行きはよいよい帰りはこわい
シメ
みつけた
私がアレを見つけてしまったのはついこないだのことだった。
*
まだ住宅街のそばに田んぼや畑がちらほらあるような地方都市の隅っこ。私はそんなところに住んでいた。ここは都心とかに比べるとほとんど田舎だ。
そんな土地で私は地域にある中学校に通っていた。
通学路の関係で、私はいつも一人でさみしく帰っていた。残念なことに友達はみんな私と反対側の地域に住んでいるのだ。
かといって治安が悪い道を通るわけでもないので、あまり不安視はしていなかった。外灯もついてるし、家しかない住宅街を通るルートだったからだ。軽やかに自転車を走らせるだけで安全に帰れる。友達以外なら同じ道を通る同じ学校の生徒もまあまあいる。
実際、今までに不審者の一人すら見たこともない。念のためにとスマホで調べてみても、特に過去にそういった事案があったという話は出てこなかった。だから部活で多少帰りが遅くなっても、私自身は気にすることはほとんどなかった。お母さんは少し不安がってたけど。
部活で帰宅時間が遅くなった日のことだった。
クラスメイトと別れを告げあったあと、私は勉強道具がギッシリ入ったリュックをカゴに入れて自転車を走らせていた。あたりはすっかり夕闇に包まれていたが、道は外灯と家々から漏れる光のおかげでほんのり明るかった。至っていつも通りの帰り道だった。
今日は帰ったらあの動画見ながら課題しようかな。そんなことを思ったときのことだった。
とある十字路を通り過ぎたとき、背後に何かぞっとする気配を感じた。見つめられているような、睨まれているような、そんな気配だった。
自転車のスピードを落として振り返ると、視界の隅に黒い何かがよぎった。やたら大きくて、やたら黒かった。それはのっそりと十字路を曲がっていったように見えた。
気になった私は自転車をUターンさせ、それがあるはずの道に入った。
だが、そこには何もなかったし、誰もいなかった。黒っぽい水のようなものの跡があるだけだった。跡は道の向こう側に続いていた。
水の跡からはドブのようなどんよりとした腐った臭いがした。鼻の中に入るだけで不快感だけが醸し出されるほど不快な臭いだった。
そのキツさのあまり、えずきながら私は慌てていつもの帰り道に逃げた。すれ違いざまに同じ学校の生徒が自転車で駆けていった。
私は全力で自転車を漕ぎ続けた。幸いなことにそこから先の帰り道ではなんともなかった。風を切って走っていると鼻の中の不快感もすぐに解消された。
きっと誰かが変なゴミを捨てた跡だろう。その時の私はそう考えて終わらせてしまった。それが良くなかったのかもしれない。
恐ろしいことに、その次の日も帰り道で気配を感じた。やはり同じ十字路を通り過ぎた時のことだった。不思議なことに登校時に同じところを通っても何も感じることはなかった。
気にしすぎだから、気のせいだからと自分に言い聞かせてペダルを漕ぐスピードを上げた。視界の隅に黒いものが映る。
だが、襲われたり取り憑かれたりなど恐ろしい目に遭うこともなく無事に帰宅できた。私はホッとして家の玄関で脱力した。
だが、そのまた次の日も、その次の日も同じ十字路で気配を感じた。
そして、それは少しずつこちらに近づいてきているような気がした。
それから私は帰り道を変えるようになった。帰り道を変えてからは気配を感じることはなくなった。少し遠回りになるけど仕方ないと自分に言い聞かせた。
*
そういうわけで、今は別の道から家に帰ることにしている。こっちの道を通り始めて一週間経つが、至って平和だった。
新しい帰り道はずいぶん人気の少ないところだった。夜は時たま点滅する古い外灯だけが道を照らしていた。そばには寄り道できるようなところもなくて、本当に通るだけの道だった。
左手側は竹林で、右手側は畑。住宅街を通る道とは全然雰囲気が違った。明るい時間なら畑に人がいることもあるけど、夕方をすぎるとほとんど誰もいない。栄えてないからか、回り道になるからか、何故か車や自転車もあまり通らない道だった。そのせいかこの道を通るときはあっちの道よりもいつも一人きりだった。
手入れをされていない竹林を見ながら、こっちの方がオバケにお似合いだななどと考えながら自転車で帰る。一週間も何事もなく過ごせていて気持ちに余裕ができてきたので、そんなことも考えられるようになっていた。
ここにいるのはカラスと虫、あとは小動物ぐらい。とても田舎らしい雰囲気だ。
ぼんやりと自然を堪能しながら自転車を走らせていると、不意に竹林の中に黒いものが見えた。
私は思わず急ブレーキをかけて止まってしまう。そんな、まさか。
竹林の少し奥を見ると、汚泥?ヘドロ?にまみれたボサボサ頭の女性がいた。汚れているから確証はないが、多分真っ白なデートに来ていくようなかわいいワンピースを着ている。下を向いている上に泥のようなもので汚れすぎていて、それ以上のことはわからなかった。胸のあたりまである女性の髪の毛からぴちゃりぴちゃりと泥が落ちる。
私は改めて自転車で帰ろうとしたが、良心がそれを思いとどまらせた。
もしかしたら、もしかしたらだけど、畑や田んぼに落ちただけかもしれない。それならドロドロにもなるはず。私も幼い頃に一度やったことがある。早く洗い流さないと泥が固まって大変なことになるのだ。
勇気を出して、自転車にまたがったまま声をかけることにした。
「大丈夫ですかー?」
人間だったら大変だし、オバケなんていないし、という気持ちから私は女性に声をかけた。でもなんで竹林の中にいるのだろう。
そう考えた瞬間、女性は顔を上げた。
泥まみれの長い髪の隙間からしか見えなかったのに、何故かどんな顔かすぐに分かってしまった。
縫い付けられたまぶたと口、そして鼻だったらしき穴しかなかった。
「きづいて くれ た」
口が開かないから聞こえるはずのない声がやたらハッキリと聞こえた。
「みつけ て くれ た」
耳障りで、不快で、気持ち悪くて、吐き気を催すような、やたら甲高い声。でも聞いていると悲しくて涙が出てきそうになる声でもあった。
女性――いやアレはぴちゃり、ぴちゃりと泥にまみれた足の音を立てながらゆっくりとこちらへ向かってくる。ギチギチに生えている竹を無視しているかのように、まっすぐこちらへ。
私はあまりの恐怖に悲鳴も出なかった。ただ、立ち尽くしていた。あの吐き気を催す臭いが近づく。自転車のハンドルを握る手から汗が溢れてくる。
遠くでカラスが鳴いた。
それを機に私は正気を取り戻した。そして自転車で闇雲に走り出した。
とにかく
そんなことを考えながら一目散に私は学校へと自転車を走らせた。
ぞくぞくする気配を感じ、後ろを見た。ゆっくりだけど、アレがついてきていた。一目見ただけで全身に鳥肌が立つ。泥の臭いもする。アレはぴちゃりぴちゃりと泥の跡を地面に残しながら追いかけてくる。ゆっくり動いているのに何故か私と距離は離れない。
私は漕ぐ速度を上げた。ぴちゃりぴちゃりという音は少し遠ざかった気がした。
学校が見えてきた。だいぶ暗いけど、まだ野球部が練習しているようでグラウンドに明かりがついている。職員室やいくつかの教室にも明かりが灯っていた。それを見て少し安心した。
私は自転車を乱雑に自転車置き場に押し込み、校内へ向かう。吹奏楽部の演奏も聞こえてくる。
しかし、下駄箱で友達と鉢合わせてしまった。
「どしたの? そんなに慌てて」
クラスメイトのその子は私の顔を見て不思議そうな顔をした。
「えっと……課題持って帰るの忘れちゃってて!」
そんなことをしている場合じゃないのに、作り笑いでごまかした。しかし作り笑いはすぐ壊れた。
泥の臭いがした。苦しさと悲しみがこみ上げてくる。
「また あえた ね」
友達の後ろにアレがいた。私は驚きと恐怖のあまり声を出して腰を抜かした。
「大丈夫?」
いきなりへたりこんだ私に友達が駆け寄ってくれるが、私はただ歯をガチガチと鳴らして怯えることしかできない。
「そっちに何かあるの?」
私の視線の先を見つめる友達は首を傾げていた。奇妙なことに友達にはアレが見えてないようだった。
友達の方にアレは近づいていく。
「みえない ひと は」
アレは友達に泥が付きそうなほど顔を近づけた。
「いらな い」
アレはぴちゃりぴちゃりと湿った音を鳴らしながら何故か私から――いや友達から離れていった。安堵のあまり、私は大きくため息をつく。
地面には黒っぽい跡が残っていた。しかし友達には見えないようだった。もちろん、臭いも。
「本当に大丈夫? 保健室連れて行こうか?」
友達は私のそばに駆け寄ってくれた。
自分以外を巻き込んでしまったが、一つだけ明確な対処法が見つかったのは良かった。
他の人がいるなら狙われない。
きっとそれがアレが人を襲うときのルールなんだろう。
それなら保健室に行くのも手だ。アレに襲われないためなら、どんな手だって使うしかない。
私は友達と一緒に保健室に行くことにした。
保健室の先生は私の顔を見て「まあひどい」と言った。よっぽど疲れ果てた顔をしていたらしい。
「体調が悪そうだし、親御さんに来てもらいましょうね」
先生は電話で担任にその旨を伝え、親が来るまではここで休みなさいと言ってくれた。
「じゃ、お大事にね」
友達はもうすぐ塾の時間らしく、せわしなく帰っていった。申し訳ないことをした。明日謝ろう。
電話し終わった先生は落ち着かせるためにか紅茶を飲ませてくれた。特に好きでもないはずなのに、今日はやたらと美味しく感じた。
「少しは落ち着いた?」
「はい」
そのまま、私は保健の先生と雑談をした。他愛のない話ばかりだったが、日常に戻るとただ白昼夢を見ていただけという気さえしてくる。
保健室の電話が鳴った。先生は受話器を取りしばらく話をしていたが、電話が終わった途端に書類を集めて部屋を出る支度をしはじめた。
「申し訳ないけど、少しだけ席を外すね」
すぐ戻ってくるから、と付け足して先生は保健室から出ていった。
ひとりになってしまった。
そう思った瞬間、背後に気配を感じた。そして泥の臭い。
「また みつけ た」
アレが保健室に入ってきた。
私は慌てて保健室から出て、誰か人のいる部屋を探した。しかし近くには人はいなさそうだった。そのせいで来てしまったのか。
「まって よ」
人気のない廊下を駆け抜ける。私の頭には逃げることしかなかった。何となくだけど、アレには捕まってはいけない。ずっとそんな気がしていた。
私は明かりのついた教室に飛び込んだ。しかしそこには誰もいなかった。
入ってしまったものは仕方ない。どこかに隠れないと。はあはあと息を上げながら教室を見回す。
ふと教室の隅にある掃除用具入れが目に入った。あそこならさすがに見つかりっこないだろう。
音を鳴らさないようにやさしく開き、掃除用具を体で押し込めながら中に入る。そして扉を閉めた。
雑巾のホコリや腐りかけた臭いに包まれた密室。私は咳き込みかけ慌てて手で口を覆う。我慢だ。これを乗り越えたら終わりなんだ。それにアレの臭いに比べたら全然マシだ。
扉の上部にある穴からそっと教室の様子をうかがう。今のところは異状なし。あの足音もしない。
この調子ならきっとヤツも見つけられないだろう。そもそもどの教室に逃げ込んだのかすら分からないはず。
だが、そんな期待はあの音で破られた。
ぴちゃり。
そんな。そんなバカな。
ぴちゃり。ぴちゃり。
未だに聞き慣れないあの音が聞こえる。ふらふらと教室を歩き回って私を探しているようだ。きっと隠れられる場所の全てを探しているんだろう。
扉の隙間から覗くと見つかる気がして、私は強く目をつぶって耐えていた。吐き気を催す泥の臭いをより強く感じる。
足音はしばらく聞こえていたが、何故か急に止まった。
ヤバい。
私は両手で口を押さえ、吐息も漏れないように息を殺す。あまりの恐怖からか涙が止まらなくなってきた。
ぴちゃり。
あの湿った足音は掃除用具入れに向かっている。
ぴちゃり。
一歩一歩確実に。
ぴちゃり。
自分の鼓動の音が脳で響き渡る。
ぴちゃり。
目の前に来た。
だが、アレはそれ以上何かをするわけでもなかった。
しばらく何の音も聞こえなかった。でも、ここにいるのが分かった上であえて待ち受けてるだけかもしれない。
少し悩み、心の中でゆっくり百数えてから私は隙間から外を覗くことにした。
いーち。にー。さーん。しー。ごー……。
数えていると、混乱と恐怖と悲しみに包まれてた気持ちも少し楽になっていった。
よんじゅうはちー。よんじゅうきゅうー……。
ほんの少しの安心のせいか、頬に涙が伝った。
きゅうじゅうはちー。きゅうじゅうきゅうー。
ひゃく。
私は穴から外を覗いた。
いない。
見える範囲にはアレはいなかった。足音もしてないから移動もできないはずのに。
もしかして、アレの行動に制限時間があったとか。怖い話だと「朝まで耐えると消えていた」なんてのもよくあるし。
それなら怖がって損したなあと思いつつ、私は腕で涙を拭って掃除用具入れの扉を開けようとした。
だが、開かない。何度開けようとしても外から溶接されたかのように全く開かない。
「うしろ に いる よ」
とにかく不快な声が耳元に響いた。腐った泥の臭いが立ち込める。
そんなまさか。
「ずっと みてた よ」
左を向くと、ヘドロにまみれた黒髪の女性のようなものがいた。壁とかホウキとか、とにかく障害物になるものは全部無視されていた。
私の目から涙が溢れた。
「こうたい しよう ね」
そう言ってアレはヘドロで私を包み込んだ。苦しみが身体に染み渡っていく。アレ――女性がされたことが脳裏に浮かんで離れなくなった。
かなしい。つらい。くるしい。
身体は、動かない。
「みつけて くれ て ありがとう」
女性の笑顔が遠くで見えた。
***
「あの子、結局見つからなかったんだよね」
「そうそう。でもその子の通学路を調査してたら、唐突に他の殺人事件の死体が見つかったんだって」
「それって鼻切って目と口縫ってたってやつだっけ? なんだかオカルト」
「あそこ人通らない道だから、そういうこと起きやすいのかもね。で明日のカラオケだけどさ――」
(だれ か みつけ て)
わたしは どろにまみれて まってる よ
行きはよいよい帰りはこわい シメ @koihakoihakoi
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