周囲をきょろきょろと眺めていた。百聞ひゃくぶん一見いっけんにしかずとはこのことである。見ればまさに一目で鬼だとわかるその巨体。こちらの様子に気が付いたのだろうか、その生き物と目が合った瞬間に、そいつはゆっくりとこちらに向かって歩み始めたのだ。


「なるほど…… あんな感じなん…… だ……!?」


 ってそんな悠長に眺めている場合ではない。やばい、明らかに敵意むき出しの鬼がこちらに近づいてきている。これはやばい。本気でやばい。なんか鼻息が荒いし、こちらを威嚇いかくするように持っている大きな木の武器をブンブンと振り回しながらこちらへと近づいてきている。


「ねえルカさん? これどうしよう?」


 ルカの方を見ると、ルカも先ほどの笑顔はどこへやら、すっかり真顔のまま、こちらに向かってくる鬼を呆然と眺めていた。ワンテンポ遅れた後に、ゆっくりと俺の方を向いたルカは一言呟いた。


「イーナ様…… あのね! 逃げよう!」

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