私だけが愛してあげる。

聖願心理

愛の形の話

 私の体は、だ。

 決して、鈍臭いから転んだり、ぶつけたりして、傷や痣ができるわけではない。



 ――――そういう病気なのだ。



 多分、病気のはずだ。俗に言う、奇病。

 何の前触れもなく、体に傷や痣ができる。その傷は普通に治る。けれど、それを上回る速度で、体に傷がつく。だから、私の体から傷や痣は消えることはない。

 原因はわかっていない。そもそも、こんな病気を患っている人に出会ったことがない。

 物心がついたときから、こんな奇病と付き合ってきたので、もうすっかり慣れてしまった。包帯や絆創膏とは、一番付き合いの長いお友達だ。



 ●



 朝のホームルームが始まる前の、騒がしいような、怠いような、不思議な空気を纏っている教室で、なんとなくぼうっとしていると、起きろと言わんばかりにちくりと痛みを感じた。


「……いたっ」


 また、何処かに傷ができた。

 痛みを感じた右頬を撫でると、指先に血がついた。


 ……顔はやめてほしいんだけどなぁ。


「おはよう、かすみちゃん。って、頬から血が出てるよ?! 大丈夫?」

「あ。おはよう、ソナタ」


 血が頬を撫でるように伝っていくのを感じていると、友人のソナタが声をかけてくる。


「呑気に返事をしてるけど、その、痛くないの、傷……」

「うん。傷ができる瞬間は痛いんだけど、それ以外は特に。痛みに慣れちゃったんだと思う」


 毎日毎日、傷や痣ができる体だ。多少、痛みに鈍くなっても不思議ではない。むしろ当然のことだ。


「でも、見るからに痛そうだよぅ。結構、深いよ……」

「本当に? 自分じゃ見えないところだから、わからないんだよね」

「そんな呑気にしてないで、早く手当てしよう? 制服も汚れちゃうし、傷からばい菌入っちゃうかもしれないし、それにそれに……」

「私よりソナタが慌ててどうするのさ。だいじょーぶ。慣れてるから」


 ソナタがこれ以上不安がるといけないので、私は傷口から垂れてきた血をティッシュで拭い、真新しいガーゼで傷口を押さえる。軽く消毒をして、大きめの絆創膏を貼り付けて終わり。


「ほら、ね? あっという間だったでしょ?」

「だけど、やっぱり痛そうだよぅ」

「このくらいの傷、まだ軽い方だって」

「ひええええ」


 ソナタは涙目になって、「霞ちゃんはやっぱりすごいね」と言ってくる。

 ソナタと仲良くなって、もうすぐ1年。そろそろ慣れてほしいなぁ、と密かに思うものの、奇妙な病気を持つ私と親しくしてくれるだけで、ありがたいと感じているから、口には出さない。


「おはよう、霞とソナタ」

「あ、おはよ」

「ソナタのその顔を見るに、また傷でもできたの?」


 声をかけてきた友人・ゆきが、目に涙をためて、おろおろとしているソナタを見て、言う。


「そうそう。頬のところに、ぱっくりと」

「顔に傷ができるとか、迷惑極まりない病気だね」

「本当、顔はやめてほしいんだよ」


「困ったもんだよ」と、大袈裟にため息を吐くと、「大変ですねぇ」と、冗談めかして雪は返してくる。


「それにしても、ソナタ。もうそろそろ、霞の傷に慣れようよ」

「慣れるなんて、無理だよぅ。だって、痛そうなんだもん」

「ソナタが痛がってくれるから、私は痛みを感じないんだよね」

「もうっ。そういう冗談、やめてよぅ」


 ソナタがますます涙目になるので、「ごめんごめん」と軽く謝る。


 何もしていないのに体の至るところに傷や痣ができる奇妙な病気を患っているに、事情を知っている人は、気味悪がったり、同情したりしないで、普通に接してくれる。

 それがとても嬉しくて、幸せだと思うのだ。




 ●



 昼休み、私はソナタと雪と弁当を食べている時だった。


「園田さん、ちょっといいかな」

「佐藤くん、どうしたの?」


 園田、というのは私の苗字だ。


「その、ここでは話づらくて」


 言い淀む佐藤くんを見て、私は首を傾げる。


「もしかして、告白かなぁ?」


 場を和ませるためか、雪がそんな冗談を言う。


 ……冗談だと思ったんだけど、図星だと言わんばかりに、佐藤くんの顔が赤く染まる。


「えっ」


 佐藤くんの真っ赤な顔に反応して、思わず声が出てしまった。

 佐藤くんもなんと切り出していいのかわからなくて迷っているようだし、だからと言って私が何か気の利いた言葉をかけられるかといえば、否だ。

 なんとなく気まずくなってしまって、互いに互いを探るような雰囲気ができてしまった。


 そんな静寂を打ち破ったのは、ソナタだった。


「佐藤くん、それ本当なの?」

「えーと……」


 佐藤くんが何かを答えようとした時だった。


「……っ!」


 傷ができる痛みが襲ってきた。額から、血が垂れる感覚がする。


「ちょっと待って。霞、おでこ切れてる。血が出てるよ」


 雪がいうのと同時に、ぽたりと血が垂れて、スカートに落ちる。


「あ、やっちゃった」


 こんな奇病を患っているから、洋服に血がつくことなんて慣れてはいるけど、やっぱり染みができてしまうのは、少し悲しい。

 ティッシュで血を拭うが、流れ出てくる血の方が多い。結構深い傷のようだ。


 そうしている間に、今度は腹に傷ができたようで、制服にじんわりと血がにじんできた。


「園田さん、背中にも血がにじんできてるよ」

「本当に?」


 どうしていきなり、次々と傷ができているのだろう。今まで、ここまで連続して傷ができたことはなかった。


 痛い。傷ができた後も、痛みがする。

 もしかして、見えてないだけで、体に痣もできてるのかもしれない。


「……霞ちゃん、保健室行こう。流石にこれは……」

「そうだね」


 私は額を抑えながら、立ち上がる。

 そんな私のことを心配して、雪と佐藤くんもついてきてくれようとしたが、


「私ひとりで大丈夫だからっ!」


 ソナタが荒声を上げた。ソナタがそんな声を出すのを見るのは初めてで、私も雪も佐藤くんも、戸惑ってしまった。


「行こう、霞ちゃん」


 ソナタは私の腕を掴むと、早足で教室から出た。

 腕を掴む力は強く、私は振り払うことができなかった。



 ●



 保健室に誰もいなかった。保健の先生すらいなく、不気味なくらいに静かだった。


「ねえ、霞ちゃん」

「……ソナタ?」


 声音も笑顔も、いつものソナタのもの何も変わらないのに、怖い、と感じてしまう。ソナタが怖い。


「霞ちゃんは私のこと、好きだよね?」

「う、うん」


 右手の甲に傷ができた。


「霞ちゃんは私のこと、愛してくれてる?」

「愛……?」


 左手首に痣が浮かんだ。


「愛。愛だよ、霞ちゃん。私のこと、愛してる?」

「ソ、ソナタ……? なんか、変だよ」


 心臓が掴まれたように痛んだ。

 痛い。痛い。痛い。


「どうして、どうして、どうして……? どうして、愛してくれないの?」

「……っ」


 痛みに耐えられず、苦しくて、声が出ない。


「どうして、どうして、どうして?! どうして、私だけを愛してくれないの?!」


 ぼたり、と何かが落ちる。



 ――――目……?



 目だ。私の目だ。

 そう認識した瞬間、耐えられない痛みが襲ってくる。



 ――――目が。目が、とれた。



 痛い。ヒリヒリする。焼けるように痛い。


「あ、ああ、ああああ。あああああああああああああああっ!」


 叫ばないと、痛みで狂ってしまいそうだった。

 心臓が握られているように痛くて苦しいのなんか、忘れてしまっていた。


 右目から、血がぼたぼたと垂れてくる。

 右目を抑えて、ソナタの顔を見る。狂った瞳で、幸福そうに、笑っていた。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ! 痛いよ、っ!」


 何故、ソナタの名前を呼んだのかは、わからない。

 でも、知らず知らずのうちに、ソナタの名前を呼んでいた。



 ――――きっと、この痛みが、傷が、痣が、病気が。ソナタのせいだと、何処かでわかっていたんだと思う。



「ねえ、霞ちゃん」


 ソナタは嬉しそうに笑う。

 私の苦痛を見て、嬉しそうに笑っている。


「痛い?」

「痛くないわけないっ!」

「ふふふ、嬉しいなぁ」


 ソナタは落ちた私の目玉を拾って、ころころと指で転がす。

 見てるだけで痛い。ひりひりする。

 あれは、私の体の一部だったもので。でも、とれて。それをソナタが転がしてる……?


 何が何だかわからない。


「あのね、霞ちゃん。この痛みはね、愛なんだよ」

「あ、い……?」


 これが?

 痛くて痛くてたまらなくて、目までとれてしまった、この病気が?


 わけが、わからなかった。痛みで思考も鈍っている。


「そう。私からの霞ちゃんへの、愛。それから、少しだけ、復讐も混じってるかなぁ。でもね、霞ちゃんが悪いんだから」

「わ、私、ソナタに何かした?」


 心当たりが全くなかった。私はソナタに、こんなことをされるような酷いことをした覚えはない。


「わからない?」

「な、なにが……?」

「本当にわからない? 覚えてない?」

「う、うん」

「う〜ん。魂は同じでも、流石に記憶までは引き継がれなかったかなぁ」


 意味がわからない。

 とにかく、痛い。この瞬間も体中に傷や痣ができている。


「あのね、霞ちゃん。私は、魔女なの」

「え……。うぐっ!」


 今度は首が締まる。誰にもつかまれていないのに、血管が圧迫されていく。息が上手くできない。

 苦しい。痛い。苦しい。痛い。


「何百年も生きているの。あのね、私、霞ちゃんと会うの、2回目なんだぁ」


 ソナタは語る。


 私とは、前世でも親友だったことを。

 でも、私はソナタを嫁いで行ってしまったことを。

 ソナタを選ばず、他の男を選んだことを。


「私、許せなかったの。ずっと一緒にいようねって約束したのに、霞ちゃんは約束をあっさり破るんだもん。私、悲しくて悲しくて、仕方なかったんだよ」


 左膝から下の部分がもげた。

 痛いのに、叫びたいのに、首が絞まっているので、声が出ない。


 朦朧とする意識の中で、痛みしか感じられなかった。

 ソナタの声は聞こえてくるけど、何を話しているのか、理解できなかった。まともに頭が働いていない。


「だからね、霞ちゃんを殺して、魂に印をつけたの。生まれ変わった時に、私がわかるようにね。霞ちゃんは私を裏切ったけど、それでも私は霞ちゃんが好きだったから。また、やり直したいと思ったの」


 手の指が左の小指から順に、一本ずつ時間をかけて、骨が折られる。


「呪いなんだけどね。私の感情が動くたびに、霞ちゃんの体に傷がつく呪い。霞ちゃんは病気って言ってたっけ?」


 視界が、赤い。

 私の血。私の体から、流れ出てる血。



 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。



「ちゃんと考えたんだよ。だって、前世でも今世でも、霞ちゃんは、明るいし、優しいから、みんなに愛されるの。それは嬉しいことだけど、でも、それじゃあ、私だけを見てくれない。

 だから、思いついたんだぁ。霞ちゃんがみんなに愛されなければいいの。だから、体に傷をつけてるんだよ。人間、なんだかんだ言って、醜いものが嫌いだから、見た目を見るに堪えないものにしちゃえばいいだよ」



 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。



「でも、私はどんな霞ちゃんも好きだから、安心して」


 血が足りなくなって、或いは、酸素が足りなくなって、私の意識はゆっくりと閉ざされていく。

 やっとか、やっと、この痛みから解放されるのか。


 嬉しさで、目に涙がにじむ。


「私だけが愛してあげる」


 薄れゆく視界の中で、ソナタの笑う顔が見える。

 私の口角も少しだけ、上がった気がした。


「だから、私だけを愛してね」


 その声を聞き終えて、私の意識は完全に途絶えた。



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