シンプルにとても上手いです。書簡形式が非常に合うお話で、じわじわと忍び寄ってくる不穏さの演出が巧みであり、最終話ではぐるっとひっくり返される感じが堪りません。締めの一文には切なくもなり、客体でしか表現されていなかったはずのおばあちゃんの涙が見えるかのようでした。
ホラーミステリの読み口です。ジュージさんは伏線回収や転調のタイミングが本当に巧みで、えびす神社も言わずもがなでした。こういうの書きたいんだけど書けないんだよなー! と一人で悔しがってしまいましたね……。
日本神話(古事記)に絡めてくる手腕にも唸りました。なるほどえびす神社……と驚き背筋が寒くなると同時に思わずにやついてしまいました。情報の管理が本当にお上手です、ホラーでぞっとすることが少ないのですが開示の瞬間の粟立ちは本物でした。これはすごいです。
代償を支払ってでも叶えたい祈りというものもまた存在するんですよね。これが愛ゆえの業です。人間が人間たる所以かと思います。おばあちゃんの「信仰」は罪だったかもしれません。それをおばあちゃんもわかっているからこそ、絶対に中を開けるなと言ったのでしょう。
構成の上手さとともに、愛を多段に感じるお話でした。
この物語に描かれる因習はそれ自体恐ろしいのですが、何より恐ろしいのは、書き手の祖母に対する眼差しです。
風習への嫌悪感が、祖母への嫌悪感(自身の罪悪感もあるでしょう)となり、文面に滲み出ているような印象を受けました。「あなた」と呼んだり、もう長くないと本人に言ったりするのは、孫と祖母の関係としては異様に思われるからです。
そして、手紙の最後に頼んだ内容は、お願いというより呪いに近いのではないかと思いました。おばあちゃんが「死んだらお化けになって会いに来る」と約束したのは、孫に寂しい思いをさせたくないという愛情ゆえと推測します。山内さんの嫁を傷つけたのも、孫への愛が理由です。
その祖母に対して、自分たちの信仰は罪深いものなのだと突きつけます。祖母と孫という愛情で結ばれた関係ではなく、共犯関係であることを認識させるのです。死してなお罪を忘れさせないという態度で祖母に向き合う書き手が、とても恐ろしいと感じました。
戦々恐々としながらも、文字を追う目が止まらない、そんな面白い小説でした。
夜空に光る星で星座を作るとき、その星座は意図的で、無理のある組み合わせもあるけれど、一度そう見ることにすればそれで決まる。理由もなく、そう決まる。
しかしその星座の中に、無視できないほど強く輝く新しい星が現れてしまったら?
主人公はどれだけの苦悩をもってこの手紙を書いたのか。祖母が嫌がるであろう話をあえて書いて送る時の気持ち、しかしこの話は祖母にこそするべきものであり、その唯一語るべき相手の祖母にも、時間はあまり残されていない。
他の方のレビューでも、「主人公の信仰とはまさに手紙の最後を締める一言ではないか」というご指摘がありましたが、私も全くそう思います。私なりに付け加えて言えば、主人公の最後の一言は、ただの本心に思えない。祖母に聞かなければいけない話だけれど、もうすぐ死を迎える祖母にそんな話をわざわざするのか、いやそれでもこの疑念はこのままにしておけない、いやしかし…。そういった逡巡の後に持ち出した一つの願い。そして、一種の免罪符のようにつけた最後の言葉。それは祖母が主人公を愛していたという、その一点においては祖母の行為が赦される、そしてこの私も……。そんな淡い期待が見え隠れしたような手紙の締めくくり。これほど苦しんでも、彼女は「手放すことができない」。
信仰の両面の姿を見せられました。素晴らしい作品です。
不具の子とそれに纏わる因習を下地にしながら迷信と惨事がリンクしそうなところを描いている。
主人公はある種の探偵役であるが犯人役となる他の登場人物は誰一人言葉を持たない。一人だけの推理劇に真実の自供はなく、状況証拠が抱かせる不穏だけが最後まで鳴り響いている。
実際のところお守りの正体や祖母の振舞いに主人公の孫が想像するような不安があったのかは分からない。ただそれによって主人公自身が救われたのではないかといった考えに至る中でテーマとなる信仰が生きてくる。
神話的要素や神社の存在といった分かりやすい関連項目に目が行きがちだが、主人公の信仰とはまさに手紙の最後を締める一言ではないかと思える。疑いはある。罪の意識も生まれた。それでも確かなものとして信じれるはひとりの人間として受け止めてきた愛だったのではないか。